『ボブ・ディラン自伝(原題 クロニクルズ)』ボブ・ディラン著/菅野ヘッケル訳 その2、ボブ・ディラン奏法
- 2018.07.06
- COLUMN FROM VISITOR
- カシミール, ボブ・ディラン, レッド・ツェッペリン, ロニー・ジョンソン, ロバート・ジョンソン
前回はボブ・ディランが今なぜあんな歌い方をしているのか、解説しようとして、変な方向に行ってしまいました。すいません。
で話を戻しますと、彼のことは『ボブ・ディラン自伝(原題 クロニクルズ)』を読めば全部書いてあるんです。と、これを書くの二回目のような気がします。すいません。
なんで、今あんな歌い方かと、自伝から簡単に説明すると、もう何十年も前の曲を何回も歌うのは辛いということだそうです。他の人たちはそんなワガママ言わずに人間ジューク・ボックスのようになって頑張っているのに。でもそのワガママがディランですね。
トム・ペティ、グレイトフル・デッドとやっている時も辛かったそうです。何万人もの前で途方にくれていた、もう引退しようと思っていたが、ある時、60年代初頭にロニー・ジョンソンというブルース・ミュージシャンから教えてもらった方法を彼を思い出して、それ以降それをずっとやっているそうです。
ロニー・ジョンソンというミュージシャンのことを知らない人も多いと思うが、あのロバート・ジョンソンもロニーから多くを学んでいます。
ロバート・ジョンソンという人はクロスロードで悪魔と取引して、ブルースの神様となったと噂される人です。要するに悪魔と取引というのはテクニックを教えてもらったということなんだと思います。
ロニー・ジョンソンがディランに教えたテクニックを自伝から引用するとこんな感じです。
“ロニーはわたしを脇に連れていき、偶数ではなく奇数を基本にした演奏法を教えてくれた。わたしにコードを弾くように言い、自らのギターでその方法を実演して見せた。彼はただ、その方法を知っていただけであり、さまざまな種類の曲をやっていたから、かならずしもその方法を使用していたわけではない。ロニーは「これはきっときみの役に立つ」と言った。当時のわたしにとって、ギターとは自分の考えを伝えるために弾くものだったから、彼のことばがピンと来なかったが、それでも何か秘伝を授けられように思った。”
“ロニーが教えてくれたのは高度に管理された演奏法だった。音階上の音が重要であり、音の数の組み合わせ方や、3連音符からのメロディのつくり方、リズムやコードの変化と音の必然的な関係などとリンクしていた。利点があるようには思えず、わたしはこれまでこの演奏法を使ったことがなかった。しかし、今になってそれを思い出し、この演奏法がわたしの世界にふたたび命を与えることに気がついた。この方法の効果は、作品のパターンとシンコペーションによってその程度が異なる。この方法を取り入れる人が多くいるとは思えない。なぜならこの方法はテクニックとは関係がなく、ミュージシャンとはテクニックの面で優れた演奏者になるために一生をかけるものであるからだ。シンガーでなければ、この方法には目を向けないだろう。わたしには、この方法を取り入れるのは容易だった。ロニーが明確に教えてくれていたので、その規則や重要な要素がわかっていた。この演奏法にそぐわないものを払拭できるかどうか、それが課題だった。わたしはこの方法をマスターし、それに合わせて歌えるようにならないといけない。”
みなさん、ついて、こられてますか?、僕はむちゃく面白いんですけど、この今ボブ・ディランがやっていることをこの前トーク・ショーで説明したら、みなさん、全員興味なさそうだったので、今回はボブ・神様・ディランの言葉で伝えることにしたんですが、伝わっているでしょうか?
