ラブ・ゼネレーション (著)早川義夫
- 2018.05.30
- COLUMN FROM VISITOR
- Don’t Think Twice, It’s All Right, くよくよするなよ, ジャックス, ラブ・ゼネレーション, 堕天使ロック, 見る前に跳べ
今回は前回予告した通り、なぜ今ボブ・ディランはあんな歌い方をしているのか。
どんな歌い方かというと原曲が全然分からないという批判が多いのです。
僕なんかはえっーって思うですけどね。普通にちゃんと分かりますからね。今のセットだと2曲目が「Don’t Think Twice, It’s All Right」です。邦題「くよくよするなよ」です。名訳ですよね。永ちゃんだったら「やっちまいなよ」と歌うでしょう。
このボブ・ディランの曲って、60年代を代表する曲なんです。2回考えたらダメだよ、やれなくなっちゃうからというメッセージです。これがロックだったわけです。家を飛び出せ、学校をやめろ、仕事を辞めろと。
日本もこのメッセージに影響されたわけです。その代表曲がジャックスの「堕天使ロック」です。
“見つめる前に飛んでみようじゃないか、俺たちに出来ないことも出来るさ
さあーみんなでロカベリーを踊ろう”
僕が子供の頃はこれを聴いて大感動ですよ。しかも70年代後半はジャックスのレコードは全て廃盤で、レコードを持っている人から録音してもらったカセット・テープを必死になって聴いていたのです。今の北朝鮮みたいですね。
解散してしまっているから、ライブがどうだったかも分からないんですけど、ライブがどうだったか知りたいと欲望はつのるばかりです。その当時唯一ジャックスのライブが聴けたのが、東京のレコード屋さんがジャックスが解散するというので記念に作った自主制作盤だけ。そんなレコード持っている人いないだろうと思ったら、関西に一人いたんですよ。僕がバイトしていた元「あしたの箱」店長、1984社長キースさんが持っていたので、それを借りて、神様のお告げを聴くように聴きましたよ。一曲目「マリアンヌ」ですよ。映画「わが青春のマリアンヌ」に影響された曲です。松本零士先生も全部当時に日本のクリエイターたちはこの映画に影響されまくりです。メーテルの元ネタです。
嵐の晩が好きさ、怒り狂う闇が俺の道案内
(中略)
何も見えない 嵐の晩に
激しく狂った オトコたちにかこまれて
俺はマリアンヌを抱いている。
ですよ。ジム・モリソンもミック・ジャガーも真っ青なドロドロした声で歌う早川義夫、すごいと思ったのもつかの間、曲が終わったとたん、さかな君みたいな声で「マリアンヌでした」とMCする早川義夫、ずっこけました。
人間、妄想はいけないですね。このライブ盤、メンバーどうしの喧嘩も収録されているんですが、完全にひきます。早川さんの「あんたが悪いんやん」みたいなオバちゃんみたいなグチ。俺のロックが崩壊していきます。このライブ、ジャックス・ボックスとかに入っているんでしょうか。俺はジャックスをこのライブ盤を聴いた以降封印しました。
見つめる前にというのもどうかと思うんですよね。日本文学の巨匠大江健三郎「見る前に跳べ」から来てるんだと思うんですけど。
大江健三郎「見る前に跳べ」は W・H・オーデンの有名な詩「見る前に跳べ」から来てるそうんですが、大変申し訳ないんですが、僕は大江健三郎をあんまり読んでないんです。ありもしない死体洗いのバイト小説とか書く人信用出来ないじゃないですか。だからあんまり読んでないですが、多分、ほとんどの日本人の人は「見る前に跳べ」を誤解していると思うんですよね。
多分、日本人の人は見つめる前に跳べというのを無茶しろという風に誤解しているんだと思います。それが日本のロックとか学生運動のあかんとこだったなと思うのです。
Leap Before You Look と聞いて外人の人が思うことは Leap of Faith です。日本だとLeap of Faith って調べるとやみくも的な信仰、盲信って、出てくるんですけど、キリスト教をバカにしているようで笑ってしまいます。普通盲信はblind faih で Leap of Faith って普通に宗教用語なんですけどね。
どういう意味かというと、神を信じなさい という意味です。神を信じて崖から飛びなさい。という意味で、崖から飛んだら、死ぬんですけど。要するに神を信じないと何も始まらないですよという教えなのです。
無茶をしろという意味ではないのです。それがだんだんと神の不在とかそういうことで、自分を信用しなさい、自分を信じなさい、という意味で使われるようになったということです。
映画『インターステラー』『インセプション』で監督のクリストファー・ノーランがLeap of Faith という考えを出してくるんですけど、それは自分を信じなさい、自分を信じないと何も始まらないというメッセージなんです。
60年代の日本のロック、カウンター・カルチャーがダメなのはこの誤訳だったと思うんです。見つめる前に跳んでみようじゃないかって、無茶をするというメッセージではなく、自分を信じなさいというメッセージだったのです。酒飲んで「ロックはよー、こうじゃないといけないんだよ」とグダをまいているオヤジを見て、僕はよく間違った解釈してるなと思ってました。ロック、カウンター・カルチャーとは自分を見つめることなんです。
あ、ボブ・ディランからなぜ日本のロックがダメなのかという話になってしまいました。ボブ・ディランは次回絶対書きます。ジャックスのライブ盤を聴いてジャックスを聴かなくなりましたが、その前に早川さんの本『ラブ・ゼネレーション』はよく読んでいました。60年代の日本がどうだったか、勉強するのにいい本だと思います。
早川さんのことは全く興味がなくなったですが、この本で読んだ早川さんんの名言、“美人喫茶に美人がいないのと同じようにように、フォークコンサートにもフォークソングなぞない。むろんロックコンサートでもそうだし、当然、歌謡番組でも、歌謡曲なぞ聞けない。歌は歌のないところから聞こえてくる”“線は伸びるが、点は爆発する”などが僕の思想を形成しております。
美人喫茶なんて昔はあったんですね。笑ってしまいますね。僕らの時代はノーパン喫茶でした。僕は行ったことないんですが、なんか今ノーパン喫茶やったら、流行るんじゃないかという気になってます。流行んないか、美人喫茶、ノーパン喫茶の次が、メイド・カフェということですか。次何流行るんですかね。それ、やりたいな。