第5回 「ボブ・ディラン自伝」ボブ・ディラン著

ボブ・ディラン自伝-ボブ・ディラン
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フジロックにボブ・ディランがやってくる。すごいことだ。なぜすごいことかというと、こういう人たちを(上のYouTube参照)こう変えてしまった人だからだ(下のYouTube参照)。

ボブ・ディランが「ミスター・タンブリ・マン」をニューポートのフォーク・フェスティバルで歌っているのが1964年、そして上の映像のウッドストックが1969年です。お客さんを見てください。ニューポートはみんなきちんと礼儀正しく座っています。世に言うL7(スクウェア、四角張った人たちですね)そんな人たちがたった5年でこんなに変わるもんでしょうか。ウッドストックはヒッピーの終焉みたいなものだったので、本当は67年とかにゾンビみたいな人たちが何万人も現れていたのです。

 

ヒッピーをゾンビって、大変失礼ですね。でも上の映像見てたらゾンビにしか見えないですよね。

 

当時の人たちもみんなそう思ってました。実はゾンビって、こういう人たちがたくさん生まれて、これから世の中どうなるだろうという恐怖が生んだ映画なのです(その前は共産主義が世界を制覇するという恐怖から、その前は…)。初期のゾンビ系映画の傑作「地球最後の男 オメガマン」(1971年公開)はそういうことがよくわかっていて、ゾンビみたいなものしか生き残っていない地球でたった一人の人間となったチャールトン・ヘストン演じる主人公が映画館で退屈しのぎに何回も見る映画はウッドストックの映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の3日間』なのです。ゾンビみたいなもので地球が崩壊する前に上映していた最後の映画が『ウッドストック』だったという皮肉なんです。

 

フジロックに来るお客さんをゾンビって、失礼ですね。でも、僕らはそういう人たちの子孫だということを考えてないとダメですね。

 

“フジロックに政治を持ち込むな”というのなんかちゃんちゃらおかしいのです。僕らは変わろうとした、変えようとした人たちの子孫なんです。

 

何を変えたかったか、ボブ・ディランの自伝『ボブ・ディラン自伝』の中でちゃんと説明されてます。

 

“ポリオを患っていたわたしの父はべつだったが、おじたちはみな、戦争に行って生きてもどってきた。ポールおじさん、モーリスおじさん、ジャック、マックス、ルイス、ヴァーノン、ほかにも何人かが、フィリピンやアンツィオやシシリア、北アフリカやフランスやベルギーに行った。そして土産や記念品を持って帰ってきた。麦わら製の日本のシガレットケース(中略)ドイツのルガー拳銃などのさまざながらくた。おじたちは何事もなかったかのように市民生活にもどり、自分たちが何を見聞きしてきたかはいっさい口にしなかった”(第2章 失われた土地)より

 

ボブ・ディランの前の世代は世に言う、第二次世界大戦を戦い現代米国の基礎を築いた世代サイレント・ジェネレーションを変えたかったのです。第二次世界大戦を戦い現代米国の基礎を築いたような偉大な世代がなぜサイレント・ジェネレーションと呼ばれるか知っていますか?ディランが書くように“自分たちが何を見聞きしてきたかはいっさい口にしなかった”のです。ファシスト、軍国主義の日本を破った偉大な人たちは自分たちが戦場で何をしたのか一切語らなかったのです。もしこの世代が正義の戦争だったとしても、戦場がどういう状態か語っていれば、ベトナム戦争は行われず、5万人ものアメリカの若者、100万人近いベトナム人は死ななくてもよかったはずなのです。

 

フラワー・ムーブメントの底辺に流れるのはサイレント・ジェネレーションへの怒りなのです。親から習うのは嘘をついてはいけないということだと思うのですが、その親が嘘はついていないとしても、なぜ黙っているのかということへの怒りなのです。

 

第2章 失われた土地 と訳されていますが、これは誤訳です。LOST LANDのロストは迷子とか忘れものロストで、「さまよう国」とかの方がいいですね。日本はいつまでロスト・ジェネレーションを失われた世代と訳すんでしょうね。ヘミングウェイなどの文学ですごい大事な世代の役を間違っていたら僕らのロックもいつまでもボタンの掛け違い状態ですよ。サイレント・ジェネレーションの前の世代、ロスト・ジェネレーションがなぜ迷子の世代と言われているかというと、第2次世界大戦の前に初めて第一次世界大戦という国が全ての力をつぎ込んで戦う総力戦によって、今までの戦争とは考えられない悲惨な経験をして、どうしていいか分からなくなった、迷子の世代なのです。ヘミングウェイの小説だと不能(オチンチンが勃たなく)になった人ですね。ウィキからだと“多くの兵士はシェル・ショック(神経衰弱とも。心的外傷後ストレス障害の関連疾患)などの精神的外傷を負った。大半の兵士はそのような障害もなく故郷に戻ることができたが、戦争について語ろうともせず、結果的には「兵士の大半が精神的外傷を負った」という伝説が広まることになった”

 

ボブ・ディランは要するに何で同じことやるのと皮肉って第2章をロスト・ランドとつけたのでしょう。

 

ゾンビみたいな人たちのバック・グランドにはこういう背景があるのです。だからあんな無茶していてもゆるしてやってください。戦争に勝ったアメリカでこんなんだったんですから、戦争に負けた日本はもっとすごかったんですよ。それがあの日本の過激な学生運動の背景なのです。

 

今回のコラム続きます。興味のある方はボブ・ディランの自伝を読んでみてください。キンドルにもなってますよ。ボブ・ディランがなぜ今あんな歌い方をしているのかもちゃんと書いてます。でも一番感動するのは人はなぜ歌うのかということがビシバシ伝わってくるところですね。次回はこの辺のことを。