VOICE OF EDITOR #2

「出口は見えてきた」らしい。しかしアベノミクスとは勝手が違うのかその科学的根拠となる具体的な明るい未来が見える数字やデータはどこを叩いても出て来ないようだ。国債は発行したけれど、、、。世界最大級のコロナ対策・第2次補正予算が成立したという我が国の首相による誇らしげな発言は我々にガーンと響いて来ない。官邸に近い人達は1億5千万円を「二人の秘密」とばらまくことはできても、まっとうなお金の使い方はよくわからないらしい。大阪市の定額給付金給付率が3.1%という驚愕の数字が物語るものは国も地方自治体もこのような危機管理ができていなかったということを証明している。コロナ関連の倒産は全国で287件に達したという。また一方で4月の自殺者が昨年比19.7%減という「4月の謎」が飛び交う。はい、わかりますよ。こんなこと誰も想定してませんよね〜って、今回ばかりは相槌を打っている場合じゃない。おとなしく経済活動を自粛させていただいたんですけど、貰うもん貰ってからでないと一息もつけない。おいっ!俺たちの「新しい生活様式」は一体どこにあるんだよ?

とまぁ、ついつい愚痴ってしまう梅雨の合間の青空が眩しい今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?こんな時だから優しい気持ちを大事にしましょう。唐突ですが「幸せを感じる瞬間」ってありますか?僕はシナモンロールが好きで、スターバックスやドトールのもいいけど、品川駅にあるブランジェリー・ラ・テールの一人で食べきれない濃厚なシナモンロールもあれば、KOHYO(コーヨー)という大阪のスーパーマーケットに入っているパネッテリアというパン屋さんにおいてあるオーソドックスなこれぞシナモンロールというのもある。最近、シナモンの香りと砂糖の甘さに、グァテマラやブルーマウンテンならα波という脳波を出現させてリラックスを促し、モカならP-300という脳波の出現を促して脳の情報処理能力を上げるという魔法のようなコーヒーの香りを鼻と舌に絡める時が「幸せを感じる瞬間」だ。そしてコロナ禍だからこそ通う気になった歯医者さんでの虫歯治療も大詰めを迎え被せができるのを待つばかり。歯間ブラシ頑張るぞ!

そんなKOHYOなんば店で3日分の食料ともちろんシナモンロールを買い込んだ帰り道に車のラジオが受信していたFM Co Co Lo。1971年にピンク・フロイドが初来日した時「箱根アフロディーテ」という野外フェスティバルの立ち上げに携わったという大物評論家でありプロデューサーの立川直樹氏と創刊当時の「POPEYE」「月間PLAY BOY」「BRUTUS」で特集記事の編集をしていたことでも有名で多数の著書がある森永博志氏がDJをやっている番組「ラジオ・シャングリラ」から聞こえてきたのが、イエロー・マジック・オーケストラ。中華人民共和国の赤い人民服をまとった3人がコカ・コーラを飲みながら麻雀卓を囲むカヴァージャケットと言えば「SOLID STATE SURVIVOR」に収録されているビートルズのカヴァー曲「DAY TRIPPER」だった。その瞬間僕の耳はラジオに釘付けになった。イーノやフィル・マンザネラ、ビル・マコーミック、フランシス・モンクマン、サイモン・フィリップスによるスーパー・ユニット、801がやっていたビートルズのカヴァー「TOMMOROW NEVER KNOWS」も大好きで、その壮大でファンタジーなアレンジは凄かったが、この「DAY TRIPPER」は不覚にもこの41年間軽く聞き流してしまっていた。家に帰ってレコード棚をまさぐり探し出した「SOLID STATE SURVIVOR」の黄色い半透明なレコード盤をプレーヤーに乗っけて針を落とし、スピーカーと睨めっこしながらにレコード盤を3回裏返した。

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いやぁー、まいった。こんないいアルバムをホコリまみれにしていたとは、、、。ひとつひとつサウンドが緻密にオーガナイズされ並んでいる。そのラインナップから立川直樹氏がこのアルバムのSide2から選んだ曲「DAY TRIPPER」はジャーマン・ロック・シーンにあって異端だったNEU!のようにパンクだがKRAFTWERKよりも高いクオリティーで仕上がっている。僕はSide1の「CASTALIA」という坂本龍一氏が作った曲もデビッド・ボウイの「LOW」あたりの曲調を帯びていて好きだ。あらためて41年振りにY.M.O.の偉大さを知った「幸せを感じる瞬間」だった。

