Boranical House Vol.6 【数えきれない】 緊急インタビュー!

「数えきれない」の存在はとても不思議だ。ポップで人懐こいけど、ふわふわとしててどこかに飛んで行ってしまいそうなくらいつかみどころがない。でも、決して雰囲気モノなどではなくスキルもあればちゃんと地に足がついたところもある。歌ものなのにポリリズミックでもあり……まさに「数えきれない」のだ。
むうとん、やすよ、あずみの3人はそれぞれ自分の世界を持っていて、京都でそれぞれに活動している(詳細はインタビューで!)。「数えきれない」としてのアルバムはまだ1枚だけだが、ライヴ活動は飄々とやっていて意外に経験豊富だ。そんな数えきれないが、「渚にて」「本日休演」とともに京都磔磔のステージに登場する。まだ観たことがないという方は、ぜひ足を運んでみてほしい。

――初めて「数えきれない」に触れる方々のためにも、まずは3人の現在の活動スタンス(状況)を詳しくおしえてください。その上で、「数えきれない」というのは3人にとってどういう存在なのでしょうか?

むうとん:数えきれないの他にソロ活動と、いくつかのユニットに参加しています。
・むうとん→ソロ。たまにやってます。基本的にはアコースティック・ギターかピアノを弾きながら歌っています。ごく稀にカラオケ方式。ほとんどやらないですが。
・ドラヒップ→ふたりぐみ。うたとラップとおどりと雑談のユニットで、バックトラック制作も担当しています。毎回、自分達の「最高のライブ」を更新しています。
スズメンバ→本田未明を中心とした歌のユニットです。鍵盤とコーラスを担当しています。ライブ欠席してるときもあります。
・東アジアドラゴンリーサンダース→20年ぶりぐらいに再結成したバンド。ファンク?ソウル?超合金みたいなやつで、キーボードを弾いています。1998年に解散するまでは、京大吉田寮を拠点にしてライブ活動をしていました。現在の吉田寮をとりまく状況から、ドラゴンリーサンダース再結成への気持ちを察してもらえたら幸いです。
・dubmarronics→marronちゃんと泉ちゃんとむうとんのユニット。今はほぼ活動してないです。ギターとピコドラムがエフェクターをたくさん使っています。私は、鉄琴・縦笛・フルート・鍵盤ハーモニカ・バイオリンなど小物類の担当です。変拍子のニュアンスは概ねここで取り込まれました。
・ドクロズ→京都のかっこいいロックバンドです。サポートでギター弾いてます。気付けばもう5年越えてます。それまで参加してなかったのが不思議なくらい馴染んでると思います。話術を見習いたいといつも思っています。
・全力オナニーズ→ギター弾いてます。今度、しのやんの還暦をお祝いするイベントがあるんですが、本当によんどころない事情で欠席です。お祝いしたかったです。
その上で、自分にとって「数えきれない」は。。。やすよちゃんとあずみちゃんに与えてもらった場所、だと思います。やすよちゃんがおもちゃを持ってきて、あずみちゃんが遊び方を思い付いて、私はそれにはまってずっと遊んでる感じです。

あずみ:数えきれないの他にいくつかバンド活動をしています。
・かりきりん→2014年まで在籍していた京都のバンド「薄花葉っぱ」のボーカル下村よう子とのユニット。歌とコントラバスのデュオです。戦後間もないころから23年間発行されていた児童詩集『きりん』の詩をお借りして演奏しています。
・Colloid→イガキアキコ(vl.,vo.)とにしもとひろこ(gt.,vo.)のユニット”たゆたう”と、かりきりん、それにパーカッショニストの池田安友子を加えた、”綿密な構成と同時に、即興性のある楽曲、力強さと繊細さを持ち合わせる「うた」の可能性を追求し、独自の民族音楽を形成している”バンドです。
・四日目バンド→大阪出身で現在は東京で活動する劇団「子供鉅人」の劇伴として出会ったメンバーで結成されたバンド。なので、ワタンベ(drs.)、イガキアキコ(vl.)、かんのとしこ(acc.)、中林キララ(gt.)、三原智行(tb.)に私がエレキベースという少し変わった構成。全員が作曲。大体変拍子交じりで摩訶不思議な楽曲が多いですが、独特のオーケストレーションを奏でます。
・折坂悠太(重奏)→しばらく予定はないのですが、京都で活動するミュージシャンyatchi(pf.)、senoo ricky(drs.)、山内弘太(gt.)と共にコントラバスにて参加。9月には、『全感覚祭19OSAKA』、『京都音楽博覧会2019』に「折坂悠太(重奏)」として出演しました。
・浮自のはら→たまに朗読をしてます。ゲストを呼べるよう修行中です。

