第33回 モリッシー自伝 (日本語) 単行本 モリッシー(著) 上村彰子(訳)

モリッシー自伝 (日本語) 単行本 モリッシー(著) 上村彰子(訳)
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ついにモリッシーの自伝が翻訳されました。

モリッシー様から“僕の小説は英語以外では読ませない”という通達がきたみたいで、ほとんど翻訳は完成していたいたのですが、保留状態だったのが、意見が変わったみたいで、無事発行されることとなりました。

モリッシー様もそろそろお金がなくなってきたんですかね。

自伝を“小説”なんて書いてしまいましたが、モリッシーの洞察力はいい小説を読んでいるようないい気持ちにさせてくれるのです。

醒めた状態で世界を見ている感じが、トルーマン・カポーティーの小説のようなのです。カポーティーの小説を原書で読んだの『ティファニーで朝食』だけなんですけどね。本当は近づきつつある大人の世界を予感して怯えるひとりの少年の、屈折した心理と移ろいやすい感情を見事に捉えた半自伝的小説『遠い声 遠い部屋』を原書で読んで比べるなんでしょうけど、まだ読んでないんです。

あと、20世紀を代表する小説、ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』ですかね。『ユリシーズ』は日本語でも読んでないです。“漫画で読む世界名作シリーズ”で読んだだけです。

あと長ったらしくいつまでも書いている感じはトマス・ウルフ『天使よ故郷を見よ』でしょうか。

こちらも読んでないんですけどね。

子供の頃から名作と呼ばれ小説は何回も買って挫折してきました。

モリッシーは偉いですよね。ちゃんと読んでいるんですから。僕も挫折するのは原書で読んでないからだと、原書で読み出しているんですが、もっと挫折しております。

でももう後5年で年金貰える歳なので、モリッシーに負けないように名作と言われる小説は読んで行きたいと思っている今日この頃です。

そんな奴に俺の本を語る資格はないとモリッシー様に言われそうですが、この鈍器のような分厚い本を読めば、ジェイム・ジョイスが『ユリシーズ』を完成した時の名言「たとえダブリンが大災害で壊滅しても、この本をモデルにすればレンガの一個一個に到るまで再現できるだろう」のように、この本を読めばモリッシーを再現出来る。

でも、この歌詞はこういうことだったんだよともっと解説して欲しかったような気もしますが、長いモリッシーの人生を一緒に歩ましてくれる感じは最高です。

あと恋の話もちゃんと書いて欲しかったかな。いつの間にか彼氏らしき人が出来て、いつの間にかその人が彼の人生から消えていっている。

読んでて、なんでやねんということが何回かありました。

でもまっ、これがモリッシーなんですよ。多分エイセクシャルな人なんでしょうね。

ウイキによると“エイセクシャル(無性愛)であると自認する人々にはたくさんの種類がいるため、無性愛は幅広い定義を包摂しうると書いた上で、こう解説している。

“無性愛の人々は、いかなるジェンダーの人々にも性的に惹かれないが、純粋な恋愛関係になる場合もあるし、ならないこともある。無性愛を自認する人で、性的な魅力は感じるが、性的あるいは恋愛的行為(抱きしめる、手を握るなど)を心からは望んでいない、または必要とはしていないために、行動に移す気がないと述べる人もいる。一方では抱きしめたり、他の恋愛的な身体行為を行う無性愛者もいるし、好奇心から性的な行為を試みる者もいる。一人での処理の形として自慰行為をする者もあれば、その必要がないと感じる者もいる”

こんな人が80年代のイギリスの若者の代弁者となっていたのだから、面白いなと思う。いや、こんな人だから、80年代のあの暗くって、未来がなかったイギリスの希望の火となっていたのだろう。

そんなことを思い出させてくれる面白い自伝です。