簡単に言うと、ロックやフォークなどの曲はほとんど4/4で出来ています。ディランの曲もそうです。バック・ミュージシャンの方にはそのまま4/4の譜割で演奏してもらって、ディランは歌は4/4で作ったメロディを3/4で歌っているということです。
簡単に言うと今まで作っていた曲をワルツの譜割りでやっているということです。違うな、この解釈はなんだろう、とにかく、そうすることによって独特なシンコペーションを生むとディランは考えているんだと思います。
で、ボブ・ディランの今のライブを見ていて、独特なシンコペーションが生まれているかというと、よくわかんないす。
でも、それがディランなんです。
ディランもこれをやっている奴は少ないと書いているので、そんなことをやっている人はほとんどいないと思うのですが、この方法を使って作られた名曲といえば、レッド・ツェッペリンの「カシミール」です。ドラムが4/4でギターが3/4です。十二回に1回ギターとドラムのリズムが合うという離れわざをやっているわけです。こんなのジョン・ボーナムがドラムじゃないと出来ません。
でも、この曲はただのジャ、ジャ、ジャンと音が下がっていくだけのアホみたいな曲ですが、レッド・ツェッペリンを代表する曲の一つとなって、人を惹きつけるのは、こうした変なことをやっているからなんでしょう。
もうすこしボブ・ディランの言葉で説明すると。
“この演奏法のシステムは循環的に働く。偶数ではなく奇数を基準とするので、まったくべつの価値体系のもとで演奏していることになる。通常、ポピュラー音楽は2という数字を基準にして、構造や音色や効果や魔法を組み立てて区切りを作る。しかしその結果は概して発展性に欠けた貧弱なものでしかなく、せいぜい懐古的な意味でしかない。奇数を基準にした方法を用いれば、自動的にパフォーマンスに力を与え、時代を超えて人々の記憶に残るものとすることが出来る。事前に計画したり考えたりする必要がなくなる。”
“通常の音階方には、音階に八つの音が存在する。五音音階であれば、5つの音がある。通常の音階を例にとれば、区切りに合わせて2、5、7の音を鳴らし、それを繰り返せばメロディが形成される。かわりに2を三回鳴らしても、いいし、4を一回、7を二回鳴らしてもいい。ヴァリエイションは無数にあり、それを行うたびに異なるメロディが生まれる。可能性は無限にある。歌自体がいくつもの顔を持つようになり、音楽的な慣習を無視することができる。この方法であれば、ドラマーとベース奏者さえいれば、足りない部分があっても問題ではなくなる。音と音のあいだやバック・ビートのあいだに、想像力のなすがままに音を差しはさんで対位的な旋律をつくり、歌っている声と対照を見せることもできる。魔法でもないし、技巧的なごまかしでもない。現実的な方法だ。
わたしには、この方法は非常に有効であるように思えた。何を歌うにしても、歌っている作品の構造を調整する巧みな設計図となるだろう。聞き手は即座に、その相乗関係の効果に気がつき、それを感じとるはずだ。”
でも、こうやって長々とボブ・ディランの現在のライブの歌い方のテクニックを書きましたが、これから分かるのはあの当時、譜割りがおかしい、字足らず、などと色々と批判されたボブ・ディランの名曲がこういう感じで作られていたのかという説明書を読んでいるようで、何回読んでも楽しくって仕方がないのです。
このボブ・ディランの説明は“わたしは、数字が神秘的な力を持つという説を信じる者ではない。数字の三がどうして数字の二より力を持つのか分からないが….”という神秘主義の話に流れていくのでもうやめておきます。そして、実はこれからが本題なんですけど、そうなんです、これ前振りなんです。
ボブ・ディランの一番の謎、なぜ一度引退したかということです。僕はこれをずっと、神様のように祭り立てられて、色んな人間が神様に教えを伺いに来るとかがうっとうしくって、やめたんだとずっと思っていました。日本の岡林信康なんかもそれを真似して引退なんかしてたわけです。岡林さんの引退の理由はライブが終わった後に、コンサートの主催者である労音(労働組合系の音楽鑑賞団体)との討論会が開かれることに嫌気が差すようになったからだそうですが。
自伝ではこの頂点に立っていた時の突然の引退について、たった一言“自分がやることは家族を守ること”とだけ書かれていて、僕もさらっと流していたんですけど、はたと気づいたんです。当時ボブ・ディランは公民権運動の若きリーダーですよ、それって、今の状況と考えると、すごいネトウヨからの嫌がらせがあったんじゃないかと思うのです。当時はネトウヨなんかいないですけど、それに似た人たちからの脅迫の電話、手紙は凄いものだったんじゃないかと思うわけです。そんな人たちから家族を守りたいと思ったとしても、普通のことじゃないかと思うわけです。
この辺の本音を書いていてもらえると嬉しいのですが、そういうことには一切触れないのがディランなのです。
ここ何ヶ月もディランのことばかり考えているんですが、全然飽きないんですよね。スティーヴ・ジョブスが音楽はディランしか聞かず、ディランと付き合っていたジョーン・バエズと結婚までしようとしたアホなことが僕にはよく分かります。
ディランさえいれば僕は何もいらないんです。本当はね。
フジロックの来日楽しみです。