自分にとって「数えきれない」は。。。私も、むうとんとやっちゃんに与えてもらった場所だと思ってた。三人の距離感三角形は正三角形では勿論なくて、でもそれが特に演奏中に音によって伸び縮みする。一番近いようで全く遠くていつまでも手探りで、そのお遊戯を楽しむ場所だと思ってます。

やすよ:私はバンド活動は数えきれないだけですが、木屋町三条にある多角的アートスペース 「UrBANGUILD」で働いています。店では受付とブッキングを担当しているので、バンドでステージに立つことよりもイベントの裏方をしているほうが圧倒的に多いですね。ブッキングの仕事はまだまだ学ぶべきことがたくさんで、難しいけれど、ああやってよかった!という瞬間も多くて。今の自分にとってUrBANGUILDはなくてはならない場所です。
「数えきれない」は私にとって唯一のバンドなので、やっぱりとても特別な場所です。UrBANGUILDとはまた別の意味で。他の誰でもなく、むうとんとあずみちゃんがいる。むうとんの言葉を借りるなら、私がおもちゃをポイっと投げいれてあとはふたりに任せっきりで、あ、なんかおもしろいことになった!やっぱりここ好きだなあ、そんな場所、なのかな。かと言って、遊び場というわけでもないんですが。言葉にするのは難しいです。

――ポップなフックを持っているのに曲自体は危ういバランス感覚の上で自由気ままに遊んでいる、そんな印象の「数えきれない」ですが、そもそもこのバンドを始めた時、どのようなバンドにしようとして結成したのでしょうか? 参考にしたもの、具体的な音楽性などなんでも構いませんので、結成時のいきさつやヴィジョンなどをたくさんおしえてください。

むうとん:結成のきっかけはやすよちゃんです。「ドラム叩きたい~」て。学生の時にドラムやってはったんですけど、15年間ぐらいは空白でした。あずみちゃんは、元々ウッドベース奏者で、数えきれないをやるときに初めてエレキベースを弾くことになりました。私は、数えきれないが始動して数回のライブの後、12弦ギターを使いはじめました。
「なんかやろ~」という構想の段階では、ボーカルが井上くん(井上潤一:DJやVJとして活動。著書『BARマッチ』)で四人組になる予定でした。記憶ぼんやりですけど、たぶん最初のお茶会の時は井上くんもいて、でも初めて楽器を持ち寄って集まってみた日にはもういなかった。始まる前にいなくなった。それで三人組になりました。バンド名が決まってすぐにライブも決まってしまったので、お茶会を楽しむだけでは済まなくなりました。ああしたいとかこうしたいとか、何にもなかった。

あずみ:いきさつは忘れてましたがむうとんの言う通りで、お茶会とスタジオだけのはずがそうもいかなくなってしまって、デビューライブは3曲もの凄く滑り込みみたいな感覚でやった記憶があります。カバーも一瞬頭をよぎったもののそれはきっと面白くないなあと思いひねり出したのがスタートです。でも多分、なにかしらやりたいことは合致していたのかな?絶対にこのラインというものはないけど、おおよそ外枠は共有しているというもの凄くあやふやなものだと私は思ってるんですけど、どうでしょうね。

やすよ:「ドラム叩きたい~」とは言ったものの、どんなふうにしたいとかは全くなくて、そのときにただドラムを楽しく叩ける場所が欲しかっただけなんです。長く続けようとか一回きりでいいやとかもなかったし、そもそもライブがしたいわけでもなかった。なのに、ひょんなことからライブが決まって、デビューライブをなんとかやりきって、今も続いている。わたしはずっと観ている側だったので、まさか自分がCDを作ることになるとは思ってもみませんでした。

――女性で3ピースというフォーマットに対して、最初からイメージしていたものはありましたか? シャグス、スリッツなどなど…ロール・モデルにしていたバンドやあり方はありましたか?

むうとん:なんにもないんです。シャグスもスリッツも聴いたことがなかったです。シャグスは、どっかしらで流れてるのを聴いて「これがシャグスやで」て教えてもらったことがあります。スリッツもそんな感じで、どこかで耳にしてる可能性はあります。
バンド名を決める為のお茶会のときに、全員歌おうてゆうのを考えた気がします。
参考ではないんですが、私の歌はいついかなるときでも南野陽子さんの影響下にあります。深いところに刷り込まれているんです。むうとんソロで意識的にナンノ成分を削ぎ落としてみようと試してみた時期があるんですが、その時に「ナンノちゃんぽいとこあるなー」と言われました。しかもその人は、私が南野陽子さんを尊敬してやまないことなんて知らなかった。削ぎ落とすことに意識を向けるのはやめよう、と思いました。
もう一方では、PARAが好きなんです。音楽を聴くとき、なんとなく何かの楽器を軸にして聴いてる事が多いんです。でもPARAは全てが等価に聴こえてくる。「イーブン」な土台があるから、聴く度に違う解釈ができる。そういうところは参考にしたいなあー、と思います。
あとは、さくら学院。これはパフォーマンスのアティテュードの部分ですね。演奏すること、歌うことに対して迷ったり考え込んだりする時、さくら学院のことを思い出して襟を正しています。

