気分はどうだい? Vol .5「いつもの喫茶店で考えた…こと。」
- 2018.03.29
- COLUMN FROM VISITOR
- コーヒー, 喫茶店, 本
何もすることがない時の喫茶店は優雅です。
別に自分の部屋で読んでもいいことなのに、何故か喫茶店で本を読む。そして勿論珈琲が一緒なのです・・何も追われる仕事がない時、一人で喫茶店に行く。いつもの店でいつもの珈琲(何故かカタカナではなく漢字になるのです)を飲みながら、持ってきた本を読む。何冊か持ってきてその場の雰囲気というか、気分でその日の本を読む。薄い音でBGM(僕が好きなやつがいつもかかってる。(今はザ・バンドのアルバム、ビッグピンク)一人用のテーブルでゆっくりと時間に追われることもなく。店の片面が大きなガラスになっていて、大通りに面している。外は雨が降って来たみたいで、他の客はサラリーマンやオフィスレディー(今でもこういう言い方かどうか知りませんが)達。3月の中旬にしては肌寒い1日のある日。珈琲がテーブルに来ると本を読む手を休め、他愛もないことを考え始めるのです。
今日はこんな事。珈琲を初めて飲んだのはいつの事だったのか?なのです・・
それは大昔のコラムでも書いていたのですが、たぶんジャズ喫茶に行き始めてからのこと、10代後半の頃、1960年台の半ば頃なのかな。家庭では今のようにドリップなどで珈琲を飲んでる家なんか無かったし、インスタント・コーヒーが商品として発売されるのももっと後の事だったと思います。明治の初期に浅草や神戸元町で珈琲が登場し、昭和に入ると多くの店が都市部に出来たみたいです。戦後、日本で喫茶店が復活、再び広まるのは、豆の輸入が再開された1950年(昭和25年)以降らしく、9割以上が喫茶店で消費され、喫茶店も1960年代そのほとんどは個人経営が主流だったみたいです。ジャズ喫茶、クラシック喫茶、ロック喫茶などLPレコードなど金銭的にも個人レベルでは入手が困難であった時代だったため、喫茶店にはこうした音楽鑑賞を趣味とした人達への場所貸しといった要素も強く出ていたと言われています。ごく最近、このようなコンセプトのロック喫茶がまた新宿にオープンしたりしていますが・・アナログレコードやカセットテープの復権と似たところがありますね。そして僕自身考えてみれば50年超も珈琲を飲んでることになるわけです。しかもほぼ毎日ですから。煙草も同じくらいに吸い始めたのですが、たぶん日本茶や紅茶よりは遥かに多く飲んでるのではないかと思います。
他にシャンソン喫茶、歌声喫茶、純喫茶、同伴喫茶、個室喫茶、漫画喫茶そしてノーパン喫茶やカフェ・バーといのもあったなーと。珈琲がど真ん中に有り、その周りにその当時の流行があったということなのかもです。今はインターネット・カフェー(ネット喫茶)ですかね。皆、珈琲を飲んでるかどうかは知りませんが・・どうなのでしょう。「喫茶」という言葉、勿論色んな飲み物がそこには含まれるのですがいつも珈琲がど真ん中にあります。飲まなくても珈琲がメインにあるという、記号ですね・・でもそのいわゆる「喫茶店」の多くが街から消えて久しくなり、僕らも、いつ頃からかマックやケンタッキー、ミスタードーナッツなどのファーストフード店で、ドトールやシアトル系のコーヒー(カタカナです)店で飲むようになり、家でもそれなりのコーヒーを飲むように・・あ、僕の場合、マメを買って煎って、粉にして凝ったドリップで入れるようなことは全くしませんが、ペーパーで普通にドリップして飲んではいるのです・・でもインスタントと缶コーヒーは全く飲まなくなりました。まー。このあたりの「うんちく」だけでももの凄い数の実用書や店の紹介本が出ているわけで、今日もネットには「焙煎したてのコーヒーを味わう至福の時間を手軽に過ごしてみませんか?」みたいな広告が溢れています。そして僕の友達の中にも店をやっている奴が何人もいます。彼等は必ずジャズかロックのうるさ型で、昔のジャズ喫茶の伝統というか同じ人種なのでしょうね。オーディオの方にも結構うるさい系です。その珈琲でもって商売をしている。たかが珈琲なのですが、されど珈琲なのです。豆の種類や、焙煎の仕方から始まり、淹れ方や、道具類、そして、それを飲むカップや、ミルクや砂糖など、ほんと、その人(店)独自の個性というか主張があるみたいです。最近はもう気にもしなくなり、いわゆる自分にとって美味しい珈琲であればそれはそれでという感じなのです。徹夜仕事、会議、REスタジオ、ホテル等の不味くて高い珈琲、ツアー先でのケータリングの珈琲(珈琲でそのプロモーターの考え方が分かります)からも開放され、今は自分の好きな店で「お茶の時間」を堪能しているわけです。
珈琲も音楽と同じでその人の感性に似ているところがあるのかもわからないなと最近思うようになりました。ここの珈琲は美味しいよ・・と言われて進められて飲んでみてもイマイチだったり(勿論相手にはそんな事言わないですが)。音楽と一緒でいいか悪いかではなく、その味が好きか嫌いかですから・・珈琲も結局はその個人の好き嫌いでいいのだと思います。それといつもの店というのは珈琲の味だけではなく、店の雰囲気というのが大きく作用するのだと思います。毎週仕事で行ってる神戸には幸いなことに昔ながらの古い、いい喫茶店が残っています。ホットするのです、こういう店で飲む珈琲が。さらに珈琲は世界共通な飲物な訳で、色々な小説や映画でも・・多くが語られています。元オアシスのノエル・ギャラガーは最新インタヴューで「Tシャツとコーヒー」がロックンロールを殺したと語っています。レザー・ジャケットやジャック・ダニエルではないというのが面白いですね。(検索して読んでみて下さい。面白いです)世界は、音楽は、珈琲で動いている、のか・・。で、そんな事をいろいろ考えながら、ナンジャカンジャで持ってきた本を読み始めるのです。今日持ってきた昔から大好きな橋本治氏の本、たぶんこの「窯変・源氏物語」13巻は今年中に読めるかどうかですね・・まーゆっくりと時間はたぶんたっぷりあるのだからと。そして、帰りに珈琲の粉とペーパーを買って帰らねば、忘れないように、、、。