カレー屋店主の辛い呟き Vol.12 「あるライブハウスのはなし」
- 2018.12.03
- OSAKA
- DJ AGEISHI, MONTAGE, 桜川
大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。
朝晩かなり肌寒くなってきましたね。当店でも、ついに唯一の暖房器具「アラジンのストーブ」に火を灯す事となり、これからの長い冬を考えると気が重くなる季節でございます。
まぁ酔ってしまえば関係ないってコト。
まずは、お客様にアツアツのおでんをおススメして、いやスパイシーなカレーでも。寒さを誤魔化しつつの、酒。トークを盛り上げつつの2杯目、3杯目…。ほら、寒さなんか気にならないでしょ!!という冬のルーティーン。これで2回の冬を乗り切ってきた訳だしね。
「いや、寒いものは寒いだろ!」って言うミナサマ。フジロックでも言うでしょ「自分の事は自分で」って。ご来店の際には、寒さ対策は万全に!(そんなには寒くないけどナ)
今回もダラダラと書き始めてしまいましたが、ミナサマ元気でお過ごしですか?
さてさて、今回は。先日、街でばったりと懐かしい仲間に会い、その当時のコトが濃厚な記憶ともに鮮明に蘇ってきたこともあって少し昔語りをさせていただきますね。
これは、約10年ほど前に大阪・ミナミの奥座敷「桜川」のビルの2Fにあったライブハウス&クラブの約4年で終わった、その短かくも濃密な歴史のお話。
その名前は「MONTAGE」と言います。
ことの始まりは突然でした。ある日、桜川の辺りを歩いていると旧知の知り合いから「久しぶり!ちょうどよかった!ライブハウスあるねん!今閉まっているけど…」と声をかけられました。「こんなところにライブハウスあったっけ?」と思いながらぼろい雑居ビルの2Fに上がると、大量のガラクタと共に、PAの機材や照明、奥にはステージ、3Fには楽屋…。「な。ライブハウスやろ?」「今なら家賃だけ払ってくれたら~~。後のことは~~むにゃむにゃ」
生きていると多かれ少なかれ、今決断を迫られる事ってありますよね。
ある登山家は言います「そこに山があるから登るのだ!」と。その時の僕の心境もこうだったのです。「そこにライブハウスがあるからやるのだ!」ある日突然目の前にライブハウスが現れる事あんまりないですしね…。
突然ライブハウスのオーナーになってしまったワタクシ。お金も全くないので、DIYで店を改修し始めることとなります。友人知人の協力を得ながら、手製で防音材をつくり、機材をメンテナンスし、床を塗り替え、電気工事をし、バーカンを作り…。約2ヶ月の後、気がつけば「montage」は復活していました。
この時のDIYの精神と楽しさが、後のこの小屋の思想となり、月日を重ねるごとにその思想はどんどん深化していくこととなります。無ければ作れば良い。その面白いイベントが無ければ面白く作れば良い。バンドをブッキングするだけではなく、イベントを毎日作る。イベントごとに店内のデコレーションをし、FOODやいろんな仕掛けをイベント毎に考え…。単なる数バンドが順番にライブをするような通常のライブハウスの日常は姿を消し、どんどんエスカレートしていくことになります。僕を含めたメンバーは家に帰らず取り憑かれたようにその作業に没頭していきます。最終的には家に帰らないのだから家いらんやろー、金銭的にもーと次々と家を失うという…。ワハハ。こう書くとある種どっかのカルト宗教団体!!のようにも思えたりしますが、単純に楽しかっただけなのです。
そして、そんな熱に共鳴するように個性豊かな出演者達やオーガナイザーが集まってきます。
ある時期のラインナップはこんな感じでした。
例えば月曜日は、日本が誇るリビングレジェンドDJのAGEISHIによる「HAPPY MONDAY」。ラウンジスタイルでGOODミュージックをAGEISHI氏+ゲストDJでかけるゆるーいパーティーとしてスタートした訳ですが、どんどん終了時間も気がつけば翌朝10:00頃まで伸び、ゲストDJも近くに住むDJさん達から、THEO PARRISHやIDJUT BOYS、TODD TERJEなどの世界的DJが微妙にシークレットでゲストDJとして参戦する良くわからない状況に進化していきます。だって週末に1000人の前でPLAYしたDJさん達が、3、40人の前でペロッとDJしているってね。
