Botanical House Vol.6 渚にて/ 緊急インタビュー

確かに年中ライヴを行なっているバンドではない。アルバムも2017年1月に発表された『星も知らない』以降、出ていない。だが、2017年の大阪開催時に続き、先ごろ堺で行われた《全感覚祭》に出演したこのグループのステージを観た人も多いことだろうが、このバンドは足取りを止めたことは実はないし、実際に、キャリアを重ねれば重ねるほどこのバンドは、ハレルヤズを前身とする関西拠点の最重要“うたもの”バンド…という認識だけでは絶対に消化しきれない奥行きと厚みと、そしてユーモアとヒューマニズムを感じさせてくれるようになっている。ロックでしかないのに、ロックではない。どうしようもなく力強く人間味があるのに、音の佇まいでそれが伝わってくるさりげなさ。渚にてという名前さながらの、その場で何かが起こっていることの気配を彼らはフィジカルなパフォーマンスで表現している。
そんな渚にてが久々に京都磔磔のステージに立つ。いつか京都の若いバンドたちと一緒に磔磔で…と交渉し続け、ようやく今回タイミング合って《Botanical House》に出演してもらえることになった。大学を京都で過ごしていた中心人物の柴山伸二にとって、磔磔というライヴ・ハウスはとても特別な場所だそうなので、今回のパフォーマンスにも大きな期待が寄せられる。対バンは、本日休演、数えきれない。どちらも今の京都を面白くしている精鋭たちだ。《全感覚祭》で彼らのステージに初めて魅せられた方もぜひ足を運んでほしい。

――2年前にリリースされた『星も知らない』以降の活動についておしえてください。時間をかけて丁寧に作品作りに向き合うスタンスに代わりはないと思いますが、現在、普段、柴山さんはどういうペースで曲を作っていらっしゃいますか?

柴山伸二:『星も知らない』をリリースした2017年はカナダの新感覚派シンガー・ソングライターのサンドロ・ペリのジャパンツアーの大阪・京都公演のサポートをしたり、気鋭のダンサー、KENTARO!!さんの即興ダンスと渚にての演奏の合体公演を北九州芸術劇場で行なったりと多忙な年でした。その後も不定期ながらベアーズをはじめとする関西のライヴハウスを中心に演奏を継続しています。
そうやってライブの本数が増えるとそれまでのレパートリーのシャッフルだけでは物足りなくなってくるので、なるべく新曲を作って練習に臨みメンバーを飽きさせないようにしたいのですが、納得のいく曲は年に数曲しかできません。

――柴山さんが最初に音楽活動をされた頃と現在とでは、ソングライティングのモチーフ、インスピレーションに変化はありましたか? 変化があった場合、どのように変化したか、もしくはあまりない場合、そのモチーフやインスピレーションはどうのようなものとして不動なのか、できる限り詳しくおしえてください。

柴山:最初のバンドは14才の時に同級生と組んだビートルズのコピーバンドでした。やがてビートルズでは飽き足りなくなってピンク・フロイド、イエス、クリムゾン等のプログレッシヴ・ロックにのめり込んでいたところにパンク・ロックのカルチャーショックの洗礼を受けました。17才の頃でした。美しく構築された音楽だけを善しとする価値観が全てではなく、たとえばスーサイドのように最初から破綻した野蛮な音楽もまた成立することをパンクによって知りました。
パンクがもたらした新たな価値基準は、演奏技術も理論も放棄した場所で成立してしまうような「音楽以前」のならず者の吹きだまりNO NEW YORKで頂点に達しました。NO NEW YORKを聞いた時は、フリージャズの閉塞感とは無縁の、本当に自由な音楽がここにあるという開放感を感じました。
頭士奈生樹、高山 ”Idiot” 謙一、JoJo広重、工藤冬里など自分と同年代のミュージシャン達は、皆似たような道を辿ってきたはずです。ですがその開放感も束の間で、いざ自分が自分自身の音楽をどうやるのかという段になると「何をやってもいい」という制約の無い世界が実は「何をやってもつまらない」という退廃と背中合わせだったことに気づきました。フリージャズもパンクもノイズも一旦成立してしまえばどれも同じ穴のムジナに過ぎませんでした。
そこからが長かったように思います。スーサイド、NO NEW YORKから40年以上経過した現在でも、自分は自分自身の音楽をどうやるのかという自問自答にいつも向き合わざるを得ません。渚にては来春10枚目の新作をリリース予定ですが、40年前より少しは答え合わせができるようになった気がします。

――活動を開始された頃と比べると、時代は明らかに変わったと思いますが、一方で、実は本質的には何も変わっていない、社会における不条理はむしろ増えている印象を受けたりもします。柴山さんはそうした「変わったようで変わらない」現代社会に対し、作り手として、表現者として、どのように対峙されているのでしょうか?

