気分はどうだい? Vol .6「いつまでも若く」とディランが・・

「答えは風に吹かれている」「どんな気分だい?」、そして「いつまでも若く」とディランが歌った。何度となく、何かあるたびにアルバムを取り出してはよく聴いた曲。簡単な明瞭な言葉なのに、大きな意味を持つ言葉 <フォー・エヴァー・ヤング>。その曲が入っているアルバム「プラネット・ウェイヴズ」は、ボブ・ディランがアサイラム・レーベルに移籍し1974年にリリースした14枚目のスタジオ・アルバム。このアルバムでさえもう44年前。2016年にはノーベル文学賞受賞、その翌年リリースされた最新作は通算38作目となるスタジオ・アルバム「トリプリケート」なんと3枚組。例によってスタンダードのカヴァー集。そこには今現在のディランが・・素晴らしい内容。そして相変わらず唄の上手さが際立つ内容。ディランは昔から本当に歌が上手い。78年の初来日の一連のライブ、そして、あのゴスペル3部作などを聞き直せばそれがよく分かるはず。で僕はといえば、ここ最近3月22日ポルトガルのリスボンから始まった2018年春のヨーロッパツアーの客が録ったライブ録音を毎日のように聴いている。ディラン三昧。相変わらずのディランがいて、写真や映像を見ると元気そうで、凄く嬉しいのです。5月には77歳になるディラン・・77歳!! そして7月には久しぶりに日本へ、フジロックフェスティバルに出演するという。

今回はそんなボブ・ディランのことを。

今回書くにあたって具体的な年号とかを調べてみたのです。今までは漠然と中学三年の頃とかと記憶が曖昧だったので。まー、いずれにしてもビートルズもディランも同時期(1964年前後)にリアルタイムで聴いていたわけです。そして自分にとってその最初はいつだったのかを。ビートルズのそれは凄く鮮明に覚えているのです。大阪の郊外にあった家の部屋で聴いていたトランジスターラジオから流れてきた1964年4月5日に発売された「プリーズ・プリーズ・ミー」で、番組は文化放送の小島正雄さんがDJをやっていた「9500万人のポピュラーリクエスト」。その時の感覚というか情景は今でもよく覚えています。で、ボブ・ディランはというと・・最初に聴いたのはやはり、ラジオからだったんだと思うのですがそれがあまり覚えていないのです。ディランの代表曲として必ず取り上げられる<風に吹かれて>も曲として最初に聴いたのはピーター・ポール&マリー(PPM)によるバージョン。友人が持っていた1963年にリリースされたPPMの3枚目のアルバム『イン・ザ・ウィンド』のタイトルトラック、アメリカでチャートが一位になり日本でもヒット。当時1963年頃、日本でも学生達の間でブームとなっていたアメリカのモダン・フォークのコピー曲として、キングストン・トリオ、ブラザース・フォー、そしてこのPPMのバージョンがこぞってコピーされていました。僕も友人と女の子を誘いPPMでのこの曲をコピーしていました。初めてボブ・ディランの名前が大きく取り上げられるようなったのもこの頃なのですが、ディランのあのギター一本での弾き語りによる<風に吹かれては>はたぶん誰もやっていなかったように思います。後に関西フォークと呼ばれた連中がディランぽい弾き語りの形態をやるようになるのですが・・当時はまだ学生中心の「アメリカ民謡同好会」的な集まりとしてフォークソングが歌われていた時代でした。

最初に買って聴いたディランは『モダン・フォーク・ベスト/ ボブ・ディラン』(1966年、CBS/日本コロムビア)という33回転の4曲入コンパクト盤EPでした。<風に吹かれて / 今日も冷たい雨が / 戦争の親玉 / 時代は変る>の4曲。考えてみれば、50年たった今でもメインで歌われている曲ばかりです。<今日も冷たい雨が>はあの<ハードレイン>・・ノーベル賞授賞式でパティ・スミスが歌った重要曲。でもこの頃のレコードのディランはハーモニカとギターだけ、殆どデモテープな感じだったわけで、同時期にミーハーとして聴いていたビートルズなんかとは、サウンドとして音として全然違ったのです。当時はまだ、オリジナル(自分で詞曲を作るということが)が普通ではなく、歌の詩=歌詞の重要性というものが分かる前の事・・そんな中、僕にとってそんなディラン感がいきなり変わるのが<ライク・ア・ローリング・ストーン>でした・・まーこの曲に関して書き出すとキリがないのですが、凄く衝撃を受けたのを覚えています。1965年6月にシングルとしてリリース、アルバム『追憶のハイウェイ61』に収録されているディラン最大のヒット・シングルであるだけでなく、60年代のロック変革期を象徴する曲とされているのです。6分もある長い曲、勿論歌詞が重要なわけで、自分で訳したりしました。片桐 ユズル、中山 容 による翻訳「ボブ・ディラン全詩集」が出たのは1974年でした。この頃、1965年以降からディランの影響を受けたシンガーが日本各地から出てくるようになります。そして、歌謡曲とは一線を画すオリジナルを作り、それらは後にニューミュージックと呼ばれ、そして、さらにシンガーソングライターの時代になっていきます。

この頃70年前後から僕の中でのディランの見方が随分変わってきます。輸入盤のアルバムも揃え、ディランの情報を集めだします。1973年(昭和48年)5月にアンソニー・スカデュト著、小林宏明訳による伝記『ボブ・ディラン』が二見書房から、そして同年8月にマイケル・グレイ著、三井徹訳の『ディラン、風を歌う』が晶文社から、研究本のような形で出ます。それから今日までいろいろなディラン本が出版され続けています。必携なのは2005年のディラン自らが書いた『ボブ・ディラン自伝』そして2010年に出た故スージー・ロトロの『グリニッジヴィレッジの青春』。あと2005年に中川五郎訳で出た『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』があればと思います。ほんとに色んな書籍、ブートの音源、映像は数え切れないほど一杯観ました。50数年の追いかけ・・

作家、村上春樹は、処女作『風の歌を聴け』(1979/講談社)ではそのタイトルに意味を込め・・1985年に発表した『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)の33項、<雨の日の洗濯、レンタ・カー、ボブ ディラン> には主人公の「私」が<ライク・ア・ローリング・ストーン>の入ったボブ・ディランのカセットテープを買うシーンがあり、ディランのことを語りながら物語が進み、最後はこう締めくくられています。

「ボブ・ディランが<ライク・ア・ローリング・ストーン>を唄いはじめたので、私は革命について考えるのをやめ、ディランの唄にあわせてハミングした。我々はみんな年をとる。それは雨ふりと同じようにはっきりとしたことなのだ。(P-533) 」と・・