第10回 『ポール・マッカートニー – メニー・イヤーズ・フロム・ナム』バリー・マイルズ(著)松村雄策(監修)竹林正子(翻訳)

『ポール・マッカートニー – メニー・イヤーズ・フロム・ナム』バリー・マイルズ(著)松村雄策(監修)竹林正子(翻訳) 
Amazonで商品を見る

 

ボブ・ディラン、ニール・ヤングというロックの神様の自伝を紹介してきたので、ここらで、次はビートルズの自伝を紹介したいと思って、ポール・マッカートニーの自伝『ポール・マッカートニー – メニー・イヤーズ・フロム・ナム』を読み直したら、全然自伝じゃなかったです。

 

読んだ時は結構色んなことが赤裸々に語られていて、そうだったのかと感動しまくっていたのですが、ディラン、ニール・ヤングの自伝を読んだ今となっては、全然物足りないものになってます。アーティストの自伝の世界もどんどんと進化して言っているんだなと思う限りです。

 

というか、昔はミュージシャンの人が自伝を書くということがなかったわけです。ゴースト・ライターが書くというのが普通で、ビートルズのジョージ・ハリソンの自伝『アイ・ミー・マイン』も 400ページ中、自伝の部分は70Pしかなく、いったい何があったんだとしか思えない。ジョン・レノンについては一切語られず、なんかジョンにトラウマがあるんじゃないかと勘ぐってしまう。ジョージがトラウマがあるとしたらポールのはずなのに、不思議な不思議なビートルズなのです。

これは映画『レイト・イット・ビー』で「こうしたらいいよ」とサジェスチョンするポールに「あんたの気にいるようにプレイするよ、それとも僕に演奏して欲しくないんだったら、止めるよ。」とブチ切れるジョージ。このシーンがある限り映画『レット・イット・ビー』はDVD化されないと思っています。それかポールが亡くなるまで。縁起でもないですけど。

 

映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で、チャック・ベリーがキースに「キャロル」のイントロの間違いを指摘し、恥ずかしくなった&25年以上その間違いで(チョーキング・アップから入るか、チョーキングしながら入るかの違いで、正確に言うと間違ってないんですが、チャック・ベリーがやるようにチョーキング・アップからダウンした方がかっこいいですけど)プレイしてきたから、癖がついていて、2、3回間違えて、ブチ切れるキースと並ぶ、怖いシーンです。このシーン昔はユーチューブで見られたんですけど、今は見つけられなかったです。キースが削除しまくっているんですかね(そんなわけない)。

 

しかし、キースは偉い。いつも自分のバンドを持たず、適当なバンドとプレイし本当のチャック・ベリーの姿をほとんどの人が知らない、これは嘆かわしいことだと思ったキース・リチャードが、自ら最高のメンツを集めて、チャック・ベリーのバック・バンドを結成して、チャック・ベリーに最高の舞台を作ってあげるという映画自分の神様のチャック・ベリーのために一生懸命やっているのに、神様はそれを全く理解せず、こんな酷い仕打ちをしているのに、よくチャック・ベリーを殴らなかったなと思います。

 

ちなみにキースはチャックに殴られてます。楽屋から女性を連れて出ようとするチャック・ベリーに挨拶しようとしたら、その女性の彼氏と間違えたのか何なのか分からないのですが、振り向きざまに殴られました。

 

とんでもないですよね。普通こんな過去があって、あんなことみんなの前で指摘されたら殴ってます(いや、殴ったらダメですよね)。キースの夢は「いつかこの借りは返すぜ」なんですけど、映画の中で、「チャック・ベリーはロックンロールを発明したと言われているけどよ、チャックの曲はB♭とかギターのキーじゃないよな、ピアノで弾きやすいキーで作られている。チャックとずっと一緒に活動していたピアニストのジョニー・ジョンソンのことを忘れたらいけないぜ。ここを注目しないとな」と言うくらいです。どんな映画や。

 

