カレー屋店主の辛い呟き Vol.22

「MPCとJ Dillaのはなし」

大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。
少し温度も下がり、店のドア替わりのビニールをそろそろ撤去しよか!という今日この頃。
4度目の夏も、2台のうち片チャンしか動かないボロクーラー+ビニールでなんとかしのぎ、迎える短い秋は店内に自然の風が通り抜ける一番いい季節。
そんな今日この頃。ミナサマいかがお過ごしですか?

さてさて、相変わらず慢性的な金欠の日々。そんな時に頼りにしたいのが宝くじってコトで、宝くじ当たったら何買ったろなんて考えるのが庶民の遊び。ウチの店でも時々そんなバカ話が繰り広げられたりします。いやマンションやろ?いや投資やろ?いや海外生活やろ?とな。
しかしこの話、盛り上がりながらも、イマイチピンと来ないのが庶民たる所以。一応タワーマンションのモデルルームに出向いて話を聞き、「ご購入はローンで?」との、にこやかな問いに「いや現金一括になると思います。(次の宝くじで7億入ってくるからね。エヘン)」とドヤ顔で応戦してみたものの、やっぱりそんな欲しくなかったりして。じゃあ俺の欲しいものってなんだ?と改めて小学生のように書き出してみると、何となく300万ほどあれば、今の自分の物欲がすべて解消できることに驚き。年を重ねると欲が無くなると言うけど、そーいうコトなん?あー小市民。今回の話はそんな欲しいモノ一覧の中から、僕の欲しいモノこころのベストテン第一位に輝いたMPCのお話。ん?MPC??

■MPCってなんなん?
って人もいると思うので説明すると、シーケンサー、サンプラー、ドラムマシンを兼ね備えた音楽機材ってコトになるんでしょか?HIPHOP、レゲエ、HOUSE‥等のビート作りをしている人なら一度は触った、というか特にHIPHOPというジャンルに最大限の貢献をした偉大なマシーン。この機材が無かったら生まれなかったビートが沢山あるわけさ。

これが、日本の音響機器メーカーAKAIが1988年に発売した最初のモデルMPC30。そこから30年以上経ってもアップデートし続けてるって凄ない?特徴はこの4×4のゴムPADを初めて搭載した機材で、おまけに操作が超簡単だったってコト。簡単に使い方の一例を説明するとね。

まず、好きな音をサンプリングしてMPCの中に取り込むわけさ。例えばキックの「ドンッ」とか、スネアの「タン」とかね。んで、前後のノイズをトリミングしてPADに割り振ると自分だけのドラムセットが完成して、この段階でもPADを叩くだけで一晩は遊べるわけだ。その上でピアノなんかの上モノとヴォイスなんかも同じようにサンプリングして、シーケンサーばーんと走らせてどんどん音を足して行くとビートの完成。これホントに廃人になるまで遊べる。つまりね、MPCって本当に感性の機材でコードなんかの音楽の基礎がないやつでもビートを作れちゃう魔法のマシーンだったんです。


今書いたことが一目瞭然で分かるビートメイクの動画

ただね、この使い方。このマシーンをAKAIと一緒に作ったカリフォルニア州出身のミュージシャン&エンジニアのRoger Linnは全く予想してなかったのが面白いところ。彼はこう言ってます。

「全く予想していなかった。私がオブジェクト・オリエンテッド・コンポジション(Object-Oriented Composition)、またはOOCと呼んでいる方法で音楽を作曲する人たちが大量に出てくるとは思いも寄らなかった。OCCとは、自分で全てを作曲・演奏するのではなく、ある程度は自分で演奏するが、それ以外については他人が努力して演奏した楽曲の録音物を使うという作曲方法だ」と。

彼の事を少し補足すると、70年代後半にその当時流行しつつあったデジタルな音を使うドラムマシーン音のチープさに不満があった彼は、初めてアコースティックドラムのサンプルを鳴らすドラムマシンをデザインした人。そして売り出したLM-1(Linn Electronics LM-1 Drum Computer)は瞬く間にHarbie HancockやPeter Gabriel、Madonna、Quincy Jonesなどのアーティストに広まり、Princeに至ってはキャリアを通じて愛用することになるのだけど。まあそのストーリーは別の機会に。

またこの時期Wu-Tang ClanやDe La Soul、Medeski Martin & Woodなどと共同作業をしてきた経験を持つScotty Hardは次のように言っています「MPC60はキーボードとして演奏できた最初のドラムマシンだった。キーボードのフレーズなどをシーケンスすることができた。MPC60はただのドラムマシンじゃなかったのさ。万能なシーケンサーだったんだ」と。MPC60がもたらした大きな革命は、製作者達それぞれが独自の使い方を見つけ出せたということ。それによって後述するけど、面白い変化をHIPHOPのビートに与えることになるんだな。

こうして製作者も予想もしなかった作曲方法や使い方が広まって、MPCはHIPHOPのビートメイカー達の魔法のマシーンになっていくことに。これってレコードプレイヤーをスクラッチしたことと似てるよね。こういう所がHIPHOPの面白さだったりする訳さ。

