《九条山省念スタジオ》という浪漫とリアルが歴史を作る ~吉田省念のホームグラウンドである京都・九条山のスタジオ探訪取材

吉田省念/ギタリスト、シンガー・ソングライター

「10代の頃からここで音を出していたから、練習でどこかの貸しスタジオを使った経験が本当にないんです」(吉田省念/ギタリスト、シンガー・ソングライター)

取材・文・撮影/岡村詩野 shino OKAMURA

この人がずっと京都にいることの意味は本当に大きい。京都の音楽の過去を考えた時、そして、現在、未来を考えた時、吉田省念という音楽家の存在が必ずそのファクターとしてクローズ・アップされる。亡き父である芸術家のヨシダミノル氏の側で怪しくも魅力的な大人たちにかこまれて育ち(もちろんその中には村八分やボ・ガンボスのメンバーも!)、成人してからも巧みな技術と粋なセンスを持ったギタリスト、シンガー・ソングライターとして京都の音楽の裾野を広げてきた。同じ京都出身としては先輩にあたるくるりの一員として活動していた時期には東京と京都を行き来しながら厳しい現場で経験を積んだ。そして今、ソロ・アーティストとして、やっぱり彼は“ここ”にいる。“ここ”……それは京都という具体的な場所のことでもあり、彼自身の居場所であり音が創られる“桃源郷”。吉田省念は一つ一つ丹念に大小様々な積み木を積み上げていくように、自身のキャリアをそうやって“ここ=桃源郷”に結実させてきたのではないかと思う。

そんな吉田を、彼の持つ《九条山省念スタジオ》に訪ねた。ここはどこだろう、今はいつなのだろう…とため息が出るほど素敵な場所だ。深い木々に囲まれたコンクリート打ちっ放しの外観はまるでヨーロッパの古い美術館のよう。決して広くはなくこぢんまりとしてはいるがとても居心地がいい。ヨシダミノル氏が設計した建物の一角にあるこのスタジオが再びちゃんと機能するようになったのは近年のこと。ほとんどハンドメイドでコツコツと改装してきたという室内には、1970年代から今日に至るまでこの建物に出入りしてきた、それぞれに大いなる夢と思想を携えた様々な音楽家、アーティストたちの眩しいばかりの息吹が染み入っている。目を瞑れば浮かんでくる、京都の音楽の歴史のいくつもの場面。もちろん吉田の最新作『桃源郷』もここで録音された。市街地まですぐなのに振り返ればすぐ横に山が迫っているこの素晴らしい場所で、吉田は今、何を思うのだろう。

ブースを入り口から見たところ。ピアノや機材と一緒にアナログ・レコードのラックもある

――このスタジオはいつからあるのですか?
吉田:建物自体は1964年……日本武道館と同じ年に建てられました。父…ミノルさんが設計しています。鉄筋なんですけど、その当時、こんな場所で鉄筋建築ってすごく珍しかったようですよ。しかも、コンクリートの打ちっ放しでしょ? こういうコンクリート打ちっ放しのスタイルの建物って、その後、安藤忠雄とかが手がけるようになりましたけど、この家の方が早いんです(笑)。ただ、ここで音楽を録音することになったのはそれより後…70年代からですかね……父が1970年から8年間渡米していて、その間にこのアトリエをキーヤン(木村英輝)さん達が使っていたりとか。その頃ニプリッツのJINくんも在籍していたあるバンドのプロデュースをキーヤンさんがしてたのかな? プロジェクトがあったみたいですね。その当時できたのがこのスタジオなんです。でもバンドはうまくいかなかったみたいですが……。MOJOの看板やポスターのシルク版なんかもありましたよ。84、5年頃にはミノルさんが貸しスタジオとして使っていたこともあったみたいですね。河内家菊水丸さんが使ったり、あと地元《UrBANGUILD》(木屋町のライヴハウス)店長の福西次郎さんがバンドで使ったり……ノーコメンツも使っていたことがあるみたいですよ。90年代以降はイベントの事務所にしたりするようになって、人が出入りする機会も増えてまた息が吹き込まれましたけど、しばらくはロクに使っていなくて、物置状態になっていたんで、僕自身「ああ、この建物の中にこんな場所があったんや!」って改めて気づいたくらいでした(笑)。その後、中学、高校くらい……僕が音楽を始めた頃からここを練習場所として使っていました。10代の頃からここで音を出していたから、僕は練習でどこかの貸しスタジオを使った経験が本当にないんです(笑)。とはいえ、今と違って当時は本当にボロボロで、倉庫みたいで……実際最初は土足でした。すぐ横が山なので雨とか降ったら屋上から雨漏りしたり水が流れてきたりして。今もやっぱり湿気が強いので、置いてある機材の調整は丁寧にしないと…って感じですし、ちょっとした気温の変化でチューニングも変わってきたりすると思います。でも、そういうことも楽しい。そもそも、こういう場所が小さな頃から家の中にあったということは僕にはすごく大きかったですね。ただ、ここをちゃんと使うためには修理…どころではなく根本的に直さないといけなかった。だから、ある時にがっつりとここをしつらえるって決心したんです。

