<気分はどうだい?> Vol .1「2017年のピンボール」

自己紹介

HPが新しくなって、コラムを書くことになったのですが、これを、どんな奴が書いてるのかというのが読んでいて気になると思うので、簡単に自己紹介を。

年齢等がよく分かる実例で言いますと、今に繋がる洋楽ロックは13歳の時に大阪の郊外の町で、ソニーのトランジスターラジオから流れてきたビートルズを聴いたのが初めてで(清志郎みたいですが)、初めて自分で買ったレコードは阪急宝塚線の石橋という町にあった小さなレコード店で、当時日本で人気のあったアメリカのTV映画のテーマ曲、フランキー・レインが歌う「ローハイド」のドーナッツ盤でした。(友人のばんばひろふみ氏もそうだったみたいです)

最初に買ったアルバムは「ミート・ザ・ビートルズ」の日本盤で、それは阪神デパートのレコード売り場で買いました。高校の頃から輸入盤のレコードを梅田の「LPコーナー」心斎橋の「坂根楽器」へ買いに、ジャズ喫茶からロック喫茶に入り浸り、初めての外タレは1966年2月大阪フェスティバルホールでのハーマンズ・ハーミッツ。そして71年に初来日ピンク・フロイドを箱根で大阪で、レッド・ツエッペリンをやはり大阪フェスで、大阪に来る外タレはほぼ観に行き、結局、仕事もいわゆる音楽関係に・・そして40数年経った現在も。広告代理店、イベンター、音楽事務所、コンサート制作、CD等プロデュース、なんかみなやりました。

現在もアナログ・レコードだけをかける番組のディレクターを神戸のラジオ関西でやっています。まー、別にどーってことない、音楽や、映画や、小説にまつわる事などを書いていこうと思っています。音楽雑誌などもほぼ壊滅状態の今、昔は良かった的な元音楽評論家みたいな感じには決してならないように。それでは、とにかく・・一回目ということで・・


2017年のピンボール

トランジスタラジオ

アナログ・レコードと単行本と、そしてCDとMDとカセットテープと文庫本。VTRにDVD。依然捨てられずに部屋の中にある。一杯ある。断捨離などは考えたこともないし、やろうとも思わない。数十年の間、何回かの引っ越しや移動のたびになくなったものはあるが、それでも現在まで生き延びて僕の部屋の中にある。すべてある時代に愛着していた物達。今でもすぐに取り出せる棚に、背を向けて並んでいる。今度はいつ読まれたり聴かれたりするのかわからないままに。

CDを買うことも聴くこともほぼなくなり、データーやその他の配信サービスで聴く事が多くなった今、それぞれ時代を通過し、今は不要になってしまった色々なメディア、そしてそれらを再生するためのハード。あらゆるそれらの物を僕の世代は経験したし、買わされもしたし、仕事でそんなCDをプロデュースもした。しかし、レコード会社は形態を変えらざるをえなくなり、当時のメディアも今となっては不要となり、音楽を売るための最終メディアだった商用流通のCDも無くなってしまった今。結局、あのクラシックもそうだったように、もう既に誕生から50年たったロック(やジャズなど)も、あの事故った原発の廃炉が終わる頃には、100年ちかく経つわけで、その頃は、リアルタイム・リスナーだった僕らや、往年のロックのスーパースター達は誰もいなくなり、でも音だけはまだ聴かれていて、「ブレードランナー2049」のようなフォノグラム・ジュークボックスで聴かれてるのかも分からないが・・でもその音は依然、1964年のビートルズだったりするわけです・・

現在、自社の倉庫にアーカイブとして約10万枚のアナログ・レコードを保存している神戸<ラジオ関西>(60年近く音楽番組を主体として番組編成をしてきたラジオ局)で、そのアナログ・レコードを使用する番組の仕事をここ4年ほどしてるのですが、それらレコードを探したり、聴いていると、これらを物(17センチ、30センチの塩ビの円盤状のレコードというもの)を自社の財産として残し、それを現在も番組に反映しようとしている<ラジオ関西>の考え方が凄いし、正しい。

村上春樹、1979年の処女作「風の歌を聴け」で1970年の夏、神戸に帰省した主人公が聴いているラジオの電話リクエスト。その放送局のモデルとなった<ラジオ関西>。小説の中、ラジオから流れてくるトニー・ジョー・ホワイトの「雨のジョージア」。その時かかっていたドーナッツ盤は今でも検索で直ぐ取り出すことが出来るし、つい最近の放送でもかけた。多分当時も今と同じ20歳位のADがそのレコードをセッティングし操作したはず。それは、単なるアーカイブでは無く、現在でもそのレコード達は生きているということ。高度にデジタル処理された音源では無く、あのアナログの音が今も。ガキの頃に聴いたトランジスターラジオの小さなスピーカーから聞こえてきたあの音。その音こそが、その曲の実体験だといえるし、今でもその時の音を求めているのかもしれないと思う。

今の自分と重ねると、結局、50年ほど前に買ったギターや、今も家の棚にある当時のレコードや大量にある当時の単行本などは、それぞれの時代に自分が影響を受けた物達でそれらすべてが自分史とも言えるわけです。たかが数十年の自分のアーカイブなわけだけど、それらが周りにあるだけで落ちつくのです。そして2017年が終わろうとする今、また、再び、それらを聞いたり、読んだりするのです。