シロート・クロート・グレーゾーン Vol.2

コロナ禍ですね。シロート・クロート・グレーゾーン2回目、書きます。江頭です。それにしてもコロナ禍です。音楽の仕事を生業としておりますが、2020年の4月ごろからライブのブッキングはなんっにもなくなりました。何本か無観客での配信ライブはありました。コロナ以前には、だいたい2カ月に1回ぐらいはライブハウスやクラブなどの会場を借りて、規模の大小はあれど、なにかしらライブイベントをしていました。それが今やこんな感じですね。世の中が激変中です。

ライブができないから仕事がない。と周りの人たちに言うと、なにか自分の属する世界のみが大変な感じと、誤解をあたえそうで嫌です。飛行機のパイロットも、ホテルの人々とか、その他にもいろいろ大変なはずです。みな大変なのです。工夫をしないといけませんよね。声高に「助けてください!」の一方通行はキモイ。このコロナ禍に関しては直言したいこともありますが、誤解を生みやすいので割愛。検査の数がどうとか、マスクの効果がなんやかんやいうて、ほんといろいろありますわな。

すこし遡りますが、この騒動の真っただ中の4月に仕事仲間からドライブインシアターを全国でやらないか?という話なんかがありまして、ここのチームはバルーン型スクリーンで送風機で空気をいれて膨らますタイプの大型のものを所有していて、4月1日にその所有するスクリーンを使って「こんな時だからドライブインシアターで全国ツアーするぞー!」とエイプリルフールのネタとしてツイートしたところバズったみたいで「エイプリルフールのネタではなく実際に是非やりましょう!」と全国的に広がりを見せたようでして、そんなおり、どうですか?江頭さんも?と電話で問われ「是非やりましょう!」と答えたのですが、なかなか開催までの道のりは大変でした…

まず、場所の問題。今回はありがたいことに、奈良県、平城宮跡の駐車場スペースをお借りして開催することができたのですが、スペース的に集合できる車の数が限られているので、採算をとるのも大変です。いろいろご協力いただいている皆さんのおかげで開催できています。もう採算を度外視して意地でやってみようと思った訳です。

ただし、やるからには映画のみではなく、自分たちなりの色をだせればということで、レゲエシーンの巨人DOZAN11さんこと三木道三さんに相談をさせていただきまして、コロナ禍のリモート期間中のとある日の深夜に電話相談したところ、「やろう」と。ほんとにありがたいことです。

DOZANさんに映画をチョイスしてもらいトークショーとか、音楽なんかもかけながら楽しもうということになり、音楽とトークと映画のイベントになりました。おかげさまで、チケットは完売しました。上映する映画は「50回目のファーストキス」で、これがまたいい映画です。ラブコメなのがいい感じで、彼女とか夫婦とかで来てくれたらいい感じなのではないでしょうかかね。そもそもドライブインシアターってそんな感じでしたよね?車で夜にデートに誘う口実みたいな感じでしたかね?

ということで、ポスターなんかも印刷したりして奈良市内にプロモーションで、いろいろなお店にお願いして掲示していただいたりしました。コロナ禍に「すいませーん。ポスターはってくださいっ!!おねがいしまーす」いうてね。意地ですね。ひさしぶりに楽しかったです。

その他にも最近は新曲のリリースがあったりしました、そのMVを作ったりもしてましたね。KENTY GROSSというレゲエアーティストです。コテコテの大阪の人で、ずっと15年ぐらい一緒に仕事をしていますが、漫画みたいな楽しい人です。この人の歌う「しらんの?」という曲中にあるように大阪は淀川区出身です。知ってました?しらんの?

このコラムのテーマでもありますシロートとクロートということで、KENTY GROSSに音楽人になったきっかけを、すこし掘り下げて話を聞いてみたいと思いまして、この機会に本人に時間を割いてもらって取材してみました。

この人はレゲエのディージェイです。DJというとレコードとかをプレイする人のことや、ラジオで喋る人の事だと思いますが、レゲエの世界、とくにダンスホール・レゲエと呼ばれるシーンにおいては歌う人で特にラップ調にオケに乗せて歌う人の事をディージェイと呼びます。混同をさけるために、DeeJayなんて表記がされたりします。で、このKENTY GROSSはレゲエ・ディージェイというわけです。