――リノベーションですね。
吉田:そうです。ヨーロッパとかって古い建物をちゃんと修復して残しながら使っていくじゃないですか。でも日本は簡単に壊しちゃう。すごくいい建物も残そうとしない。本当にもったいないですよね。そういう意味でもここはちゃんと直して息を吹き込んで、使い続けていきたいと思ったんです。ずっとスズメンバとか僕が関わったり親しくしたりしてるバンドの音出しとかでここを使っていたんですけど、2011年…僕がくるりに加入して、給料が出るようになったタイミングでちゃんと直そうと。で、その給料をこのスタジオの改装代にあてたんです(笑)。ここをちゃんとスタジオとして使えるようにしたのはその時ですね。そこからコツコツと機材を揃え、楽器を集めていきました。しっかりと改めて防音したりブースとの扉をちゃんとつけたり、外の門をつけたりってことも、僕がちゃんとやろうって決めてからしつらえたんです。

ヨシダミノル氏の妹さんが使用していたピアノを受け継いだ。音色がなんとも甘美だ

格安で入手したという古いローズ・ピアノの上にあるギターはチャー坊(村八分)の形見

――今やここでは制作におけるほとんどの作業ができる状態なのですか?
吉田:そうですね。マスタリング以外の工程は全部できます。これからはもっとここを活用してきたいですね。僕、もともとカセットテープのMTRを買って宅録から始めたんですけど、その後、Macで作業ようになって……でも、そういうのも全部機械がやってくれるから、専門用語とかは覚えていくけど、本当にちゃんと自分の理想の音作りをするにはまだまだ…なので前作からアルバムのエンジニアでタッグを組んでいる尾之内(和之)さんとの出会いは大きいですね。彼と前作で沢山の事を試せたのもあって、今作『桃源郷』のミックスに関しても言葉なくして進んでゆく感じがありましたし。分業体制ができてきたという感じです。

――すぐ隣がもう山とはいえ、ここは京都市内で町中までもすぐの好環境。仲間ミュージシャンが集まってきやすいことも大きな魅力ですね。
吉田:そうなんですよ。今一緒に制作やライヴを手伝ってくれているTurntable Filmsの谷(健人)くんが古いローズ(・ピアノ)があるよって教えてくれて、それをここに運んできたり。ここにあるドラムもふぐちん(ムーズムズのドラマー、渡辺智之)のドラム・セットで、いつでも一緒に音を出せるようにしてあります。みんな京都に住んでるから集まりやすいんですよね。でも、父が生きていた頃からこの建物自体……まだスタジオとしての機能は今みたいにちゃんとしていなかった頃もこの建物は住居でもあったので、そういう感じでいろんな人が出入りしていたみたいですよ。僕が小さかった頃とか、夜遅くまで父と仲間が飲んで議論とかしていて。でも、朝起きてきたらまだその人たちが全く同じところに同じ姿勢で座って起きて同じ議論をしている(笑)。もちろんそこにはミノルさんもいるわけです。そういう雰囲気って、今思えばなんかいいなあって感じますね。でも、そういう雰囲気も“時代”だなって。チャー坊(村八分)の形見分けでいただいたギターもここに置いてあって、そのギターはくるりのレコーディングで使ったりもしたんですよ。

