気分はどうだい? Vol.29 「翻訳文化と洋楽ロックの時代」

日本に洋楽、いわゆるアメリカのポップスが入ってきたのはあのペリーが浦賀に来た時だと言われています。そういう歴史的なことは色々な文献に書かれていて、そういった本も色々出ているので興味のある人は読まれたらいいと思うのですが、今回は時代を経て1960年代に入り今のJ-ROCKにも大きな影響を与えた<洋楽>のロックについて・・

<洋>のつく日本において現在でも普通に表記されたり言ったりする言葉に、洋服、洋食、洋画、洋書等があり、勿論、洋楽という単語があります。全てが明治になって、欧米から輸入されたものを和物と区別するためにこの言葉が使われるようになりました。そして現在においても欧米からの音楽はすべて<洋楽>と呼ばれています。僕の子供の頃(昭和30年代初期)欧米の工業製品や嗜好品などは「高級品」や「一流品」の地位を獲得しており、別の言い方として舶来品(foreign goods)とも呼ばれ結構高価なものが多かったのです。あと外国製というだけで今だに形容される言葉に「本物」「本場」があり、音楽においてもイメージ的には今もずっとその感じを引きずっている感じがします。外国に全く興味のない今の若い連中はそんなことは関係ないのか分かりませんが。そして僕がその洋楽のロックにハマるきっかけとなったのが、このコラムでも何度も書いているビートルズで、彼等のリアル・タイムな第一世代のミーハーファンということになります。60年代中頃の若者にとって洋楽の情報は当時の専門誌「ミュージック・ライフ」しかなく(少しの期間木崎義二氏がやっていた「ティーン・ビート」という雑誌もあり、毎号ソノシートがついていた)、それと連動して発売されるレコードを買い、新しい洋楽をラジオから吸収し、そこからフォーク・ソングやエレキ・ギターなどが学生を中心に流行していくわけです。そして同時期、初期のロカビリー的な<ロックンロール>から、それらは<ロック>と呼ばれるようになっていきます。すべて欧米のグループによる輸入された音楽で、向こうの音楽雑誌のチャートが日本においても重要視された時代で、日本国内においてはそれらのコピーや模倣の時代でした。

勝ち抜きエレキ合戦 / 1965年6月23日から1966年9月28日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ製作の音楽番組。バックにビートルズの写真パネルが。

で、その洋楽なのですが、中学あたりからあれだけ英語を勉強しているのに関わらず、英語の原書を、また字幕なしの映画を見るわけでもなく、日常でも英語を屈指出来るわけでもなく、ロックにおいてもVoを楽器のように捉え、歌詞に関しても多分殆どの日本のリスナーは対訳に頼っていたわけです。現在でもそうなのですが映画や音楽等のタイトルに日本語をつける(カタカナの表記や原題とまるで違うタイトル)というのが慣例のようになっていて、ビートルズの初期などはそれが顕著に出ており、当時の曲などは日本語のタイトルの方がしっくりくるものも多いわけです。日本は明治の頃から、<翻訳文化>の国であり、例えば「LOVE」や「SOCIETY」という単語を日本語にどう置き換えるかという、福沢諭吉や夏目漱石が悩んだ言葉の問題が常にあるのです。英語の歌詞の問題もそこにあり、例えばボブ・ディランなども訳本を読んでも結局解らないわけです(宗教的価値観や人種、国籍の問題等)僕は常にこの2重構造(原語と翻訳されたもの)が気なっていて、数十年、欧米のロックを中心に聴いていたにも関わらず中身を本当に理解していたのか凄い疑問なのです。その点、ビートルズの初期などはあの単純で分かりやすかった英語詞だったからこそ世界中で受けたのかも分かりません。小説などでは翻訳された時点で違う読み物になると言われていますが、それはどこの国(英語圏以外)でも同じなのかも分かりません。

ビートルズの日本発売のレコード。
1964年当時、東芝EMIにおいてビートルズの初代ディレクターであった
高嶋弘之氏が邦題のほとんどを付けた。

そして、60年代以降に輸入された洋楽ロックが日本のロックの形成につながっていき、徐々に定着し、それらが国内だけで大きな市場を持つ大きなビジネスの主流となりピークを迎えるのですが、結局国内レコード・メーカーの終焉(理由に関しては長くなるので書きませんが)とともに消滅していくわけです。現在国内でリリースされている洋楽ロックも大半の商品は何十年も前のファンがメインのターゲットでありで、60年代から80年代に一斉を風靡した有名勢の記念パッケージのリリースや過去の焼き直しのような書籍が相変わらず出版されています。しかし美空ひばりや石原裕次郎等がほとんど語られることが無くなり、商品としても売れなくなってきたのと同様に、洋楽のロックにもこのような時代がすでに到来しているように思うのです。リアルな欧米のロックは全世界何千万、何億の人を相手にしている音楽であり続け、一国しか相手にしない日本国内の音楽とは勿論違っているわけなのですが・・ 

少し前に「日本の文化は、日本のものだけで成立する」のか、とか「洋楽派」と「邦楽派」の対立みたいなことがよく言われましたが、今の現状ではもうそれすらもないのではないかと思うのです。僕自身、数十年、現在も音楽の仕事に付き、あらゆる音楽に関する仕事をし、個人的にも大好きな洋楽のロックを追いかけて来たわけですが、結局、極東の日本に居る僕(達)にとって<洋楽ロック>とは何だったのか・・そういう事を最近結構考えるようになりました。昔、寺山修司が書いた「 コカコーラの瓶の中のトカゲ」と言う文章が頭を過るのです。

こういった本を読みながら・・・

* 黒船来航から、ひばり絶唱まで …
「レコード・マンの世紀」飯塚恆雄 著:愛育社

*Loveの翻訳語がつくられたのは、ほんの一世紀前にすぎない・・
「翻訳語成立事情」柳父章 著:岩波書店

*巨大産業をぶっ潰した男たち
「誰が音楽をタダにした?」スティーヴン・ウイット著:早川書房

*なぜビニール盤なのか?なぜ集めるのか?
「ビニール・ジャンキーズ」ブレッド・ミラノ著:河出書房新社

*ファン第一世代であり日本でのビートルズの作品リリースの統括者が語る・・
「ビートルズは終わらない」行方均著:シンコーミュージック・エンタテイメント

*ビートルズはいかにして世界のアイドルとなったか
「ビートルズ神話・エプスタイン回想録」ブライアン・エプスタイン著:新書館

* 彼女は一枚のレコードをとても大事そうに胸に抱えていた。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」村上春樹:文學界 2019年8月号

* おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。
「アメリカ地獄めぐり」寺山修司評論集:芳賀書店