こんな感じですねDeeJayとは

SUPER CAT / Ghetto Red Hot

そしてそのKENTY GROSSですが、小学生時代は少年野球に勤しむやんちゃで元気な子供だったようで、中学校でも野球部に所属します。が、しかし素行の悪さから退部させられ、その当時のやんちゃな問題児たちは強制的にラグビー部に入部させられたようで、KENTY少年もラグビー部送りとなります。中学3年生の時には地元の暴走族に参加し、その後18歳まで属することとなります。やんちゃなワルい感じですねえ。

ただ勉強はそこそこ普通にできていたようで、本人曰く10段階でいうと5の高校に入学し、無事に卒業する。そして夜遊びを覚えたころ同時にレゲエミュージックと出会う。「先輩に梅田の阪急の高架下にあったラブリッシュに連れていってもらったんがきっかけっすかね」と言うように、先輩とかお兄ちゃんとか、お姉ちゃんから洋楽が流入してきますよねだいたい。しらんけど。

ラブリュシュ(LABRISH)は大阪梅田にあったレゲエクラブ?バーですかね。私もよく行きました。そんなKENTY青年はレゲエに深くハマったようで、夜な夜なレゲエのクラブに通いプレイされているレコードのぐるぐるまわるレーベル面をみてチェックし、曲名を知りレコード屋さんに通い、さらに深くハマっていきます。今みたいにPCやスマホがあるわけではない1995年あたりのググれない時代ですから、情報は人に教えてもらったり、体験する以外の方法しかない。

そして、その興味は行きつくとこまで行きつき、19歳の時に旅行料金のローンを組んで初めてレゲエの本場ジャマイカへ行きます。1か月の滞在だそうですが、そこでさらにさらに深くハマったようです。音楽のジャンルに限らず、ましてや音楽だけに限らず。海外の本場のシーンを“まのあたり”にしてその芸術活動への最初の覚悟とする人は多いです。ご多分に漏れずKENTY GROSSもそのようです。「1カ月ジャマイカ行って、そん時はSIZZLAとLUCIANOとCAPLETONがXterminatorっていうレーベルがあってそのレーベルから曲を連発しまっくてるときで、CAPLETON / Stand Tallとか同オケでSIZZLAが曲だしてたり、そこら辺の時期やったすかね。いまでもそこらへんの曲聞いたらその時のことを思い出しますよ(笑)」

CAPLETON / Stand Tall (Xterminator 1997)
SIZZLA / Babylon A Listen (Xterminator 1997)

1カ月ジャマイカに滞在し、そして帰国後にさらにお金を貯めて、翌年には再びジャマイカへ行くことになる。こんどは8カ月間の滞在だ。1998年のことである。この滞在から日本に帰国したのちに徐々にイベントなどにブッキングを受けるようになったようで「日本に帰ってきて、歌いながら鳶職して、お金もいるんで稼いで、ほんでまた冬とかにジャマイカ行って、みたいに繰り返していましたね」という、いわば修行時代に突入するのである。売れない時代のお笑い芸人とかに近い感じだろうか?

次の転機は25歳のとき、鳶職をやめたそうで、そこからはステージにのって歌うことで生活ができるようになったそうだ。同時期にCDアルバムも発売しておりメジャーメーカーからリリースされたCDも何枚かある。今からは想像しにくいのだがCDをリリースできれば生活はできたのである。もちろん人気と実力がともなっていればの話しだが。私はこの頃にカエルスタジオミュージックに合流して仕事をするようになった。KENTY GROSSが28歳ごろだと思う。

ということでなんか前フリみたいな話になりましたが、そんな彼と新しい曲をリリースします。『ほんまに言うてんの? 2020』この曲は2008年にリリースされた曲を再構築してリリースする曲で、セルフリミックス?という感じ?でもほぼ新曲です。思い入れのある曲なので、再び違う形でリリースされるのがうれしいです。

この曲のリリースは去年の半ばあたりには構想があって、2020年バージョンとしてRemixをリリースしよう!ということで私的には盛り上っていたんですが、年が明け、彼が歌詞を書いている間に世の中の状況が次々と変化していきました。

2020年はオリンピックもあるし、日本は金メダル何個とれるかなぁ?みたいな明るい感じで世の中へリリースするイメージだったのが、あれよあれよと言うてるまに世界の雰囲気が激変しました。歌詞も最初に出来上がっていたものから現状にあわせて書き直ししたりしましたね。オリンピック延期って…それほんまに言うてんの?とか言いながらね。

ではまた来月。

読んでいただいてありがとうございます!

KENTY GROSS / ほんまに言うてんの? (‘08年、画質が時代を感じますねぇ)
KENTY GROSS / ほんまに言うてんの? 2020 (最新型!)

江頭 善史 (カエルスタジオミュージック)