――京都のロックの歴史の一部がこの建物、このスタジオに刻まれている。それを今の時代に継承していこうとしているわけですね。
吉田:そうですね。ただ、京都のミュージシャンだから京都で…みたいな自覚って実はそんなになくって。僕は今も東京とか他の場所にもライヴとかで出向くし、特に東京には機会があれば今も何かスペースを持てればいいなと考えたりもしています。でも、現実的な生活を考えてもここをしっかり動かすことは大事かなと。もちろん闇雲にいろんな人にここに出入りしてほしいわけではないし、割り切った貸しスタジオみたいにすることも考えてないですけど、ここから発信することはやっぱり面白いですからね。とはいえ、普段見ている景色は京都だし、そのテンポ感も確かに京都なんですけど、実際に京都のここで録音したデモを東京の町を歩きながら聴いて確認したりするんですよ。「これでいいんかな~? ズレてないかな~?」みたいに(笑)。

丁寧にメンテナンスされた機材類がきれいに陳列されている。吉田のバック・メンバーでもあるムーズムズの渡辺智之のドラム。カーペットもいい味。

――グローバルというと大げさかもしれないですけど、京都の中で作られたものを外に伝えていく意味でも、京都以外のエリア……東京でその作業の成果をジャッジする意味は大きいですね。京都の中だけで完結させることなく。
吉田:そうなんですよね。それは東京…という土地もあるし、ここ2年くらい、舞台音楽を担当させてもらったことも大きいですね(『死刑執行中脱獄進行中』(2015年)、フェスティバルトーキョー2016 まちなかパフォーマンスの演目『うたの木』(2016年))。自分と違う表現者を見たり考えたりする作業をしたことで、言葉で間を持たせなくても成立させることができるんだ、ということに気づかされて。そういう音作りに自信を持てるようになったんです。これは音楽だけしか考えないで作っていては持てない感覚かなと思いますね。あと、尾之内さんと作業をするようになって、“音響”って感覚で音楽を捉えるようになったんです。例えばジミヘンとかもアンビエンスとしての良さがあるじゃないですか? インストとしての面白さに気づいて、音で伝えるという聴き方ができるようになったのも大きいかな。ピンク・フロイドの曲のイントロがなんであんなに長いのか、っていうのも、すごく理解できるようになって……まあ、僕がそういう年齢になったってことなのかもしれないですけどね(笑)。でも、“聴き方”って本当にいろいろあるし、人それぞれだし、“聴き方”の種類ってありすぎて、それを考え出すとちょっと憂鬱にもなったりするんですよ(笑)。マスタリングをどうするのがベストなんだろうか? パソコンから聴くのか、iPhoneから聴くのか、イヤホンで聴くのか……どうすればいいんやろう? って。最終的に僕は自分の作った音を車で聴いたりしてます。だって、どんなに細かな作業をしても、パソコンで聴くとドラムと声とタンバリンしか聴こえない!みたいになるわけじゃないですか。昔はそれでずいぶん悩んだりしましたね。でも、そういうわけで、舞台音楽で音響としての音楽の面白さを知って、尾之内さんと作業をするようになって、で、このスタジオで録音したりしているうちに、次はこういうことがしたい、というのがぼんやりと見えてきたりもするようになりました。

――1枚丸々インスト・アルバム、なんてアイデアはどうですか? ニュー・アルバム『桃源郷』に収録されているインストの「Fountain」を聴いて、この路線で全曲聴いてみたいと思ったんですよ。
吉田:いや、実は僕もそれやってみたいと思っていて。歌モノの作品だけではな引き出しをカタチにしたいなと。もちろん、東京とかにあるちゃんとしたレコ・スタ(ジオ)、プロフェショナルな場所でしっかり録音することに今も憧れとかもあるんですけど、自分のペースでそうやって音響としての音楽を制作することもやってみたい。どちらも並行してやれたら最高ですよね。それこそ、くるりの一員だった時は、まさにそういう現場だったわけです。僕はそれまでちゃんとしたスタジオで録音なんてしたこと、ほんとうになくって。だから最初僕は東京のすごいちゃんとしたスタジオに入った時は発見だらけでビックリしたんです。でも、岸田(繁)さんは逆に僕のこのスタジオで音を出すことが新鮮だったみたいですね(笑)。

