カレー屋店主の辛い呟き Vol.27
- 2020.03.03
- OSAKA
「HIPHOPのはなし1ーグランドマスターフラッシュー」
さてさて、世の中は大変ですね。コロナウィルスですか…。なんだかなー。こんなコト言うとなんか意識が低いだの、深刻さがわかってないだの言われそうだけど、よくわかんないよな実際。店をやってると、いろんな人来るし。一応アルコール消毒だけはしてみたりな感じな訳ですが。ただ、ウチの店で発生したその時は、もはや、店のある上本町全域で発生してるんだろな。なんせほらウチお客さんの数が少ないもので…。逆に安全とか。笑えねーとゆーか笑えるとゆーかね。
大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。
ついつい自虐ネタから始めてしまいました。ミナサマお元気ですか?ご自愛くださいませ。
さて今回。というかこのような場所で文章を書かせていただく機会をもらって早2年。いろいろダラダラ書いてきたけど、今回自分なりにHIPHOPのコトまとめてみよーと思いまして。まあ、カレー屋だし、そもそも持ってるレコードはハウスとか4ツ打ちばっかでそんなHIPHOPに詳しいわけじゃないのだけどさ。昔からずっと聴いてきた音楽で、店をやって、たまーに音楽関係の子らが来るとHIPHOPの話をすることが多いわけさ。そんなもんで、いろいろと思い出す話も多かったりして。てな訳で、時々ゆるーく自分なりにHIPHOP系の話をまとめたれと思いいたった次第。今回はその1回目。ただ、書いてみてあんま面白くなかったらやめちゃうのであしからず。
■HIPHOPのはじまりはじまり
さて何から書こう。第1回目は、偉大なDJグランドマスターフラッシュの事を書きながら、HIPHOP創成期のコトを絡めて書いていけたらなと思うのだけど。そうそう、今から書くことはあくまで僕が聞いたり、考えたりしたことなので、これが正解!って訳でもないのであしからず。異論がある方は店で飲みながら話しましょ!とゆーことで。まずは、グランドマスターフラッシュのコトを書く前にHIPHOPの始まりの話から。ことの始まりは1973年。ジャマイカからNYのブロンクスに移り住んだ「クール・ハーク」(上の写真)が、自身が所有していたレゲエのサウンドシステムを利用して妹の誕生日パーティーの為にDJを始めたんだ、そして、程なくターンテーブルを2つ同時に使って2枚の同じレコードの特定部分を交互に何度も繰り返すブレイクビーツを発明することになる。この時彼は18歳。ダンサー達が一番好んだドラムの短いブレイク部分を次から次へと繋いでいくこの斬新なアイデアは熱狂を呼んで、そしてMC達にラップをする機会を与えることになった訳。そして、彼のこのスタイルと彼のグラフィティ(落書き)の神秘性はブロンクスで評判になって、彼はブロンクスのヒーローに。最初にブレイクビーツを見つけ、ブロックパーティを行うことで、熱狂を創り、そのテクニックや熱狂が広がるきっかけになった男。これが彼がHIPHOPの始祖と言われる所以なんです。
※ちなみにドラムブレイクってこういうコト。
今じゃ当たり前の基本の基本のブレイク集。MPC初心者必聴!