そして、後の僕たちから見るとこのMPC60を使ったサウンドの面白さがもう一つあって、このMPC60のサンプリングが出来る時間はわずか13秒。一回じゃなく全部でね。

その結果サンプリングの時間を取りたかったビートメイカー達はレコードのピッチを上げ、再生スピードを上げることで、長い時間の音源を取り込もーとしたんだ。その結果、サンプリングした音源をサンプラー内で元のスピードに戻すときに音質の劣化がおこって、俗にいうLOFIな質感のサウンドになったと。不完全で不自由だからこそ生まれたビート。これが実はHIPHOPの音。逆にいうと、今この質感のビートを作るのは意外と大変。というか、だから今でもこのクラシックなマシーンをリペアして使う強者もいるわけなんよ。面白い!

このMPCが広まった理由にこういった音質の問題も大きくて、サンプルのソースをラウドにサンプリングできる機能とアナログをデジタルに変換する際に加えられる独特のコンプレッション‥等が、メチャメチャ太いサウンドを生み出した事。ゴリゴリな感じでめっちゃヤバイやんというこのサウンドをベースに後のMPC後継機のマシーンには、音の特性というか癖のような味付けが、更にされることとなります。そしてMPCを相棒に一人の天才が生まれるワケ。それがMPC3000という後継機と僕の大好きなJ Dillaなんですな。

 

■J DillaがMPCに人間らしさを与えた!?


2006年に32歳の若さでこの世を去ったJ Dilla。彼の作ったビートはHIPHOPだけじゃなくて多くのジャンルのアーティストに影響を与え続けてます。で、彼がビートを作っていたマシーンがMPC3000。このMPC3000の最大の特徴は簡単に言うと出音。MPCを通るとドラムがより前に出るように感じます。

このドラムの音が彼の特徴でもあり、MPC3000の最大の特徴。2019年の現在、様々なプラグインが出ているけどこんなに力強い音を出せるプラグインは無くて、これが今でも1994年に出たMPC3000を欲しがる人が多い理由。


J Dilla – Flowers (Instrumental)

そして、J Dillaがこの機材を使って行った最大の発見は、MIDI音源を修正したり、補正したりするクォンタイズの機能を使わずに作られた「よれた」ビート。通常はパットを叩いて「よれた」ものはクォンタイズを使って修正がこの機材の最大の利点。J Dillaは自分の癖出まくりの「よれた」ビートにキックを極端に小さくしたり、スネアをやたら強調したりといったミックスを行うことで、歪だけど心地いい、今までに無かったビートを生み出した気がするんだな。そして、この生音のように聞こえる、より「よれた」ビートが生み出すグルーヴはジャズやR&Bのドラマー達に衝撃と影響を与えたわけ。


「J・ディラがMPC3000に与えた人間らしさ」解説動画。実は、この原稿よりわかりやすい笑

この動画の中で、THE ROOTSのドラムQUESTLOVEはこの「よれた」リズムの事を「酔った3歳児のようなビートで、それを聴いたときに製作上の制限からの解放を感じた。」と表現してます。音源をサンプリングして、デジタルツールのPADをヒットすることで生み出されたビートに、凄腕ドラマーが影響を受けるって冷静に考えると、一周回ってる感じでだいぶオモロイ話。つまりここがMPCが単なるツールから、新たな楽器として認知された瞬間。

他にも上の動画の中ではバスドラの中音域以降をバッサリカットして、低音を増幅させる“LOW-END”の手法や、今となってはトラックメイカー達の定番手法になってるサンプルのチョップの手法などJ Dillaが多用して世に広めることになる彼独特のテクニックの一部が解説されてるのでご興味のある方は是非。

さてさて。J Dilla に少し興味が湧いてきたって方の為に、定番音源も紹介しておかないとね。MPCを使って革新的な音楽制作の手法を広く世の中に知らしめる事になった彼ですが、前述のとおり32歳の若さで血液系の難病で死去。その死の3日前にリリースしたのがこの名盤「DONUTS」

病と闘いながらも日課のように紡ぎ続けた渾身作でビート系のアルバムの中では多分最もスタンダードな一枚。

そしてもう一枚。『Donuts』を作り終えたディラが亡くなる直前まで取り組み、大半を仕上げていたという遺作「The Shining」

死後、カリーム・リギンズらの尽力で完成した名盤。一曲一曲が美しすぎて、本人も自分の命の長さが分かってたんじゃないかなと思うほど。コモンとディアンジェロが参加したハイライトの“So Far To Go”初めて聴いた時、涙がでたよ。

さてさてMPCとJ Dillaのお話を長々と書いてきましたが、興味をもった方いるんでしょか?

僕もMPC1000というモデルを以前に所有してました。気が狂ったように毎日毎夜遊んでたコトを鮮明に思い出します。また、沼にはまるのかと購入をすこし躊躇うこの頃です。

追記

ちなみにipad/iphoneのAKAIのMPCアプリでも、相当遊べます。ご興味ある方はこれからスタートしてもいいかもね!