柴山:自分のオリジナリティの在り処を手探りで掴みはじめた頃を活動開始の時期とすれば、1985年のハレルヤズ(リリースは86年)が出発点となります。ネットもスマホも存在せず固定電話と手紙がコミュニケーション手段で紙媒体とテレビ、ラジオだけが情報源だった時代でした。今からすると逆にロマンティックで夢の中の世界のように思えます。
当時は、裏付けのない自分の感覚だけを拠り所とする想像力が行動原理でした。名前しか知らないバンドのレコードを買う時の緊張感、名前しか知らないバンドのライブを観に行く時の高揚感は今や完全に失われた感情ですが、それらの行為の裏には勘違いも含めたイマジネーションの瀑布がいつもありました。だからこそ自分の直観が正しかったと思えた時の嬉しさは身体に刻まれるリアリティがありました。
インターネットを通して見える世界をあたかも現実の縮図のように錯覚させる不必要な情報が過剰に溢れる現在では、表現者としてのリアリティを確保するためには無限の想像力を維持することが必要不可欠だと考えています。
その後「渚にて」の1stアルバムが自分の理想に少し近づけた確信のある仕上がりになった時には、初めて自分がリアルな存在であることを感じることができました。人生は偶然の積み重なりでしかありませんが、音楽に限った話ではなく常にリアルであること、リアルであろうとすることが自分の生きる意味だと思っています。

――実際に現在曲を作る際、どのようなプロセスで完成させているのか、歌詞、メロディ、竹田さんとの共同作業部分も含めてその過程をおしえてください。

柴山:僕も竹田も、音楽以外のことを考えている時にふと降りてくる鼻歌的なメロディの断片を発展させて曲にすることが多いです。つまり「渚にて」のほとんどの曲は「曲先」です。
初期の頃はそれこそ「ハード・デイズ・ナイト」「ラバー・ソウル」的にテーマのメロディは僕が、サビ展開部分は竹田が引き継いで作る、という合作が時折ありました。具体的には「本当の世界」「太陽の世界」「花とおなじ」「海が見えたら」はどれもそういう構造になっています。ただ、結成から20年以上になる近年では、竹田のソングライターとしての個性が確立したこともあって「ホワイト・アルバム」的なプロダクションがメインとなりました。
現在制作中の新作には、竹田の新境地ともいえる「濃い」新曲が収録されますので、どうぞご期待下さい。

――ニール・ヤング、レナード・コーエン、ボブ・ディラン、ルー・リードといった、柴山さんにとってもお手本になるようなアーティストが、10代、20代の頃ではなく、お子さんもいらっしゃる現在の柴山さんにとってリアルに響く部分はどのようなところにあると考えていますか。

柴山:それらのアーティストはいずれも昔からレコードを愛聴している人々ですが、ニール・ヤング、ルー・リード、ボブ・ディランはリスペクトはすれども自分の「お手本」にはなっていません。ノイ!のレコードが大好きだからといって「渚にて」がハンマー・ビートをやっても仕方がないのと同じような意味合いです。
「お手本」を文字通りに考えるのであれば、ジョン・ケール「Fear」の眩しい曲想とサウンドメイキング、レナード・コーエン「ある女たらしの死」の経験を積んだ大人しか(でも?)理解できない視座で書かれた歌詞、アンソニー・ムーア「Out」のAORの皮を被ったメタフィクション・ポップなどは、渚にての音楽形成に「リアル」な影響を与えています。彼らは自分にとって本当にリアルな存在です。
90年代にジョン・ケールがコーエンの「ハレルヤ」をピアノ1本の弾き語りでカバーしているのを聞いた時は、まさに我が意を得た思いでした。