あずみ:シャグス!たまに言われますが、凄いなあ。一枚だけ聴いたことあります。
スリッツ検索しました、かっこいい!
個人的なことで言えば、多分吹奏楽の出身で、その延長で三つの楽器と三つの声の戯れを考えているのでは、、それでそれまでどちらかというと有機的な音楽というかそういう音作りに馴染んでいましたが、一方で一見無機質だけど景色は有機的!みたいなパズルのような曲作りに興味があって、この三人ならできるのかなーと。
あと、それまで人前でコーラスすらあまりやりたくなかったのは私は歌は上手ではないのでそう思ってたのですが、数えきれないでは、歌唱はしない!という勝手な決まりの元、声を発しています。それがとても楽しい。勿論むうとんは歌手なので、その辺のバランスというか差し引きを楽しんでいます。
ただ、結局私からは土臭い粗い人間臭が出てしまって、それがシャグスにつながるのかな。。
つまりアンサンブルか、、出したらこうなったということが多いですね。
むうとんの話も初めて聞いてそうなんだーと思っている。

やすよ:シャグス、スリッツは何度か言われたことがありますが、何かをモデルにということはなく、でもみんなが歌うっていうこととユニゾンしようっていうことだけ決めてたような記憶があります。

――ポリフォニックな演奏ではあっても、しかも1曲が短くコンパクト、しかも歌ものであるという側面が、「数えきれない」というバンドをポップな存在にしていると思います。歌、歌詞、言葉と、ポリフォニックで複雑なリズムとの組み合わせで、最も難しいのはどういうところですか?

むうとん:最も難しいのは、、、物理的なことなんですが、練習のときはコンタクトじゃなくメガネのことも多いんです。メガネでギター弾いて、歌って、エフェクター踏んで、てゆうのがそうとう難しい。みんな苦労してないんでしょうか。。教えてほしいです。手元のギターとか足元のエフェクターを見るとき、目線が下向きになるんですけど、そうするとレンズ越しに見えるギターとレンズからはずれて見えるギターが二重になって、距離感がつかめなくなって違う所を押さえてしまいます。おばあちゃんみたいにメガネをずらしてかけてると少しはましなんですが、癖でキュっとあげてしまいます。なので、ライブのときはどうしてもコンタクトです。それでも間違う時は、ただの間違いです。
あ!もうひとつ難しいことがありました。12弦のエレキギターを使っていて、それがなんともやっかいです。

あずみ:曲を覚えるまではもちろん一人でも練習するのですが、なんというか一人で練習してても楽しくない。ですね。

やすよ:ドラムの拍子と歌の拍子が違うところが時々あるのですが、それを体に染み込ませる作業がいちばん難しいです。ひとりで練習していても、迷子になってしまっていまどこにいるのかがわからなくなって、結局練習にならないことが多いです。

――みなさん3人はそれぞれキャリアもありスキルも確かなものがあります。ですが、「数えきれない」でのライヴでは、そうしたスキルの高さをあえて見せない、むしろ「隙」のあるところを見せています。実際に、演奏には「すきま」も多く、いい空気感が演奏をユニークなものにしていますが、アンサンブルにおいて気をつけているところはどういうところでしょうか?

むうとん:楽曲のほとんどの部分が決まりごとなんですが、その中で二ヶ所だけ長さが決まってない所があります。ギターきっかけで決まりごとに戻るんですが、うっかりしてると拍の反対側とかに戻ってきてしまったりしてみんなを困らせてしまうので、最近はちゃんと探してから戻るようにしています。

あずみ:間違わないこと、間違っても知らないふりをすることです。

やすよ:間違っても知らないふりをする努力はわたしもしています。

――ファースト・アルバム『数えきれない』は、もう4年ほど前の作品になりますが、あのアルバムは京都拠点の様々なアーティスト仲間が関わっていますね。録音(佐藤さん)、写真(山本さん)、ペインティング(仙石さん)……そうした京都(関西)の仲間に共通する魅力はどういうところにあると思いますか?

