カレー屋店主の辛い呟き Vol.18

「グレイトフルデイズ」

大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。
GWが過ぎても客足は戻らず、上昇するのは室温ばかり。
仕方ないのでドア替わりのビニールを外すと風が抜ける店内。気持ちの良さにまぁええかと。
そんな感じで今日もぼんやり営業を続ける当店でございます。

ミナサマお元気でしたか?

■訃報

しかしながら、こんなぼんやりとした当店にもつらいニュースは届きます。
先日「カエルスタジオ」主宰の麻苧くんが亡くなったと。営業中にお客さんから聞いてから、正直何話したか覚えてないくらい。その日の営業はグチャグチャだったのかもしれません。

彼は「RED SPIDER」や「KENTY GROSS」などなどのアーティストが所属してるレーベルの代表者であり、日本のレゲエのシーンでは欠かせない重要人物、そして盟友でした。彼と初めて会ったのは、もう20年ほどの昔。その頃の僕はアメリカ村で立ち上げたMOPというユニットに机を置いて、その仲間達と毎週末南港でフリーパーティーをやって酒を売ってみたり、招聘の仕方もわからないのに外タレのツアーをやってみたり、香港に服屋を出して向こうでイベントをしたりと、何かしたいことだけ無限にあって、それをひとつひとつ実現していくことだけに費やす毎日。そして、彼はDUB PLATEのレコーディング・スタジオをオープンして、DUB PLATEのカッティングに熱中している時期でした。デカい体と中身に詰まったレゲエへの熱量。よーわからんけどデカい人間力に圧倒されながらも、ジャマイカのレゲエシーンやサウンドクラッシュの話を聞いた日々を経て、気が付けば彼はMOPの事務所内に録音ブースを設置することになります。僕は彼の主戦場だったダンスホールレゲエの魅力にどっぷりとハマることはなかったけど、ほぼ同世代の彼と話すオモロイコトの根っこは一緒で、今から考えるとすごく幸せな時間だったのかもしれません。その後、彼はRED SPIDERのJuniorと共に大きくなり、イチDeeJaYだけのライブで1万人以上の観客を動員するイベントを作るような存在になります。


RED SPIDERのONE SOUND DANCE「緊急事態2016」

彼の最大の功績はアーティストを育てたってことだけでは無くて、ジャマイカやNYで作られていたダブプレートを大阪で作れる体制を作ったこと。それは、日本全国のサウンドマン達のそれぞれの武器となり、サウンドクラッシュ(サウンド同士がどちらが客を盛り上げるかを競う)の盛り上がりに拍車をかけて、各サウンドは現場でしか聞けないダブプレートを手にし、オリジナルのサウンドシステムを作り上げ導入することでその場に行かなければ体感できない状況を作り上げることになりました。これって本場のジャマイカと全く同じ環境を作り上げたってコト。その土台の上でシーンが大きくなり、先ほど紹介した「RED SPIDER」の動画につながってるわけで、言い方悪いけど客を煽って曲かけてるだけの、いちサウンドマンのイベントで1万人以上集まるってオモロすぎ。現場に特化したカルチャーの実現。尊敬しました。

僕が上本町でお店をするまでの間、お互いアメリカ村の住人という事もあり道端で会ったら缶コーヒーを飲みながら近況を話し合い、好きなサッカーの話題で盛り上がるといういい隣人の関係。好きな音楽のジャンルや、やりたいことが違ってもなんとなく同志感は常にあったような気がします。「裏方なめんなよ」と言い、裏方としての仕事に徹し続けた男が残した「カエルスタジオ」。その名の通り世の中を変え続ける存在であり続けると思いますヨ。本当にお疲れ様、いつかまた。

■2度目の解散

「GRIFFIN」というバンドに出会ったのも同じ時代。なんでそうなったのか今となっては曖昧にしか覚えていないけど、気が付けばマネージャーとしてツアーやレコーディングの手配をしていたんですね。勿論「GRIFFIN」の名前は知ってたのだけど…。「すぐ喧嘩する」「ややこしい」って話ばっか。実際会ってみるとその通りで(笑)いきなり鼻折られたし(ゲラゲラ)。でもその時のスタジオで聴いたリハーサルを見てカッコええなーと思ってしまったんですね。

鼻折られたのに…。

その頃のGRIFFINはデビュー当時のMISFITSテイスト~1stのPoguesインスパイヤーな感じを過ぎて、パンクをベースにしながらも、もはやジャンルにこだわらないGRIFFINの音になっていました。てか、興味ある人は聴いてもらったほうが早いのか…


1991年リリースの2nd獅子吼。名盤だと思う。


2003年のデタミネーションズとのテレビ収録の映像。CLASHのカバー。

で、気が付けばバンドの音は勿論のこと、メンバー一人ひとりの魅力にハマってしまった訳で。特にvo射延氏の夜ごとエンドレスで繰り返される野球や映画の話やバカ話。自分たちの楽曲とバンドに対する妥協の無さ。ステージ前のピリピリ。ライブの時の客と真剣勝負するような格闘技的緊張感。どうしようもなくややこしいバンドだったけど、その魅力にハマった同業者も数多く、BRAHMANのTOSHI-LOW氏やOi-skall matesのワタル氏などなど数多くのミュージシャンから愛されたバンドでした。

そんなGRIFFINも2005年に一度目の解散。そして友人で盟友の大洞氏の死去に伴って、イベント参加の為2014年オリジナルメンバーで再結成し、その流れで復活。そして今月6/23(金)@ファンダンゴをもって再解散となります。


2005年の最終公演のラストAll in griffing~Rockers daylight

音楽業界の中で大成功をおさめたバンドではないのかも知れないけれど、彼らの音楽と精神性に共鳴した深いファンが多くて、かく言う僕もその一人。
2005年の解散までの約5年間。楽しく濃密な時間でした。

そして2005年の解散以降会う回数も少しずつ減り、再結成の以降の流れも2005年の大団円を経験したからなのか何か釈然とせず、彼らの1994年リリースの名曲「Rockers daylight」の一節「我が歌が道外した時、君がこのグループを、葬ってくれたらいい」そのままに少し距離を置いていた現在。最終公演の話を聞き、改めて事あるタイミングでGRIFFINの歌を口ずさむ自分に気づきます。名曲って時を超えるんだな。

6/23(金)@ファンダンゴ公演フライヤー

オヤジが昔語りをする気持ち悪さは重々承知はしているのですが、やっぱり彼らのコトは伝えておきたいなと。あの時は何気ない日常だったのかもしれないけど、こうなってみると幸せな日々。もちろん今のカレー屋生活も楽しいけどね。いろんなモノを抱えながらでも、前に進まないとあかんなと思う5月でした。