今考えると一緒に遊んでくれていたプロモーターさん達や、酒代ぐらいで参加してくれていたDJさん達に本当に感謝。月曜日の晩から面白いくらいの熱狂が生まれ、気がついてくれたお客さん達もそのまま仕事場へ直行という状況。後に、AGEISHI氏はDJ生活34周年を記念して34hset(34時間DJやりっぱなし。でもMIXも出音も一定を保ち続けるという…。これってすごいことなんですよ…)を敢行。もちろんスタッフも34h+準備の数時間を一緒に過ごすことになったのだけど。音楽バカ、パーティーフリークばっかりの、いとおしくなる様なパーティーでした。
火曜日はアカペラグループの帯イベント、水、木とバンド系の企画もの。週末にはDJもの、DUBやSKAのライブからバンドモノの企画、ファッションショー、トークショー、地下アイドルのライブなどが混然と並ぶカオスなラインナップ。店が無くなり約10年ほど経ちますが、ここまで訳のわからないラインナップは見たことがありません。まぁ見ない理由はわかりますけどネ…。後で書きますけど。
スタッフも個性豊かな面々が揃っていきます。後に人気企画となる「モンタージュ漫画家イベントシリーズ」をやり続ける事になるハヤマックスくん。彼との出会いも強烈でした。織田無道、AV女優、地下アイドル、どっかの雑誌の記者が一同に会すイベントの日(どんな…)主催者が会場に現れず(現実にあったのです)、何も聞かされていない演者達と途方にくれていると現れたのが彼。「netで手伝ってって言われたんですよー、あったこと無い人にー」という彼にとりあえず全員で「今日どうすんねん!!」と罵声を浴びせ、「僕も何も知らないですぅ」という彼を尻目に何とかイベントを終了させた打ち上げの席でスタッフ入りが決定。その後、「僕もイベントやってみたいです」「漫画家さんってどうやって呼ぶんですかね?」「いやわからんわー」というやり取りの後、なぜか漫画家和田ラジヲさんの連絡先を入手して、自宅に突撃してブッキングを取ってくるというミラクルを起こしてスタートする「漫画家イベント」をやり続け、気がつけば何故か彼自身がヤングアニマルに連載を持つ漫画家になってしまうという可笑しなストーリーを展開し続ける事になります。
漫画家さんだけのバンドが一同に集った一夜。何か面白いことやるやろと期待する客と、まじめにバンドをする漫画家の先生たち。そのギャップでふわっとしたイベントに!
さてさて。
いろいろな方に迷惑とかけながら濃密な時間を送っていた私達でしたが、約4年で終焉を向かえることとなります。原因は単純に経営不振と突発的な出来事が重なっての事ですが、今思えば取り憑かれた様にイベントを行ってきた僕達の金属疲労みたいなモノが溜まって限界を迎えたような気がします。不思議と喪失感はなくてやりきった感しかなかったような…。
バラバラのラインナップを思い出してみても、ジャンルとかでは無く、求めていたのは同じ深さ。もちろん来るお客さんにもだけど。そんな同じ深さを持つ人達が一同に会したときの爆発的な熱狂に取り憑かれていたのかもしれません。まぁ簡単に言うと小屋をやり続けるために、やりたいこととやらなあかん事があって、やりたいことだけを全力でやりきってもーたなと。
世の中のライブハウスやイベンターの皆さんは、その中でバランスを取りながら僕たちが楽しめる場所をキープし続けてくれてるんだなと改めて思います。いつまでもあるのが当たり前じゃないので。なので、ライブの場ってある種奇跡のタイミングな訳でとりあえず全力で楽しまなと思うわけです。
もし、昔の自分のように「ライブハウスをやります!」って人がいたら、全力で「やめとけ」と言いつつも、「実は、トラウマになるぐらいオモロイけどな」と腹の中で思っておきます。周囲の「やめとけ」を超えて、オモロイ場所を作ろうとする勇者の出現を期待しながらおっさんはカレー作りに励むとします。