――ライヴ活動自体は極めてマイペースではあっても、不定期にやっていますよね。とはいえ、ライヴができる時期は限られているようですが、その限られた中でやるライヴにおいて、近年はバンド内でどのような発見、気づきがありますか? 長い「渚にて」の歴史において、特に2010年代以降の「渚にて」に芽生えた新たな手応えはどのようなものか、できるだけ詳しくおしえてください。

柴山:鍵盤の吉田くんが年季の入ったバックパッカーで毎年夏は3ヶ月ほど避暑のために世界漫遊の旅に出てしまうので、7月から9月後半までは練習もライブもできない状態です。自分も近年の夏の酷暑は苦手なので、バンドの長い夏休みと思って曲作りに専念する時期としています。
2010年代以降の「渚にて」の最大の変化はやはり吉田くんの加入です。曲作りの段階から鍵盤を想定して考えることができるようになったのはとても贅沢なことだと思っています。彼の個性は、独特のオブリガートのセンスに加えて一般的なキーボード奏者の「歌伴」的なソツのない演奏をしない(できない)という点にあります。それはガース・ハドソンの特異性に共通するものです。また彼はライブにおいてキーボード奏者らしからぬ派手なアクションが特徴的なので、ビジュアル的にも「渚にて」に貢献するところが多いのではないでしょうか。

――今年も『全感覚祭』に出演されていましたが、出演をしてみていかがでしたか? また、マヒトゥ・ザ・ピーポーさんとはいつごろ、どのようなきっかけで知り合い、今回の出演に際してはどのようにオファーされたのでしょうか?

柴山:堺港の海をバックにした野外ステージで、天候にも恵まれて楽しかったです。青空の下、アロハ着用(僕だけですが)で潮風に吹かれながら演奏するのはGS感がありましたね(笑)。
「全感覚祭」への出演は、2017年の大阪編の開催時にベアーズのブッキング担当の黒瀬さん経由でマヒトさんから連絡があり、昔から渚にてのファンなので是非出演してもらえないでしょうかとオファーをいただいたのが縁です。今年は直接ご本人からオファーをいただきました。

――そのマヒトさんのように「渚にて」の影響を受けた若いアーティスト、バンドは年々増えていますが、実際に、若い世代の作品やライヴを積極的に聴いたり見たりすることはありますか? お気に入りのバンドやアーティストがいたらおしえてください。また、若い世代から学ぶ部分、刺激を受ける部分はどういうところに多かったりしますか?

柴山:夜更かしの酒の肴にyoutubeでまったく知らない人の音楽を試聴することはままあります。当たり前ですが年齢世代に関係なく面白い人は面白いし、そうでない人には関心が持てません。特に若い世代というキーワードで積極的にリサーチすることはありませんが、若い人たちのフットワークの軽やかさと、その若さそのものが眩しくもあり憧れます。

――現在、ニュー・アルバムの制作はどのような状態で進んでいるのでしょうか? リリースの目処もあわせまして、現在の様子をおしえてください。

柴山:昨年の夏からレコーディングを始めた渚にて10枚目の新作は、先月からミックス作業に入りました。ベーシック録りはアナログなのですがミックスはプロツールズを使用したデジタルです。このプロツールズが曲者で、アナログ時代では考えられなかった魔法のような編集処理が可能なために逆に能率が落ちる羽目になり、アナログミックスより更に長時間を要する作業になってしまうのですが、それはそれで楽しみながら作業をしています。リリース予定は来春です。

――今回出演してもらう『Botanical House』は京都・磔磔で行われているレギュラー・イベントです。京都という町、磔磔という場所での思い出があればいくつかおしえてください。

柴山:1979年から1984年にかけて京都に住んでいました。秋の京都が一番好きでした。よく授業をサボって御所で昼寝したことを思い出します。磔磔に初めて出演させていただいたのは1981年だったと記憶しています。
プレイガイド・ジャーナルのイベント情報欄をチェックしては磔磔、拾得、サーカス&サーカス、西部講堂、日仏会館などへ足繁く通い、日がなライブや映画を気ままに観て回った自由な時代は今思うと本当に幸せでした。ほんやら洞やニコニコ亭などアクの強い喫茶店に入り浸ったことも忘れ難い京都の思い出です。