むうとん:京都とか関西とかを意識したことはないです。ただ自分がそこにいて、みんなもその地域にいました。魅力についても、それぞれ別個のものだと思っています。

あずみ:確固たる美意識がトルネードしていて一筋縄ではいきません。

やすよ:二人に同じくです。ありがたいことに、頼りになる人が近くにたくさんいました。

――現在、新曲、ニュー・アルバムの制作はどのような状態で進んでいるのでしょうか? リリースの目処もあわせまして、現在の様子をおしえてください。

むうとん:音源制作の予定は今の段階では何もありません。新曲がこの夏に完成して、今はストックもないまっさらぴんの状態です。

――むうとんさん、やすよさん、あずみさん、それぞれの近況、これからの活動予定などをおしえてください。

【数えきれない予定 10/12磔磔以降】
10/22(火・祝)@ムジカジャポニカ
『真夜中にコンニチハ』
デグルチーニ
INDIAN NO ECHO SIGN BINE NO!
数えきれない
OPEN 18:00 / START 19:00
Charge : adv. 2,500yen + 1drink / door. 3,000yen + 1drink

11/21(木)@UrBANGUILD
『AQAZONDERLAND』
LIVE:
AQATUKI
ラブワンダーランド
数えきれない

BGM:smoke me

OPEN / START 19:00
Charge : adv. 2,000yen + 1drink / door. 2,400yen + 1drink

【あずみ予定】

10/19(日) @いとまんま
**いとまんま2周年祭**
出演:書道家あきひろ/yusuke +菊池航+宇野一成/ colloid
13:30 open 14:00 start
charge:3000円

11/8(金)
「白百合の宴」2019 秋 京都 @拾得
出演:かりきりん、E t t、池原コーイチwith幸枝
17:30開場 18:30開演
予約(前売)¥3000 当日¥3500

――最後に。このイベントは京都・磔磔で行われているレギュラー・シリーズになります。京都という町、磔磔という場所での思い出があればいくつかおしえてください。

むうとん:京都市左京区から出て暮らしたことがないんです。いつか京都を離れることがあったとしたら、その時まるごと思い出になると思います。
磔磔は東アジアドラゴンリーサンダースで初めて出演しました。当日の昼間に吉田寮で練習をしていて、新しい曲をあーでもないこーでもないとやっていたら、入り時間に一時間?二時間?ぐらい遅れてしまったのが申し訳ない思い出です。
あとは、ドラヒップのふたりで「お買い物をしてケーキをつくる」という流れの打ち込みインストのライブをしたときの思い出があります。「スポンジを焼く」の曲のあとに「デコレーション」の曲をやりました。昼間に焼いたスポンジとホイップクリームといちごとマーブルチョコとあれやこれやを持ってきてあって、曲の中でデコレーションをして、出来上がったケーキを切ってお客さんに配ったんです。結構ちゃんとおいしく出来てたのに、気味悪がってほとんど誰も食べてくれなくて、とても悲しかったです。

あずみ:京都の生まれではないのですが、人生の半分を京都で過ごしたことになります。が、やっぱり10代までを過ごした土地の細胞の記憶というのはよい意味で根強いもので、京都はどこか馴染み深い知らない土地のような気もします。だけど外から来たからこそ、いつまでたっても感じる独特な空気・見える見えないどちらの世界との付き合い方も、面白くて好きです。なので、数ではなくていろいろな人に出会える。
初めて磔磔を訪れたのは「騒音寺」の公開録画ライブ?だったような気がします。
学生時代後半に民族音楽サークルに入ってから、シカラムータや新大久保ジェントルメン(そういえば太田恵資さんに保険証にサインしてもらった)とか観に行ったり、あ!Taraf De Haidouksも。
その後、「薄花葉っぱ」の一枚目のCDを出したインディーズレーベル・オフノートの季節ごとのツアー最終地点が磔磔で、度々出演させていただきました。そのCDに関わってくださった関島岳郎さん、中尾勘二さん、船戸博史さんの演奏をはじめ、その時々でゲストに渡辺勝さん、オクノ修さん、鈴木翁二さん、大工哲弘さん、、他、錚々たる方々のだいぶ贅沢な演奏をたくさん体験しました。ここでいったん私の人生観や音楽への考え方が大きく変わったので、そういう意味でかなり印象深い場所です。
あ!あと磔磔といえば、富小路通り沿いの瓢箪印のお蕎麦屋さん!女将さんがとても可愛らしい人で、ビールはみんな自分で冷蔵庫から出して栓を抜く。リハ後によく行きました。

やすよ:たまたま合格した大学が京都だったということで、特に京都に憧れがあったわけでもなかった私は実家から大学へ通うだけの毎日だったんですが、2回生の終わりから京都に住み始めて。そのあたりから吉田寮に出入りするようになっていろんな人と出会って、どんどん世界が広がっていって、、、そこが私の大きなターニングポイントだったのかなあと。むうとんと初めて出会ったのもその頃だし、UrBANGUILDのブッキングマネージャーのryotaroさんと出会ったのもその頃ですね。当時は一緒にバンドすることになるとか同じ場所で働くことになるとか、全く予想してませんでしたが。
初めて磔磔に行ったのが誰のライブだったかは覚えていないのですが、東アジアドラゴンリーサンダースのライブの時に初めて二階に上がらせてもらって衝撃を受けた記憶があります。こんな楽屋があるのか!って。