第30回エレクトリック・ギター革命史 (Guitar Magazine) (日本語) 単行本(ソフトカバー) ブラッド・トリンスキー(著)・アラン・ディ・ベルナ(著)・石川千晶(翻訳)

エレクトリック・ギター革命史 (Guitar Magazine) (日本語) 単行本(ソフトカバー) ブラッド・トリンスキー(著)・アラン・ディ・ベルナ(著)・石川千晶(翻訳)
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ギターが好きと言うことで、ギター関係の本を紹介させてください。ギター関係の本ばかり紹介していくかもしれません。

前回の『ビンテージ・ギターをビジネスにした男 ノーマン・ハリス自伝』で、“ロック誕生前夜の音楽シーンが本当はどんな姿をしていたのか、よく分かっていないのです”と書きましたが、今回紹介させていただく『エレクトリック・ギター革命史』もそんな前夜の不明な部分を解明してくれる本です。

なんとこの本今キンドル・アンリミテッドだと無料で読めます!

解明と言っても、なぜ明智光秀が織田信長を暗殺したのか理由が分からないのと同じくらい分からないのです。500年前のことが分からないと言うのは分かるのですが、いや、分からない、一国の首相みたいな人がなぜ暗殺されたのか、文章として残っていないと言うのが不思議で仕方がないです。それは安倍首相がなぜ首相になったのかよく分からないというのと似てますね。

本当はちゃんと説明出来る人には説明出来るんだと思うんです。資料を読み解けば、なぜ安倍首相がマスクを2枚配布しようとしたのかも読みとけると思うのです。ちゃんと資料を読んでないだけだと思うのです、もしくは誤読してるとか。そうならないために『エレクトリック・ギター革命史』からなぜエレクトリック・ギターが誕生したかを書いときますね。皆さんにはどうでもいい話かもしれませんが、僕にはワクワク、ドキドキする話なのです。

一応この本の流れを書いておきますと、

なぜエレクトリック・ギターが誕生したか、一番最初にエレクトリック・ギターとはどんなものか世間に知らしめたチャーリー・クリスチャンの物語、箱物じゃなく、木の板にそのままピック・アップをつけた方がいいと考えたレス・ポール、それを一緒に考えてたレオ・フェンダー、それに対抗しようとギブソンがレス・ポール・モデルを考えると言う流れです。そのあとは皆さんが知っているビートルズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ヴァン・ヘイレンと言う流れになっていきます。

僕はそのさわりの部分を紹介しようかなと。

皆さん、一番最初のエレクトリック・ギターはフェンダーが作ったテレキャスターだと思っているでしょ?全然違うんですよ、その20年くらい前からエレクトリック・ギターは存在していたのです。

そこにギターがある限り、6弦プレイのテクニックで富と名声を夢見て故郷の田舎町を捨て、光り輝く大都会を目指す若いギター・プレイヤーは後を絶たない。1920年代初期のテキサスの片田舎を出たジョージ・デルメテイア・ビーチャムも、間違いなくこの壮大なクエストー現代においてはある種の聖地巡礼ーの衝動に駆られてハリウッドに拠点を移したのだろう。ビーチャム青年はその頃20代の半ばだった。ギターリストとして身を立てようとロサンジェルス地区へ出てきたはずの彼だが、あいにく奏者として名を残すには至らなかった。録音物も何も残されていないため、彼がどんなギター・プレイヤーだったのかを知る手がかりはない。

それどころか、ビーチャムの並外れた功績ーエレクトリック・ギターの開発において彼が果たした重要な役割でさえ、ごく一部のギター通が認識しているに過ぎない。過去数十年間を振り返っても、彼の名前はレス・ポールやレオ・フェンダーやチャーリー・クリスチャンと同等に鳴り響いてはこなかった。しかしエレクトリック・ギターはジョージ・ビーチャムの働きなしでは誕生しなかったかもしれないのだ。世に先駆けて正当に機能するギター・ピックアップを発明した彼は、デザインの先駆者として、世界で初めて販売目的で開発、生産されたエレクトリック・ギターに自ら考案したピック・アップを載せた人物である。

狂騒の1920年代のロサンジェルスへ乗り込んだジョージ・ビーチャムは、難なく都会の生活に適合できたようだ。人当たりのよかった彼は誰からも好かれ、禁酒法の施行下で時折薦められる違法な酒類に対してもまったく大らかだった。ジョージとアルトン(ジョージの弟)は20年代に依然として大人気だったバラエティー・ショーとしての演劇形式、ヴォードヴィルの舞台の仕事を得た。彼らはエンタテインメントの世界で昔も今も最大手である芸能事務所、ウイリアム・モリス・エージェンシーにブッキングを委ねることによって、安定した仕事量を確保した。兄弟はグラスホッパー&ジョージという名のギター・デュオとしてハワイアン・ミュージックを演奏した”

ウイリアム・モリス・エージェンシーなんて名前が出て来て感動です。ここで書かしてもらっている会社の東京のボス、日高さんと昔、ブロードウェイにあるウイリアム・モリス・エージェンシーに行ったことがあります、ここがアメリカ、ヨーロッパのエンターティメントを作った会社かと感動しました。古くはチャプリン、マリリン・モンロー、フランク・シナトラ、プレスリー、今だとローリング・ストーンズ、レッチリ、X JAPANですよ。現在はソフト・バンクが出資していて、8%の株を所有しているから、日本のアーティストにも力を入れているんですかね。MIYAV、BABYMETALもウイリアム・モリスです。

ここからスティール・ギターの話になっていくんです。ロックンロールにとってハワイアンもとっても大事なんです。ハワイアンのスライド・ギター聞いても常磐ハワイセンターしか思い浮かばないですが、昔は本当に過激だったんじゃないかなと思うのです。これにピック・アップをつけることからエレキは誕生していくのです。

この後、ギブソンが初のエレキES-150やそれを買えないブルース・マンたちが10歳のギター少年、ジョン・ヘンリー・ディアルモンドが作った取り付け式のピックアップの話や、フェンダーなど色なん話を書きたかったのですが、まっその辺はこの本を読んで自分でパズルを埋めていってください。