気分はどうだい? Vol .25 「刷り込まれた曲の記憶」
- 2019.12.03
- COLUMN FROM VISITOR
今年2019年は50年以上にわたり自分自身が聴いてきた音楽(いつの時代も結局ロックが中心でした)を振り返った時期だったように思います。今回は何かその辺りのことを・・・
とにかく今年は1969年にリリースされた色々なグループの50周年記念アルバムが次から次にリリースされ、そのほとんどのものがデラックス・ヴァージョンを含む拡張版でした。この原稿も11月22日にCD5枚組で発売されたジミ・ヘンドリックスが69年の大晦日にNYのフィルモア・イーストで行ったNYEのフル音源を聴きながら書いています。しかし最近は新譜も含め、ほとんどがストリームで聴くことが多くなりよっぽどの事がない限りフィジカルは買わなくなっています。50周年記念物の主要なものもほとんどがそうです。ウッドストックの38枚組のBOXもそうだったし、オリジナル盤では持っているのですが、やはりリマスター、リミックス、完全版やアウトテイクとか言われると聴きたくなり聴いてしまいます。しかし音がいいとか云々とかいうのはもう気にしないし、最近はそういう聴き方はしなくなっています。オーディオのセットは今だにあるのですが家では昔のような大音量では聴かなくなりました。毎週生放送しているラジオ局のメイン・モニターは許される範囲の音量で聴いていますが・・
よく無人島レコードやある時代のベスト10アルバムとかの特集が組まれたり、最近の音楽雑誌でも名盤と言われるアルバムの内容が事細かく紹介されていたりするのですが、そういうのではない頭の中に刷り込まれた曲というのがあって、どの時代になってもその曲がふとした時に立ち現れるのです。洋楽を中心に今まで聴いてきた何万もの曲の中で・・その筆頭はドアーズの「音楽が終わったら/ When the Music’s Over」・・で、プロコル・ハルムの「青い影 / A Whiter Shade Of Pale」そしてボブ・ディランの「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー/ It’s All Over Now, Baby Blue」の3曲。ディランは全オフィシャル・アルバムを持っているのですがこの曲なのです。
今までも、今でも随分と聴いているビートルズや60年代後半のグループ、70年代のSSWの曲や昔バンドでコピーしていた曲でもない、それとは全く違う潜在的にスリ込まれた曲なのです。ふとした時のデジャヴや夢の中に出てくる昔の風景とか、当時読んだ小説や映画のワンシーンとか、彼女とか、その彼女の体臭が記憶として残っている様な・・
3曲とも聴いていたのは17歳前後。アルバムでいえばドアーズは67年の「まぼろしの世界」、プロコル・ハルムは一曲目に「青い影」が入っていたやはり67年の米盤のファースト、ディランは65年発表の「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」なのですが、この頃は、数少ない限られたレコードを深くのめり込んで何回も聴いていたということもあり、それまでとは違う曲の受けとめ方、解釈をするなど多感な時期だったのは確かで、それが作用しているのかもわかりません。
昔デンゼル・ワシントン主演の映画で「悪魔を憐れむ歌」というのがありストーンズのこの曲が媒体となり悪霊が宿主を次々と乗り換えるみたいなのが有りましたが・・無意識の中で伝わる曲のパワーみたいなものがあったのかもわかりません。これらの曲がなぜ今も別格として残っているのか、ジム・モリソンやゲイリー・ブルッカー、ディランの声なのか歌詞なのかメロディーだったのか、単純に曲のタイトルからのイメージなのかわかりませんがとにかく頭の中にずっといるのです・・・洋楽のロック体感のトラウマ、刷り込まれた音楽の記憶なのです。
PS : どんな曲がそれぞれの人の頭の中に刷り込まれているのか凄く興味があります。
「音楽が終わったら/ When the Music’s Over」The Doors