そして、これも同じ時期。南ブロンクスで地域を仕切っていたギャング団のリーダになって、縄張りでのドラッグ</売買を阻止し、自身の縄張りとメンバーを守るために暴れまくり、そしてパーティーを開いていたのが「アフリカ・バンバータ」。結果、このギャング団がNYで最大の人数と縄張りを持つ「ブラック・スペード団」になっていくんだけど。改めてこう書いてみると書くと、バンバータって完全にヤンキー漫画の主人公のよう…。そして、その後アフリカに旅行をし、ズールー族の酋長バンバータの「愛されるリーダー」(ズールーの意味)像に感銘を受け、「アフリカ・バンバータ・アーシム」と改名。そのズールー族の結束の姿に大きな影響を受けて彼の世界観は大きく変わっていく。そんで、NYのギャング達の暴力的な活動を阻止することを模索するようになった彼は自身のギャング団を「ユニバーサル・ズールー・ネイション」というHIPHOPカルチャーのクルーへと進化させるワケ。ものすごく簡単に言うと「暴れまわるよりもっと楽しいモノ見つけた!みんなカッコええからやろや!」と言った具合にな。そして彼は1974年11月に宣言をします。音楽やダンスのみならず、ファッションやアートを含めた黒人の創造性文化を「黒人の弾ける文化」という意味を込めて「これがHIPHOPやで!」と。ブロンクスのブロックパーティーから発生したブレイクビーツ、そしてそこに思想を乗っけたのがバンバータ。HIPHOP=ラップではなく、音楽のいちジャンルでもなくて、あくまで文化、そして精神性のコト。ここ結構重要なトコなんです。
後に彼はHIPHOPの4大要素“DJ・MC・ブレイキング(DANCE)・グラフィティ(落書き→STREET ART)”を提唱し、後にKNOWLEDGE(知識)を加えた5大要素がHIPHOPやろと語ってます。ただのギャング団のいかついだけのボスや無かったんです。顔怖いけど…。
Afrika Bamabaataa & The Soulsonic Force 「Planet Rock」1982リリースのClassic。テクノに注目してた彼はこの曲でクラフトワークのフレーズを利用。後のアーティストさんに影響を与えます。
■研究者で発明家!?グランドマスターフラッシュの登場
そして、これまた同じ時期。今回の話の主人公で、後に上記の2人と共にHIPHOPの始祖の3DJと言われることになる「グランドマスターフラッシュ」。彼もブロンクスに住むイチ青年。1970年代初期のブロンクスっていう狭いエリアでいかにHIPHOPムーヴメントが盛り上がってたか、そして未知のこのカルチャーにみーんな夢中になってたかってコト。世界中が情報で繋がってる2020年代じゃ考えにくいわな。で、こどもの頃からいろんな機械を分解して遊ぶのが好きだったこの青年も、親の持つレコードを聴きながら、同じようなことを親のソウルのレコードを聴きながら考えていたんだなそーな。「あーなんか、曲中にある短いドラムソロみたいな部分(ブレイク)がずっと続けばいいのにー」とな。そして、そのうちに「クール・ハーク」のパーティーに出入りし、2タンテーブルでのブレイクビーツのプレイを体感したフラッシュは、そのループを永遠に続けるのに最適な方法を探しはじめる事に夢中になるワケ。元来の機械への好奇心と、研究心を持つ彼は家に籠り実験と研究を重ねたそう。そしてブチ当たったのが3つの大きな課題。1つ目はレコードを巻き戻すときにレコードがスムーズに回らないコト。これは家の親の服や紙、フェルトをターンテーブルの上に片っ端から乗せてみて日夜研究。結果、レコードの滑りがよくなることを発見。これが現代のレコードを使うDJさんには欠かせないスリップマットの原型。そして、2つ目の課題は止まってる状態からレコードプレーヤーが最大加速状態になるまで時間がかかること。ありとあらゆるプレーヤーを試した彼、満足いかずあきらめかけていた時に楽器屋の隅で箱に入って眠っていた機械が目に止まったそう。彼の言葉を借りると“今まで使ったなかで一番速く最大速度に達して感動をした。驚いたことにこれが全く聞いたことがないメーカーが出してるターンテーブルだったんだ。それには小さくステッカーで「Technics」と書いてあったんだよ。” そう。それが、後に世界のDJ達の間で名機と言われるSL1200を生み出すこととなる日本製テクニクスのSL23だったというハナシ。ちなみにこの時彼はボールペンをターンテーブルの上に置き実験をしたんだけど、1/4回転で最大速度に達したらしい。DJの概念がない中でなんでそんなにトルクがあったのか。今となっては謎だよな。そして3つ目の課題は片方のターンテーブルを流している時に、もう片方のターンテーブルの音を確認できないこと。これは彼が近所の電気屋で電流スイッチを買い、ミキサーから出るケーブルに取り付け、スイッチが片方にあるときには自分だけに音が聞こえ、もう片方にあるときは前のスピーカーから流れるというシステムを自作して解決。これが後のDJミキサーに導入される「CUE」機能となるワケ。気が付けば、単なるパーティー好きではたどりつけない領域に達してしまった彼。完全なるオタク笑。
