カレー屋店主の辛い呟き Vol.6

「今年のフジロックの話 ―Bob DylanとKendrick Lamar― 」

大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。

ドア無しのウチのお店には最高の季節。一生春ならいいのにと、花粉症知らずの私。店で読書しながら、ぼんやりカレーを作って、カレーを売って。あーいいよ!春。と、関係ない感じでだらだら書き出しておりますが、今回もお付き合いくださいね。

さてさて、いつもなら何書こ?と思いながら机に(スマホだけど…)向かうところなのですが、FUJIROCKも近づいてきたってこともあって、「執筆陣のミナサマにFUJIROCKに向けての原稿なんか書いてもらったらいいんじゃないスカネ?」なんて軽口を叩いたところ、大阪のsmashのBOSSのナンブさんから「次回はケンドリック・ラマー、N.E.R.D、Anderson Paak vs ボブ・ディランでなんか書けるかな?」とのお返事。

「大丈夫ッス!」と生返事を返したものの、今になってvsってなんや??と思ってる次第。

というか、オレ「ボブ・ディラン。そんな知らんかも…」エヘヘ。“Blowin’ In The Wind”とか有名な曲はわかるけどナ。で、急いで友達のBARに行ってレコードをかけてもらい、一晩ボブディラン祭りにしてもらいました。有名な曲の他にも、いい曲沢山あるんですね。(あたりまえか…)

そもそも、僕がボブ・ディランをあまり聴かなかった理由ははっきりしてて、メディアが言うフォークの神様とか、何とかのシンボルとかのキャッチコピーや、僕の周りにいたディラン原理主義者?(怒られる?)のここを聴け、この歌詞の意味は、この曲の背景はという、ライトユーザーの僕からするとありがた迷惑な助言。「なんかめんどくせー」と。逆に絶対聴かねーと思ってましたwええ、ただのヒネクレモンでございます。

最近もノーベル賞がどーたらとか。そもそもノーベル賞なんかよりも、ボブ・ディランのがすごいんじゃねーのって話。

まぁ結局僕自身がそういう形容詞に踊らされてただけなんですけど。

でも、この晩。酔っ払いながら聴いた彼の声は体全部に沁みて、あらためて、何歌ってるんやろかとシンプルに興味を持ったり。気になった曲の歌詞を調べてみたりしました。音楽との出会い方って意外と大切で、違う言い方すると出会うべきタイミングで勝手に出会うもんやなと思ったりもします。

何十年か越しで彼の音楽が、先入観抜きでシックリ入って来た一夜でした。んー。やっぱすごいおやじ。

FUJIROCKに行かれる方や、興味を持たれてるミナサマ。あえて予習とか必要ないんじゃないかな。特にこの人に関しては。

個人的には、昼間たっぷりいろんなアーティストを見て、たくさん酔っ払って、疲れと酔いのほわっとした感じで、見てみたいなと思います。あのロケーションで聴くボブ・ディラン。もう声がちゃんと出るのかわからないし、どんなライブになるかわからないけど、その瞬間の彼の音はシミるんやろな。どんなシミ方かはわからんけど。

いろんな先入観や予習抜きで、もうおじいちゃんの彼のライブを見てみたいなと。で、こんなライトなユーザーの僕でも好きな曲があるので、一応音源を紹介しときますね。いろんな人がカバーしてる有名曲で、ある意味彼らしくないのかな。

僕は実はこの曲を知ったのはPearlJamのボーカルEddie Vedderのカバーでした。

ボブディランが息子の事を想って書いた(んよね?)曲で、ある意味彼らしくないシンプルな歌詞。ぶわっと思いついて書いたような詩曲がシンプルだからこそ強いと思っております。はい。

ニワカっぽいだろw

一方のこの原稿のテーマのvsの相手であるケンドリック・ラマー、N.E.R.D、Anderson Paak。

たぶんこのvsにはそんな深い意味はなくて、現在の音楽シーンの中心のアーティストで、なんとなくクラブ系のくくり?ってミナサマも多いと思うのですが、この3組でも大きくその魅力はちがうんすよね。当たり前だけど。てか、そうまとめちゃうともったいないなーと。

この間、友達から、N.E.R.Dの一員としてFUJIのステージに立つファレル・ウイリアムがケンドリックについて「21世紀のボブディラン」と称賛してるって話を聞きました。