その41年間に世界はめまぐるしく変わった。そんなY.M.O.の影響もありニューウェーブな1980年は中国ブームで、大中という中国雑貨を扱う店が流行っていた。当の中国は毛沢東による「大躍進運動」における経済政策失敗により2000万とも4000万人とも言われる餓死者を出し、その後の「文化大革命」も毛沢東の死去により志半ばで終焉。日本は1972年、文化大革命時の首相、周恩来の招きにより当時の首相、田中角栄が毛沢東と会談し日中共同声明を発出することに合意していた。その後度重なる権力闘争の末、1980年に入り鄧小平の経済政策が庶民にも支持され中国は改革開放路線へと展開されていた。21世紀に入り、外資系企業の誘致と輸出主導の経済政策で躍進した中国は資本主義と共産党一党支配を巧みにマネージメントし15億人という巨大マーケットを背景にアメリカへ圧力をかけるまでになった。ついには香港での一国二制度を崩壊させる「香港国家安全法」を成立させ、民主主義への挑戦状を叩きつけた。Y.M.O.はこんな現在の状況をまるで予言していたかのようだ。

時代は新自由主義や民主主義にほころびが見え出し、一強の政権が幅を利かす国が目立ち始めている。しかし、反人種差別の波が止まらないアメリカや司法を甘く見た日本の一強政権はもろくも崩壊寸前だ。東京都の女帝は揺るぎそうにないが、大阪の維新はうかうかしていると都構想どころか足を滑らしかねない。どこもかしこも決して一強という確実な存在ではなくそこを揺るがすべき他の勢力の存在感が弱いだけなんじゃないのか。というより野党と呼ばれる人たちは現代の経済理論やテクノロジー、アルゴリズムに付いて来れているのだろうか?まだ誰もその出口を見たことがないMMT(モダン・マネタリー・セオリー)という金融政策に片足を突っ込んだ日本、地球、ホモ・サピエンス、大丈夫か?

日中共同声明が発出された頃、まだ高校生だった僕は、冬休みには酒屋でアルバイトをしていた。お歳暮と忘年会シーズンが重なり、年の瀬の酒屋は配達でてんてこ舞いだった。1971年は当時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンが発した「ドルと金の交換停止」によって円が引き上げられ360円から308円になるといった「ニクソン・ショック」があり、田中角栄の「列島改造」の中でインフレを招き、1973年は石油産出国が原油価格の引き上げと生産削減を発表したことに端を発した「オイル・ショック」の影響でトイレット・ペーパーがスーパーから消えた。そんな京都の師走の街を走る配達車の助手席で聞くラジオからエルトン・ジョンの「黄昏のレンガ路」がよく流れていた。冬の夕暮れは早く、夕日の落ちていく時の色合いがその曲と絶妙に絡み僕の心に黄昏という言葉の印象を深く刻んでいた。「黄昏のレンガ路」は「オズの魔法使い」に出てくる黄色いレンガの道を指していると言われていてエルトン・ジョンの歌詞には、その道沿いには金持ちが住むマンションや喧騒が満ち溢れているが、そんなモノに惑わされることなくその先にある自分の畑に戻るという一節がある。さて我々は国家や経済という虚構に惑わされることなく黄色いレンガ道の先にある自分自身で丁寧に大地を耕すことのできるヴィジョンへと辿り着けるのだろうか?「今」をじっくりと見極めた先にしか「新しい生活様式」はない。

ライブハウスやミニシアター、フリーランスを対象とした文化庁からの支援が今ようやく始まった。今年2月から来年にかけてのコンサート中止や延期による損失は6900億円に達するらしい。7月からライブハウスでライブを始めるための「新しい生活様式」に即したガイドラインが明らかになって来た。我々はコロナ後の「新しい生活様式」ってそんな小さなことじゃなく地球規模のワン・ステージ上の生き方のことだろう?って思いながら模索街道爆心中。まだまだ市場回復への「出口は見えない。」