カレー屋店主の辛い呟き Vol.17

「長いよGW」

大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。
ミナサマお元気でしたか?

気がつけばGW。
しかし、ほんとに10連休なんですね。ウチみたいな、地元密着型の裏路地店舗にとっちゃ単純に営業日が減るだけなんだよな。仕方ないからあっちゃこっちゃに仕事ない?って連絡したら、意外と仕事をもらえたり。ずーと仕事してる訳ですよGW。どこがゴールデンなんだか…。
原稿書くのも遅れてしまった…。ごめんなさい南部さん。

さてさて。今回は2本立てです。

■アル・ヤンコビック!!

個人的に火・木・金のランチの営業終わり何を食べるかって意外と重要で、ついでに夜の買い出しでもってなると必然的に買い出し先のある空堀の商店街の周りで食べることが多いわけです。
そんな時、やはりメシ食べて、一杯飲んで、なんやかんやで1000円ちょっとという空堀の「そのだ」さん。ありがたい存在なんですね。

大阪では誰もが知ってる有名店。フジロックにも出店してるので他のエリアの人も知ってる人多いのですかね。夜や週末はガーっと入店待ちの列が並んでるこのお店も、平日のお昼は適度な入り。先日も、友達のケンちゃんがランチに来てくれたので一緒に一杯飲みに行った訳です。そして最近ヘビーローテーションしているメニューがコレ「厚揚げ丼」。

ご飯の上にドーンと乗る厚揚げ。お味噌汁と一品(ポテサラの時はラッキー)が付いて450円(だったかなー?)。酒のアテとしての厚揚げの機能を持ちながら、昼ご飯として十分な量のメシ。

レモンチューハイを2杯頼んで、あと一品頼んでも1500円で十分収まるコスパ。オススメなのです。

で、ダラダラ話していると店内にどこかで見たようなお兄さん。誰かに似てるなーと思いながら考えていると、降りてきました「アル・ヤンコビック!!」だと。(あかんな…。)

「アル・ヤンコビック」って言われても今の若い人はなんのこっちゃって感じなんでしょうが、

小、中学校ぐらいに彼のPVを見た僕の世代の人間の中に、よくわからない爪痕を残したアメリカのコメディ歌手(嘉門達夫さん的な)。「いや似てへんやろ」という友人とスマホで久しぶりに見たPVはやっぱオモロイ。

デビューはマイケル・ジャクソンのパロディで「今夜もイート・イット」。無名のコメディ作曲家だった彼がマイケルに連絡を取り、マイケルから「いいアイデアやん」と許可をもらったことから彼のストーリーは始まります。(てか、マイケル!凄ない?)
そのPVの比較動画がコレ。

あらためて見るとほんとよく出来てる。で、令和の時代に昭和の笑い!その後も彼のPV、GW中にちょくちょく見て笑っておりました。秀逸だったのが92年のニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」

ディストーションたっぷりのギターの音色とか、オリジナルへのリスペクトを感じます。清掃員とチアリーダーはオリジナルPVと同じ出演者らしい。(小ネタ)いろいろ調べてみると彼はポルカ・アコーディオンを幼いころから演奏していたらしく、名曲のポルカアレンジも絶妙にオモロイ。
クィーンのボヘミヤン・ラブソティのポルカアレンジカバー最高!

ずるいって…(笑)全部の作品に言えることだけど、笑いのボリューム感が絶妙!そして、アーティストや楽曲へのリスペクトが感じられてやっぱ彼はコメディアンじゃなくてミュージシャンなんだなと。ちなみに「そのだ」で似ていると思った彼は全く似てなかったけどね…。
なんでアルヤンコビック思い出したのかね。謎。(笑)

 

■DevLargeの話

平成から令和に代わって、いろいろと平成を振り返るってな番組が放送されてましたね!

西暦派の僕も改めて平成何してたんだろ?と考えてみると、すっぽりと大学を出て社会に出る時期と重なります。その時その時で距離感は変わりながら、音楽に関わってきた30年だったのだなと思いながら、過去にやったイベントや、出来事を思い起こしていると一人のアーティストさんの事を思い出しました。
そのアーティストさんはDevLarge。HIPHOPが好きな人は誰でも知ってる「ブッダブランド」のMC。そして偶然にもこの原稿を書いてる4年前の今日5月4日に急逝してしまった天才。何か巡りあわせを感じた訳で、少し彼の事を書いてみるとしますね。
DevLargeというかブッダブランドの音と初めて出会ったのは95年のデビュー前夜。知り合いのレコード屋の店員さんからプロモを聴かせてもらったのが最初。それが後に2ndに入ることになる「Funky Methodist」でした。

一聴して思いました「ヤバい」と。キラキラした目で店員さんもこっち見ながら「ヤバいやろ?」と。インターネットが無い時代。平成初期にはまだこんな漫画みたいな出来事があったのですね。その独特なフローと言葉選びのセンス。トラックのカッコよさ。NYで同世代の人間が録ったというなんてーか誇らしさ(野茂的な?)もあって、でも同世代感のシンパシーみたいなものも感じられてな。

95年日本に帰国して、DevLargeが参加した日本のHIPHOP創成期の名クラシック「証言」のアナログリリースの頃には、そんな口コミで広がったブッダブランドのへの期待感は街の一部で劇的に盛り上がりつつありました。

RINO(現在はRINO LATINA II)→ YOU THE ROCK★G.K.MARYANZEEBRATWIGYGAMADEV LARGE
マイクリレー。ジブラ氏若い!
ただこの盛り上がり、勤めていた出版社&チケット屋さんの先輩に言っても、仲良くなったラジオやTVのディレクターに話しても「ラップやろ?」と瞬殺されたけどな(笑)
メジャーな媒体から全く無視されながら盛り上がるシーン。何か起きそうだとワクワクしておりました。そしてブッダブランドがトリだったヒップホップイベント「さんぴんCAMP」未だに行けば良かったと後悔してます。あんときの俺に「仕事とかどーでもいいからとりあえず行け!」と(笑)
そして96年にメジャーから発売された「人間発電所」。

当時ずーっと聴いてたこの曲が令和の時代のヘッズにも響くようになるなんて思ってもみなかった。んで、DL(DevLarge)氏が亡くなり泣ける曲になるとはね。

その後、ブッダブランドは数々の名曲を残すも2000年に活動休止。3、4年しか僕たちの前に姿を見せてくれなかった訳。後に、自分達でイベントを開催するようになりDL氏とも話すことがありました。同い年ということもあり、また彼等がブッダブランドを結成したNYに同時期行っていたこともありその当時のメシ屋やレコ屋の話題で盛り上がった事思い出します。

2015年の急逝以降、親交や影響を受けたアーティストさん達から様々な形で彼への感謝やリスペクトが感じられる楽曲やイベントがこの時期発表されることとなります。


DevLarge急逝を受けてMURO氏中心に楽曲を発表。

3人目DABO氏の「それでもまたアナタを思い出しマウス チューチュー言葉遊び~明日の今頃 アナタはどこにいるんだろう? 胸にそんな歌が光る(宇多田ヒカル) 神のミラクル」のライン好き!

自分含めて彼や彼の楽曲から受けた影響の大きさを感じるとともに、同世代DABO,MACKA-CHIN,SUIKEN,S-WORD,MUROのこの楽曲を聴くとエモくなり、僕ももうちょっと頑張ってみますかねと思うGWでございます。それではこのあたりで。