気分はどうだい? Vol .4「皆んな黙ってジャズを聴いていた」
皆んな黙ってジャズを聴いていた。
当時コーヒーは120円。それ一杯で一日中そこにいた。そんな<ジャズ喫茶>に行き始めたのは、いつ頃だったのだろう。たぶん高校に入り活動範囲が広くなり、梅田や京都や三宮に友達と行くようになり、最初は待ち合わせの場所に使っていたのだろうと思う。今ではほとんど、無くなってしまったが<ジャズ喫茶>は学生や何か意味ありげな大人達で溢れていた。彼等はほとんど喋らず、手にした文庫本か何かを読みながらジャズを聴いていた。太宰、三島、サルトル。まだ中学を卒業したての僕達はそんな空気というか雰囲気に大人の臭いを感じとっていた。「バンビ」「タイム」「ファイヴ・スポット」「ブルー・ノート」「ダウン・ビート」「さりげなく」。コーヒーとジャズ。店の中にはでかいアルティックやJBLのスピーカー、そしてマッキントッシュの真空管アンプなんかがあり、いわゆるモダン・ジャズを結構な音量でかけていた。中にはパラゴンとかいう数十万もするステレオ・セットもあった。静電気防止のスプレーをかけられた円盤は重厚なターンテーブルに乗せられ、シュアーかなんかのカートリッジにダイヤ針のピックアップがトレースしていく。少しでもノイズが出たら、客全員がカウンターの方を睨むような雰囲気だった。オーディオ・ブーム。その店にある、何百枚か何千枚のレコードから、その店のマスターなのか誰か知らないけれど、アルバムをセレクトして聞かせてくれる。
かかっているレコードのジャケットがカウンターに立ててある。ほとんどがモノトーンの大人っぽい渋いジャケット。黒人ばかり。ブルーノート。ハーレム。ジャズなんかを聴くのも始めてだし、最初は全然分るはずもないのだが、そのうち、MJQ だマイルスだコルトレーンだの分かってくる。僕はそんなにジャズにはのめり込まなかったが、友達ははまり、殆ど評論家並のところまでいってしまった。フリージャズ。そして買う輸入盤のレコードも増え続ける。今でもアナログ・レコード派にジャズ・ファンが多いのは、こういう<ジャズ喫茶>の時代が結構続いたからかも知れない。グループ・サウンズが生演奏する、ゴー・ゴー・クラブなどに行き始めたのもこの頃。バンドが入れ替わる時の曲「カミング・ホーム・ベイビイ」。やってる連中は僕らより少し年令が上だった。神戸の「メイド・イン・ジャパン」という店で、ヘルプフル・ソウルやモップスやハプニングス・フォーを見たのも、阪急東通りのコダマに行ったのも、この頃。まだ未成年だった。しかし煙草を吸い、ウイスキーのコ-ク割で気分が悪くなり吐いた。不良。そして僕らの時代、60年代中頃、フォークやロックが登場し、相変わらず待ち合わせや、だべる為にジャズ喫茶には行ったが、音楽の興味はフォークやロックに移っていった。暫くすると、<ロック喫茶>があちこちに出来始めるようになる。かかる音楽がロックになっただけなのだが、客層はさすがに若かった。店内も当時流行っていた、サイケディリックぽいペイントが施され、アート・ロックと呼ばれたクリームの「ホワイト・ルーム」やドアーズ、ヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライ、ジミ・ヘンドリクスなどがよくかかっていた。
「ボブ」「ボンボコ」「キューピッド」「アッピー・ハウス」「ポパイ」そして「ディラン」。長髪、ベルボトム・ジーンズ、タイダイの絞りTシャツを着た連中が入り乱れていた。フーテン。GSはどんどん末期的症状を見せ、芸能界ぽい歌謡曲的なものとなっていった。そして、学生を中心としたフォーク、ロックの時代へと変わっていく。アングラ。全国あちこちでロック・バンドや、フォーク・グループが結成され、コンサ-トが頻繁に行われるようになる。外タレが相次いで来日し、僕達は片っ端から観に行った。ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン、シカゴ、グランド・ファンク・レイルロード。そして一挙にコンサートの機材や楽器が変化していった。学校は6ヶ月の間、封鎖されており、何もする事のない僕達はバンド活動に熱中した。しかし、それもあっという間に終わってしまう。シラケ。本等にドロップ・アウトした連中はごく一部だった。退屈。卒業まじかになると、ほとんどの連中が髪を切った。平和。そして何事もなかったかのようにネクタイを締めス-ツを着て、企業への就職を選んだ。高度成長。<ジャズ喫茶><ロック喫茶>がその後いつまであったかは知らないが、マクドナルドもドトールもましてやスター・バックスも無かった時代。僕達はそこにいた。今でも地下に降りる階段を降り、ドアを開けると、フル・ヴォリュームの「ブレイク・オン・スルー」が聞こえてくる気がする。
初出:雑誌<大阪人>「風に吹かれて」2002年12月号
今回、コラムを書くにあたって、昔書いたものを読み直していたら、結局書こうとしているものは余り変わらないのに気づき、再掲することに。この文章を雑誌<大阪人>に書いてからもう既に16年が経ちました。十年一昔とはいいますが、それもとっくに超えている年月。でも、ほんと少し前のように感じるのはなんなんだろうとも思います。人々の意識も大きく変わり、子供の頃から馴染んでいた大阪の街もさらに大きく代わりました。そして残念なことに、ここ最近、世界的なことなのですが、ある時代を支えたいろんなアーティスト達が世の中から消えていきます。そして今現在も関わっている音楽の世界も大きく変わり、全盛を極めたCDなどもその商業的な使命を終えようとしています。今後音楽が何処へ向かっていこうとしているのか、ディランやストーンズがいつまで現役でライブが出来るのか・・・20世紀の音楽達。
txt : Isao Matsui