気分はどうだい? Vol .16 <読めども、聴けども….>
- 2019.03.03
- COLUMN FROM VISITOR
- AMラジオ, アナログ・レコード, アナログコネクション, ディラン解体白書, ラジオ関西, 中山康樹

2月に入って誕生日を迎え、考えられない年齢の一歩手前になったのか読む本も割とそういう関係の本ばかりになってしまっています。もちろん今まで読んでいなかった本や評論など手当たり次第に読んで入るのですが。寒かったこともあり家に籠もりBBCやLAやNYのNETラジオをかけっぱなしで読む毎日が続いています。(向こうの時間帯によって聴く番組を変えています)で、そのラジオのことなどについて最近思っていることを・・欧米のこういうラジオを聴いているとますますフェイスブックやツイッターが世界と同時、生で繋がっているというのが分かってほんと面白いです。やはり日本のラジオでの音楽(ロック)は情報が遅いというかそういった情報を流す番組もないし、全然おもしろくもないし、昨今の日本のTVと同じで興味が全く薄れています。別にクラシック・ロックばかりを聴いているわけでもなく、昔ながらの日本の音楽番組にも飽きてしまっているのが現状です。そして昔の音楽評論なんかも実に陳腐なのがよく分かる時代になり、60年代に発売されたレコードの再評価的なことなども今更という感じなのです。その時代を知らない若いリスナーに向けてるわけもでもないし。向こうのラジオ局は新しいアーティストをドンドン紹介するし、そのアルバムなどを試聴するページなんかも有り、その辺の考え方が未だにビニ本的な発想の日本とは違うようです。もちろん直接それらの情報を得ている人も多くいると思うのですが、現状一日仕事についている働く若者は無理なのかも分かりませんが。僕が今だに音楽の仕事をしているからそういう風に考えるのかも分かりません。もっと言えば音楽(ロック)はもう既に一部の人達だけのものになっているのかも分からないし、ロック好きだった老人も以前自分たちが経験してきた自分達の時代の音楽だけで十分満足しているのかも分かりません。当時持っていなかったビートルズのデラックス版が出たから買おうみたいな・・さらに日本のラジオに関して言えば音楽番組と呼ばれるのものがないような・・まだ良く音楽をかけている、例えばNHKの深夜便にしてもポップス、歌謡曲、演歌や当たり障りのない欧米スタンダードばかりがかっているだけ。FMにしてもロックを知らない若いスタッフが多いせいか選曲に関してはいまいちだと思うのです。ラップやヒップホップ、ハードコアばかりをかけるわけにはいかないし、それすら知らないし。BBCなんかではその辺りがDJによって関係なくかけている気がするのです。イギーポップが担当する番組があったりするわけだから。かけた曲のリストも曲と同時に表示されるし、その日にリリースされた新譜もドンドン紹介されるし・・面白いのです。そしてそれがフェイスブックなりと当たり前のようにリンクしているわけです。今、雑誌kotoba(コトバ) 2019年 春号で「日本人と英語」という特集が組まれていますが、音楽番組の英語なんて別に哲学や政治を言ってるわけでもなく聴いていれば分かってくるようになるのですが。意外と聴いていないのですね。昔のミュージシャンは<FEN>を聴いていたという人が多いのですが同じことなはずです。言わないだけで、ずっとそうですよ。という人も多いのかも分かりませんが。で、現在神戸のラジオ関西でアナログ・レコードだけをかける音楽番組をやっているのは以前にも書いたのですが、5年間やってきて、やっと色々なロックのリクエストが来るようになりました。ラジコの普及も大きいのかも分かりませんが、当初はAMラジオとうこともありごく普通の音楽好きのリスナー達が聴いていたのでしょうが(もちろんその頃からのリスナーも多い)来るリクエストがど真ん中のヒット曲ばかりだったのが、この番組独自のコーナーでこちらが選曲した曲を我慢強く提示していけば番組の色というか方向が理解されたのか同じアーティストであっても違う曲、例えばあのアルバムのB面の2曲目のこの曲とかシングルのB面にリクエストが来たり、リスナーもいろんな曲をリクエストしてくれるようになりました。多分、ロックをよく理解しているレコードコレクターや今だにロックを聞き続けている連中が聴いてくれるようになったのではと思うのです・・かけているのは別に特殊な曲ではないのですが(スマッシュ・ウエストの南部氏がゲストの時にはナパーム・デスがかかりましたが)・・ただロックをそんなに知らないリスナーも楽しんでくれるようにも努めて選曲をしています。皆楽しんでいてくれているみたいなので、当初からやりたかった番組の形になってきたのをスタッフ一同実感しています。ところで本当は冒頭に書いたように最近読んだ老人本のことを書こうと思ったのですが次回あたりに、読んだ本のリストの一部だけでも、みなあっけらかんとした明るい本でした・・「神も仏もありませぬ」「死ぬ気まんまん」 佐野 洋子「あと千回の晩飯」山田 風太郎 「吾れ老ゆ故に吾れ在り・老いと性と人生と」波多野 完治「生き上手 死に上手」 遠藤 周作 「老いるとはどういうことか」河合隼雄、など。

で、レコード収集の方ですが・・最近買うレコードなどはもちろん持っていなかったやつだとか買い戻しだとか(同じアルバムであってもバージョンが違えば買ってしまうのです)例えば昔から大好きなボブ・ディランでいえば、オフィシャルのアナログ・レコードはほぼあるので、日本の編集版を買うようになり、結構増えてきたのです。現在はよっぽどのことがない限り日本独自の編集版は出ないのですが・・当時70初期のファミリークラブ向けの編集版だったりするのですが、凄くガッシリとしたボックスに入っていたりします。それに欧米のオリジナルに比べて安いということもあるのですが(誰も興味がないのかもですが)あのディラン・フリークのみうらじゅん氏でないにしてもの彼の収集癖に似てきた気がします。あとディランで言えば入門書的な「今から始めるのディラン」みたいなやつはほとんど読まないのですが、最近、元『スイングジャーナル』編集長で「ディランを聴け」とか「マイルスを聴け」などの本を出している中山康樹氏の「ディラン解体白書」というディラン本が面白かったです。まー2時間ぐらいで読めるのですが、知らなかったことが一つだけあったのです。「シャルル・アズナブールの影」という項でディランのあの唱法、歌い方をウッディー・ガスリーやプレスリーの歌い方ではなく、シャルル・アズナブールの歌い方をヒントにし模倣したのでは(ディランの昔のシャルルについて触れているインタビューや62年にカーネギーのコンサートを見に行ったことなどから)という推論が凄く面白くもしディランがジャズをやればこんな感じになるのではとシャルルのジャズアルバムを上げていて、現在フランク・シナトラなどのカバーアルバムを出しているディランを予見している感じなのです。(聴いてみるとなるほどそうかとも)中山さんは2015年に亡くなられたのでもちろんノーベル賞もそれ以後のディランの新譜も知らないのですが。まだまだ謎の多いディランだからこその話として凄く面白かったです。しかし、読めども、聴けども、まだまだ知らない本、知らないアーティスト、知らないレコードだらけ・・です。
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