■数式『4BF =6CCR = Full Loop』
そしてフラッシュはDJプレイそのものにも革命を起こすことに。例えば、ある彼の事を紹介するBIOにはこう書かれていて“ジョセフ・サドラーことフラッシュは、始祖たるヒップホップの「聖なる三位一体」のひとり、つまり1970年代のニューヨークのブロンクスで、MCによるラップと、ターンテーブルによるレコードをミックスするアートを作った3人のDJのうちのひとりである。レコードを逆方向にスクラッチするというアナログLPへの大罪を犯し、フラッシュはわずか10秒のブレイクを10分間のビートに生まれ変えさせて、数十億ドル産業となった音楽ジャンル発明の礎を築いた。” この表現好きやなー“レコードを逆方向にスクラッチするというアナログLPへの大罪を犯し”ってトコ。その当時レコードを手で触るってタブーだったんだけど、手で触った上に逆回転でスクラッチするってな。オモロ!ってなったんやろ。ほんま大罪。笑 んで、これは一例で、バックスピンなんかも彼がやり方を確立したなんて話もあるし、まぁみんなでワイワイレコードかけてるうちになんとなく編み出したんだろーけど笑。そして上に書いた数式『4BF =6CCR = Full Loop』。これは彼のDJ理論「クイックミックス理論」の根幹で、後のすべてのDJが参考にしたこの数式。彼のインタビューをそのまま転記すると “私は『4BF = 6CCR = Full Loop』という数式を考え出した。つまり(片方のレコードが)4小節進行するあいだに、(もう片方を)反時計回りに6回スピンすれば、ブレイクの先頭にたどり着けるというものだ。つまり、皆がレコードに手を出して何度も何度も何度も何度も繰り返しているDJは、私が71年に発明したこの科学によるものなんだ。” んー。彼曰く1971年にはこれを発見していたってコト。それを実現するためにハード的工夫を重ねたってコトになるんだな。はー。スゲー。DJやったことが無い人はピンと来ないかもしれないので彼がこのことを説明してる動画を張っとくね。↓
42分ぐらいから5分ぐらいこの『4BF =6CCR = Full Loop』を説明して実践してます。DJって何してんの?って人は是非!めちゃ分かりやすい!
ちなみに上の動画を補足するとこの『4BF =6CCR = Full Loop』つまり、33回転として6周で10.9秒。この時間に4小節 16拍鳴るとしてつまりBPM(トラックのスピードね) 88の場合ってこと。例えばBPM 100の場合は4BF=5.28CCRになるワケ。言葉で言うと難しい…。ただ、ジャンル問わず、この後のすべてのDJ理論やテクニックはこの理論の延長線上にあるといっても過言じゃないのかもしれないし、
僕たちにとってはアインシュタインの「E=MC2」よりも価値のあることだったかも。言い過ぎ?
「グランドマスターフラッシュ」の歴史を改めてまとめてみると、理想の音楽に対して使えるものは何でも使って、ないものは創造するという科学者であり、研究者であり、創造者であることがよーくわかりました。興味のあることには自分もこうありたいと思ったわけです。はい。
ちなみに、この2ターンテーブルでのアナログMIXを確立した彼ですが、15年ほど前からはPCを使ったDJMIXのシステム「TRAKTOR SCRATCH」を使っています。その当時アナログにこだわりを持っていた僕はアナログのDJ作った人がPC使うんや!と衝撃を受けたワケですが、こうやって彼の創造者としての歴史を改めて見てみると、「いや、だって便利やん。なんでそこにこだわり持つの?」っていう彼の言葉が聞こえてきそうな気がしました。つまりは、バンバータの言う「HIPHOPとは平和、団結、愛、そして楽しむ事をモットーとするもの。」というマインドを体現するための壮大な遊びなんですよ。きっと。
Grandmaster Flash & The Furious Five 「The Message」彼の最大の名曲です。
さてさて、HIPHOP創成期のお話。どうでしたか?個人的にはいろいろ発見もあって面白かったけど。
これからもなんかテーマ思いついたら書いておこうと思います。
ではまた。