ジョージに関してはこの自伝を読むより、ジョージ・ハリソンのドキュメタリー映画『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』か、ジョージ・ハリソンの元妻パティ・ボイドの自伝を読む方がいいです。

 

ジョンの自伝も読みたかったですね。ポールもバンド活動が落ち着けば、自分でちゃんと執筆するかもしれないですけど。でも、ポールは全部話を作るからな。この『ポール・マッカートニー – メニー・イヤーズ・フロム・ナム』でもポールが2度目のLSDをやった時の話がむちゃくちゃいいエピソードとして書かれているんです。

 

『サージェント・ペッパー』のセッション中の1967年3月21日、ジョンとポールとジョージはアビィ・ロードの第2スタジオで「ゲティング・ベター」のヴォーカルのオーヴァーダビングをしていた。ジョンはリバティで買った銀製のあーる・ヌーヴォーのピル・ケースを取り出して、クスリを選んでいた。ポール「ケースを開けて、慎重に選んでいたよ。『ふーむ、次は何を飲もうかな』。この晩、ジョンは間違ってアシッドを飲んで、トリップしてしまったんだ」。

ジョンはジョージ・マーティンのいるブースに行き、気分が悪いと訴えた。『サマー・オブ・ラブ』(ジョージ・マーティンによる『サージェント・ペッパー』のドキュメタリー本)のショージ・マーティンはこの日のことをこう記している。「ジョンは突然私を見上げて、『ジョージ、気分が良くないんだ。自分自身がずれてる感じだ』とゆっくりと話した。『ジョン、新鮮な空気でも吸って来たらいい。屋上に案内しよう」と私は答えた」。ジョンが星がどんなに素晴らしく見えるかを語っていると、ポールとジョージが屋上に飛び出して来た。ジョンがトリップしていると知っていた二人は、ジョージ・マーティンがジョンを屋上に連れて行ったと聞いて、心配してやって来たのだ。空を飛べると錯覚して、屋上から飛び降りることがあってはいけないと心配してのことだ。

ジョンはローリング・ストーン誌にこう語っている。「スタジオでやったことはない。いや、実は一度だけ会った。アッパー系のクスリを飲んだつもりだったのに、実はそんなこともおぼつかない状態で・・・・・突然マイクの前で恐怖に襲われた。「どうしたんだ?気分が悪い・・・・・』と言っていたよ」。

セッションは中止された。どういうわけかその日、ジョンの車はなかったので、悪いトリップ状態のまま帰宅したがらないジョンを、ポールはカヴェンディシュ・アヴェニューの自宅に連れて行った。

 

ポール「今こそ彼とトリップするべきかもしれないと僕は思った。ずっと長いこと考えていたんだ。余り深く考えずに足を踏み入れるのが、最良の方法かもしれないね。ジョンはもうトリップしていたから、彼に追いついてみようって気持ちだったんだ。ジョンとは初めてのトリップだったよ。バンドのメンバーとトリップすること自体、初めてだった。ものすごい夢うつつの状態で一晩中起きていて、座ったまんまでいろんな幻覚を見た。

僕とジョンは長い付き合いだろう。ジョージとリンゴも入れて、僕らは親友だった。だからお互いの目を見つめて、昔からやってたみたいにアイ・コンタクトをすると、頭がぶっ飛びそうなんだ。互いに相手に溶け込んでいくんだよ。あの頃の僕らはよくこれをやったなあ。驚異的なんだ。互いの目を見つめ合う。目をそらしたいと思っても、じっと見つめる。そしたら相手の中に自分が見えるんだ。ぞっとする経験でさ、僕は完璧にぶっ飛んだ。・・・・・」”

 

以降、まだ半ページに渡りジョンとのLSD体験が語れるわけです。とっても素晴らしい体験、まさにLSDという感じなんですけど、じゃなんで、『レイト・イット・ビー』の時にジョージの気持ちが分からなかったと思わず突っ込みたくなるんですが。

 