その2人のリリシストと、鉄板で盛り上がるヒット曲を持つファレル(HAPPYやるでしょきっと!)がヘッドライナーの今年のFUJI。去年や、一昨年みたいなある種安定感のあるヘッドライナー達。

知ってる曲かかった!わーいわーい!ってなフェスも好きだけど、今年のラインナップにはお客さんの反応含めて、どうなるんだろ?ってドキドキ感があって個人的には好きです。

少し話が逸れましたね。そのケンドリックの事。今一番勢いのあるラッパーであることは間違いないのだけど、日本人の僕、というか、英語があまりわからない人間からすると、なぜ全米レベルでのカリスマになってるのかわからないアーティストでもあります。サウンドだけを聴くとカッコいいけど暗くて重い。何言ってるかわからないと彼の魅力が半減しちゃうような気がしてます。

少し予備知識が必要かも知れません。そして、それを語るには、ここでの文字数ではぜんぜん足りないので、さわりだけね。

彼が本当の意味で注目された、2012リリースのアルバム「good kid, m.A.A.d city」。そのタイトルどおり彼が生まれ育った町コンプトンは、貧困と全米有数のギャングの街。そこで育ったGOODKID。

その彼の歴史が詰まっている、私小説のようなアルバムは、収録楽曲にそれぞれ時系列があって、追いかけると曲同士のつながりがあることがわかります。ある曲ではギャングにどつかれ、ある曲では仲間といる為にはGOODKIDだけど盗みをしなければ、ドラッグやらなければという若いときには誰にでもある葛藤が(ねーよw)、

又、ある曲ではどつかれた彼の仕返しに行った仲間が彼の目の前で打たれ…おまけに、曲順の時系列はバラバラになっているので、曲のイントロやアウトロで挿入される、両親との電話のやりとりや、ギャングとのやりとりをつないでいくと、アルバムトータルで、一本の映画として彼の人生を見たような気になります。

少し興味出てきました?

リアルさと、自分の弱さと、無力感を吐き出すようなリリック。このアルバムにも見られるような、彼のアーティスト性が感じられるプランニング。一環するそのリリックのテーマ….

今の時代には珍しく、アルバムをトータルで聞くことによって、より彼の凄さと深みが伝わるかなと。もちろんリリックとか関係無しに初見でも楽しいハズ。トラップ中心の楽曲は最新形且つクオリティ高め。パフォーマンスもスタジアムのライブ重ねてる人なので、 言わずもがなやし。

でもね。

FUJIに行く人はアルバムを聴け!アルバム聴いて良かった人はFUJIに行けよと。って言いたいワケ。

このアルバムのラスト曲 「Compton feat. Dr. Dre」ではそんなアルバムを通じ悲惨な出来事が起こり続ける育った街コンプトンを全力でレペゼン。すべてを受け入れたような姿には、希望すら感じます。

その鍵になるのが、前述した曲のイントロアウトロの肉親たちとの会話だったりする訳なのですが、それはアルバムを聞いてくださいナ。

コレ共感するやろし、代弁者として祭り上げられるやろなー。

その後も「To Pimp A Butterfly」「DAMN.」とアルバムを出すわけですが、いろいろな仕掛けのある、アルバムトータルのプランニングと、曲ごとのリリックの視点や、語る主人公の状況に合わせた多彩なラップスキルはどんどんスケールアップ。気がつけば単なるアーティストを超えたカリスマに。ってのが今の状況。

NET上にはそんなケンドリックやアルバムの解説記事が沢山あって、いろいろな解釈と発見を見るだけでも楽しいので見てみてはいかがでしょ!(って丸投げ!)

他にも書きたいことが沢山あるのですが、今回はこのあたりで。なんか、ボブ・ディランの事をごちゃごちゃ言ってきたオヤジサン達みたいだよ。オレ。結局めんどくさいジジイになっていく訳ですね。

そういえば、言われてたN.E.R.D、Anderson Paakの事忘れてました。Anderson Paakは前回?の来日公演にいったやつが、めちゃ良かったといってましたよ。ドラムたたいて、ラップして、うた歌ってって…。

N.E.R.Dってかファレル。HAPPYやるだろし、みんなで合唱しながら何も考えず楽しもと思ってます。

薄い…。

また機会があれば書かせてください!