Vol.2「さらば!ロンサム・カウボーイ」

今年、大好きだったサム・シェパードと、ハリー・ディーン・スタントンが相次いで逝ってしまいました。そこで、何故、僕がこの2人に反応し、惹かれ影響を受けたのかを原点から振り返ってみようと・・。

僕はTVというものが日本の茶の間に登場したのをまともに体験した世代で、どっぷりとアメリカのTV映画の洗礼を受けました。「ローンレンジャー」「シスコキッド」「ガンスモーク」「ローハイド」「ララミー牧場」「ライフルマン」など、いわゆる西部劇のたぐいから、「コンバット」「ギャラント・メン」などの戦争もの、さらに<コメディ、冒険物、ホームドラマ、私立探偵・刑事物、SF、アメコミ>など、いろんなジャンルの作品がほぼ毎日ゴールデンタイムに放映され、あらゆるアメリカの文化を許容したわけです。そして特に熱中して観ることになるスティーブ・マックイーン主演の西部劇「拳銃無宿」・・それがその後、映画館で「荒野の七人」や「大脱走」を観ることへとつながっていくわけです。当時アメリカ映画は、ゲイリー・クーパーやジョン・ウエイン、ヘンリー・フォンダなどの名だたるスターたちが一世を風靡。最近では余り制作されなくなった西部劇が大人気でした。現在ではタランティーノの「ジャンゴ 繋がれざる者」「ヘイトフル8」か ディカプリオが出ていた「レヴェナント蘇えりし者」くらいしか思いつかないのですが・・当時はインディアンと騎兵隊の善悪対決のような感じが多く、ネイティヴに対しての捉え方はケビン・コスナーが監督を務めた西部劇『ダンス・ウィズ・ウルブズ』ぐらいまではそのような傾向でした。子供の頃はなんかこういう大西部というものに大いに惹かれるものがありました。大平原、荒野があり、カウボーイと幌馬車、ワイルドウエスト、アメリカのフロンティアーの時代。ガンファイト、アウトローと保安官。実在のビリー・ザ・キッドとワイアット・アープなど、この構図での西部劇の名作も多かったように思います。「真昼の決闘」「リオ・ブラボー」「シェーン」「OK牧場の決闘」など今見ても凄く好きな映画が一杯あります。

 

1969年、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる「イージーライダー」など一連の作品が次々と公開された時期、サム・ペキンパー監督の映画『ワイルドバンチ』で初めてウォーレン・オーツを知り、大ファンになります。1972年、ピーター・フォンダ監督主演の「さすらいのカウボーイ」、そして1974年「ガルシアの首」で、ウォーレン・オーツは主演に抜擢され独特の存在感、個性を発揮します。同時期ハリー・ディーン・スタントンもボブ・ディラン、クリス・クリストファーソン、ジェームズ・コバーンとともに「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(1973)に出演しています。(監督はペキンパー)

 

そして1982年、日本においてある一本のテレビCFが流れます。パイオニアのコンポ・ステレオのCFなのですが、主演はウォーレン・オーツ。ナレーションは作家の片岡義男、コピーライティングは秋山 晶、音楽はライ・クーダーの「GO HOME GIRL」。

 

『モンタナ州ヘレナに生まれた。4つの時シャイアンにいた。12の時アビリーンにいた。16の時デンバーにいた。18の時ネブラスカにいた。21の時サンタフェにいた。23の時ツーソンにいた。28の時サンアントニオにいた。』

 

『荒野はどこへ行っても故郷だ。』

 

このCFで僕の好きなもの(人、音楽、風景、感性)すべてがドッキングした感じがしました。残念なことにウォーレン・オーツはこのCFの後に亡くなってしまうのですが、その世界観、イメージは僕の中ではサム・シェパードやハリー・ディーン・スタントンへと繋がっていくのです。1984年、ドイツ人監督ヴィム・ヴェンダースがアメリカというものを意識して制作した西ドイツ・フランス合作のロード・ムービー「パリ、テキサス」。そこに主役として、今まで脇役として色々な映画に出演していたハリー・ディーン・スタントンが起用され登場するわけです。(音楽)もライ・クーダー。そして(脚本)がサム・シェパード。ベースとなったイメージはサム・シェパードの書いた短編集「モーテル・クロニクル」。この短編集はとにかくよく読みました。今でも古本屋にあればとにかく買うという本なのです。サム・シェパードとハリー・ディーン・スタントンはボブ・ディランが制作した映画「レナルド&クララ」やロバート・アルトマン監督の「フール・フォア・ラブ」で共演しています。その後2人はいろいろな映画に出演するのですが俳優としての存在感、個性、イメージは最後まで変わることはありませんでした。2人が亡くなって、改めてシナリオ集や評伝を読み直し、関わった映画を見直したのですが、そこには大都会から外れた大いなる田舎、アメリカの現風景がそれぞれの人生を通して広がっています・・・サム・シェパードもハリー・ディーン・スタントンも彼等そのものがアメリカという「荒野」の<ロンサム・カウボーイ>だったのだと思ってならないのです。