第15回『聴かずに死ねるか!小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事』共著 麻田浩 奥和宏

今月はこれを紹介しないで何を紹介するです。このコラムを書かしてもらっているスマッシュ・ウエストさんとも関係の深い麻田浩さんの『聴かずに死ねるか!小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事』です。

『聴かずに死ねるか!小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事』共著 麻田浩 奥和宏

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もちろん、スマッシュ・ウエスト所長、南部さんの話も出てきます。

 

麻田さんがいなければ、きっとスマッシュもなく、フジロックみたいなフェスは日本で復活せず、日本のロックはただの歌謡曲、もしくはアンダーグラウンド・ミュージックとなっていたと思っています。

 

それくらい偉大な人なんですが、なぜ麻田さんは今スマッシュのように業界NO1として突っ走っていないかということが書かれた本です。

 

いや、そんなことは書かれてないか。

 

麻田さんはよく分かっておられる。本に出てきますが、ユーミンさんにこう言われてます。「麻田くん、一歩前いっちゃダメよ、半歩前ね」そして、麻田さんの答えは“分かっているけど、一歩前行っちゃうんだよな、好きだから、やりたいから”と。

 

まさにそういう人なのです。早すぎた男。

 

いや、いや、違うと思います。日本だったから、麻田さんは成功しなかったのです。海外だと一歩前じゃダメですよね。二歩も三歩も前を行かないと生き残れません。

 

でも、これも違うか、麻田イズムを継承した日高さんは大成功したのですから。

 

“麻田イズムを継承した日高さん”なんて書いたら日高さんに怒られるかな、まっ、仕方がないか。

 

僕はずっと日高さんと麻田さんの関係性がよく分からなかったのですが、この本でやっと理解しました。

 

本を読んで貰えれば分かるのですが、トムス・キャビンを倒産させた麻田さんはゴダイゴの事務所で日高さんと出会い、二人はその事務所を辞めて、スマッシュを作る。その頃の麻田さんはアーティストの招聘にはそれほど興味がなく、儲かるためには権利の仕事をしないといけないということで、SIONのマネージメントを始める。逆に日高さんは招聘の仕事にノメり込んで行く。そして、二人は袂を別つと。

 

知りたかったことが書かれていて、すっきりしました。

 

本人に訊けよ、ですが、なんとなく訊きずらいじゃないですか、思っきし二人喧嘩してたら、どうしようと思ってました。よかった、よかった。じゃ、今日はこの辺で、違う、そんなことじゃない。

 

麻田浩さんの一生面白かった。死んでないちゅうねん。麻田さんの人生を変わりに生きたいと思いました。

 

びっくりなのはガス・ライト、ケトル・オブ・フィッシュ、フォーク・ロア・センターに普通に行っていたことです。しかもボブ・ディランでさえあまり相手にしてもらえなかったフォーク・ロア・センターのイージー・ヤングと親しくしゃべり、椅子を置いたり、片ずけを手伝ったら「ライブ観ていっていいよ」と、30人しか入らないお店でジョニ・ミッチェルやティム・バックレーを観ている。

 

この辺の感覚を知りたい人はアマゾンが作っているドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』を観れば、忠実に再現されてます。麻田さんが行った67年より6年前くらいの話で、ボブ・ディランが出てくるちょうど前、もしくは同時期の61年くらいに設定されてます。物語はフォーク・シンガーではなく、ガス・ライトでコメディアンとして成功したい主婦の話ですが。

 

アマゾンがなぜこんなドラマを作っているかというと、ガス・ライト、ケトル・オブ・フィッシュ、フォーク・ロア・センターがむちゃくちゃ重要なのです。この界隈からアメリカの新しい文化が生まれたと言ってもいいくらい需要なのです。それをアマゾンはよく分かっているから、凄いお金をかけて再現しているのです。そんな場所に麻田さんはいたのです。

 

それをさらっと書いているんです。

 

“ジョン・ハモンドというブルース・シンガーはライブもよく観たけど、ケトル・オブ・フィッシュで何回か話したこともあった。そのジョン・ハモンドに、「いままでいっしょにやったギタリストで誰がいちばんよかった?」と聴いたら、「今イギリスにいるジミ・ヘンドリックスっていうのと、ディランといっしょにやっているロビー・ロバートソン、その二人だ。」と言っていた”

 

これ麻田さんも編集の人も気づいてないのか、なんなのか分かんないですけど、このジョン・ハモンドって、あのボブ・ディラン、ビリー・ホリディ、ブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエン、カウント・ベイシーなどなどをプロデュースしたジョン・ハモンドの息子ですからね。

 

前に紹介したボブ・ディランの自伝にも麻田さんと同じようなことが書かれてます。

 

最後はこれでしめたいと思います。

 

“私は午後にカフェ・ホワッ?に行くのをやめた。二度と足を踏みいれなかった。フレッド・ニールとも会わなくなった。カフェ・ホワッ?に行くかわりに、アメリカのフォークソングの砦、フォークロア・センターに通いはじめた。フォークロア・センターもやはりマクドゥーガル・ストリートのブリーカー・ストリートと三番ストリートのあいだにあった。階段を上がったところにある小さな店で、古めかしい魅力にあふれていた。古い礼拝堂のようでもあり、小さな研究所のようでもある場所だ。フォークロア・センターはフォーク・ミュージックに関係あるすべてのものを売ったり告知したりしていた。大きな板ガラスの窓にはレコードと楽器が飾ってあった。

ある日の午後、わたしは階段を上がってフォークロア・センターに行き、なかをぶらついて店主のイジー・ヤングに会った。ヤングは古いタイプのフォーク・ファンで、人を批判するのが好きだった。(中略)イジーにとって、フォーク・ミュージックは黄金の山と同じだった。わたしにとっても同じだった”

 

これと同じ体験を麻田さんはしているのです。そして、日本で初めてこの黄金の山を教えてくれた人です。

 

麻田さんが呼んだエルヴィス・コステロの御堂会館、ストラングラーズ、トーキング・ヘッズ、XTCの京大西部講堂、エリオット・マーフィーの拾得、B-52’Sの磔磔は僕にとって初めての黄金の山でした。

 

若い人たちよ!この本を読んで、第二の麻田さん、日高さん、南部さんを目指せ。

 

本によると中国では第二の麻田さん、日高さん、南部さんみたいな人たちが出てきてるみたいですね。日本はデフレのせいで、自分たちのことが精一杯で、海外の新しい文化を丸ごと持ってきてやるぜというところまでいかないんですかね。いつか麻田さんとゆっくり話てみたいものです。