この日の出来事はさっき紹介したジョージ・マーティンの本にも書かれていますし、ビートルズのエンジニア、ジェフ・エメリックの『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』にもばっちし書かれているんです。でも誰もポールがジョンと一緒に帰ったとは書いてないんです。この日のことをなぜみんながよく覚えているかというと、ジョンが帰った後に、ジェフ・エメリックの先輩、元ビートルズのエンジニアであるノーマン・スミスが彼がプロデュースすることになったバンド、ピンク・フロイド(ノーマンはプロデューサーになるために、ビートルズのエンジニアという名誉ある仕事を辞めた。当時アビー・ロード・スタジオを経営していたEMIの規定で、プロデューサーという役職とエンジニアという役職を兼任出来なかった。めっちゃ会社でしょう)を連れてきたからだ。ジェフ・エメリックはこう記憶している。

 

“ジョンはすぐさま家まで車で送られることなり(何回も車って出てきますが、この車って、あの有名なロールスロイスですよ。この頃はまだサイケ・ペイントされてないですけど。免許がなかったジョンはいつもお抱え運転手に運転してもらっていた)、セッションもほどなくお開きになった。

少しして、みんなが荷物をまとめて出ていこうとしていたところに、ピンク・フロイドのメンバーを連れたノーマン・スミスがあらわれた。この夜の彼はいつものスーツにネクタイではなく、派手な紫のシャツの姿だった。

残念ながら、彼とその秘蔵っ子たちは、ポールとジョージ・ハリソンにひどく冷たくあしらわれてしまう。たとえかつての仕事仲間がふくまれていようと、招かれざる客は基本的に歓迎されなかったのだ。何分かぎこちない会話を交わしたのちに、ノーマンはドアから出ていった。

ぼくが居合わせたビートルズのセッションに、彼が顔を出すのはその時が最後となる。彼らに関するかぎり、ノーマンとの日々は、明らかに終わってしまった賞だったのだ。”

 

ポール、話盛りすぎでしょう。でも、それがポールなんですよ。サービス精神旺盛。しかし、ぼくはポールはLSDをやっていないと思うんですよね。一回も。これがぼくにとってのビートルズの一番の解散原因かなと思っているんです。ジョンとジョージが一緒に初めてLSDをやったことは有名な話です。ビートルズすごいですよね、いつ初めてLSDをやったとか全部分かっているんですから。マリファナを始めて吸った日も全部分かっているんです。ちなみに始めてマリファナを吸ったのは、始めてボブ・ディランと会った日、教えたのはボブ・ディランです。この時はメンバー全員で一緒にやっています。でもLSDをやったのはジョンとジョージだけなのです。乱行パーティーをやりたかった歯医者さんに黙って飲まされたんです。酷いでしょ。この時、ポールも居たら、ビートルズは解散しなかったと思うんですよね。インドに行くのも、マリファナ吸うのも全部一緒にやっていたメンバーが、LSDだけは別々にやってしまったのです。

 

インドに一緒に行くとかすごいでしょ、今だったオウムに入るくらい叩かれることですよ。半分くらいは叩かれていたんですけど。

 

 「恋を抱きしめよう」という曲があるんですけど、これよく聞くと、LSDをやれ、世界が変わるぞ、悪いことかもしれないけど、いいことだぞとしつこく言ってくるジョンにポールがそんなのなしでも俺たちやっていけるぞ(原題の「We Can Work It Out」ですね)、そんなものやって自分たちが築いてきたものが一夜にして崩壊してしまぞと歌っている歌なんです。
 「恋を抱きしめよう」はビートルズ初の両A面シングルで、反対側は「デイ・トリッパー」なんです。本当に凄いバンドです。

 

『ポール・マッカートニー – メニー・イヤーズ・フロム・ナム』の紹介をしようと思ったのに、話が変な方向にいってしまいました。『ポール・マッカートニー – メニー・イヤーズ・フロム・ナム』は今は廃本なんで、中古でしか買えないんですけど、ビートルズがどんだけ凄いバンドだったか二番目に分かる本なので読んでみてください。

 

ちなみに一番はジェフ・エメリックの『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』です。次回はこの本を紹介したいと思います。