 

扉の向こうに演奏ブース。決して高くない天井だが密室感あるいい音が響く

――ミノルさんが実際にアトリエにされていた部屋のある建物と同じということもあって、アトリエのような佇まいだというのもあるからですかね。
吉田:ああ、そうですね。実際に僕もここで一人入って作業する場所、みたいな感覚があります。レコーディング・スタジオって感じじゃなくて、もちろん曲とかも書きますけど、音楽のこと考えたり、レコードを聴いたり…。僕自身の居場所なんですね。そういう感覚ってやっぱりミノルさんをずっと見てきたからなのかなと思いますね。実際、レコーディング・スタジオとしてはちょっと不自由というか、要は電圧も一般家庭のと同じなので、近所で同じ電柱から普通に分岐されるんです。で、前々からその月によって電気のメーターがすごく変動することに気づいていて。で、この前わかったんですけど、隣の家の方が陶芸家で、その方が電気の窯を使っていらっしゃるようなんです。で、使用してらっしゃる時とそうでない時との間でこちらへ供給される電気が違ってるみたいなんですよね(笑)。だからこれからは「いつ(窯)を使います?」って事前に聞いて、こちらのスケジュールもたてるとかしないとなあって(笑)。でも、そういうのも却って面白いでしょ。

――スタジオ自体が周囲と協力し合いながらここで生きてる感じがします。
吉田:ねえ。僕が生まれたのが1980年ですけど、後から「ここで暮らしていたこともあるんだ」なんて言う人も出てきて(笑)。一体なんだったんだろう、ここは!って思ったりもしますけど、そうやって繋いできた歴史のようなものは何物にも代え難いですよね。さっき話したチャー坊の使っていたようなギターや安く手に入れた古いローズもここにあるし、僕が10代の頃から使っている楽器もあります。ここにあるグランドピアノは…普通のサイズのものよりちょっと小型なんですけど、ミノルさんの妹が音大生で、その頃に使っていたものなんです。おばあちゃんの家が大阪の豊中にあって、その家を手放す時にピアノも3万で売ろうかと思っているという話を聞いて、慌てて「なんとか3万を用意するから!」って頼んで(笑)。2トン車借りて何人かで一つのピアノをここまで運んだんですけど、いやもう運搬は大変でしたね。でもこのピアノは今でも普通に使ってますよ。

演奏ブースを臨む卓に座る吉田。ほとんどの作業はここでできるという

――今後、貸しスタジオとしてもオープンにしていく予定もありますか?
吉田:いや、どうかなあ。もちろん、これまでに友達とか知り合いのバンドがここでレコーディングしたことはあります。ザッハトルテのウエッコや下村ようこちゃんとかがメンバーの“薄荷葉っぱ”とか“たゆたう”とかはここで録音しています。そういう時は丸々貸していますけど、でも、全部を受け入れるって感じで誰にでも貸しますってことはちょっと考えてないですね…。やっぱり自分がアトリエとして使いたい時がある。それに、ミノルさんたちがここで騒いでいた当時のことを母親に聞くと、プライベートとオープンな状況というのをすごく冷静に捉えていたみたいで……。

さりげなく晩年のヨシダミノル氏のポートレートも。静かに吉田の活躍を見守っている

オープンだけどプライベートな場所でもある…ということをすごく考えて生活していたみたいです。僕もそこはやっぱり同じ気持ちですね。その上で、これからここで何ができるか、どういう作品を作っていきたいかをゆっくり考えながら活動をしていきたいですね。

 

吉田省念 OFFICIAL SITE

http://www.yoshidashonen.net/

《ライヴ情報》

吉田省念バンド出演!
『BATANICAL HOUSE VOL.1』
http://smash-jpn.com/live/?id=2792

《リリース情報》

吉田省念『桃源郷』
2017.10.18 発売
P-VINE