VOICE OF EDITOR #4

ワンコインでココイチのポークカレーが食べられなくなった。消費税込みの514円になったからだ。税抜なら468円って細かい値段設定してるな。つい先日ココイチに行って支払いの際500円玉を出してお釣りを待っていたら「514円です。」という声に慌てて財布をまさぐった。こんな些細なことだけど、日銀が目標としている年間2%の物価上昇に貢献しているのだろうか?でも実際2%物価が上がったら世の中どうなるんだろうね。銀行に預金しているお金の価値が下がる、給料が現状維持なら実質下がることになる。はてさて、、、。

4、5年前にちあきなおみさんを復活させてフジロックに呼べないかなぁとちょこっと画策したことがあったのを思い出した。そのころ友人に勧められた「ちあきなおみに会いたい」(著・石田伸也/徳間文庫)という本も読んだ。ちあきさんは夫でマネージャーだった郷鍈治さんが1992年9月11日に亡くなられて以来表舞台から遠ざかられていて、もう歌わないという決心は固く実現は難しいという結論だった。

そんなことを思い出させてくれたのは、朝日新聞のシリーズ記事「語る 人生の贈りもの」に友川カズキさんが取り上げられていたからだ。彼は1950年生まれの詩人、画家、歌手であり、競輪愛好家だそうだ。そういえばCD棚に彼のアルバムが一枚あったなと思い出し、三上寛さんの「峠の商人」というアルバムの隣にあった、まだ封が切られていない「ぜい肉な朝」というタイトルのアルバムを聴いた。前述の記事にあった彼がちあきなおみさんに書いた曲「夜へ急ぐ人」が収録されていた。

友川カズキ「ぜい肉な朝」

1977年の大晦日、僕は「紅白歌合戦」を見ていたのかどうかは忘れたが、その紅白でちあきなおみさんはその「夜へ急ぐ人」を熱唱した。YouTubeのその時の映像の中、歌詞のサビ部分「あたしの心の深い闇の中から/おいで おいで おいでをする人/ あんた誰」とものすごい表情と振り付けで歌うちあきなおみさんがいた。紅白歌合戦で歌い終わったあと司会者の山川静夫さんが「なんとも気持ちの悪い歌でしたねぇ。」と笑いを取らなければいけないほど異様な空間を作り出していたわけだ。

ちあきなおみ「夜へ急ぐ人」NHK紅白歌合戦の映像ではありません。

そんな事件から少し遡る。友川カズキさんがテレビ番組「11PM」で彼自身の曲「生きるって言ってみろ」を歌った次の日にちあきなおみさんの事務所から曲を作って欲しいという依頼を受けたそうだ。彼がちあきなおみさんのステージを新宿に見に行ったとき、彼女がジャニス・ジョプリンの曲を歌っていたのを見て感動し「夜へ急ぐ人」はできた。彼女が歌っていたジャニス・ジョプリンは「Move Over」だと当時を知る方のブログで見つけた。ちあきなおみさんが歌う「Move Over」の記録は残念ながらない。このジャニスの映像を見て、二十数年前にジャニスがメンバーだったホールディングカンパニーを招聘したことがあるのをふと思い出した。心斎橋クアトロでのライブはジャニスの亡霊が憑いてまわっているかのように胸に染みる物哀しさが漂っていた。ちあきなおみさんが歌う「夜へ急ぐ人」のヘッドバンキングとシャウトは確かにジャニスを彷彿させるものだが、ホールディングカンパニーが放っていた亡霊の影と同じものを感じる。しかしそれと違うところは、ちあきなおみさんのそれには決して後ろを向いていない存在感があったことだ。

ジャニス・ジョプリン「Move Over」ちあきなおみさんが歌われているところを見たかった。

この「夜へ急ぐ人」は、今ではアナログ盤の取引価格が3万円もする「あまぐも」というアルバムに入っている。河島英五さんが5曲、友川カズキさんが5曲を提供しているこのアルバムのハイライトは何と言ってもちあきなおみさんのバックを1978年10月から放送されたテレビドラマ「西遊記」でのオープニング・テーマ「Monkey Magic」、エンディング・テーマ「ガンダーラ」や劇伴曲が収録された大ヒット・アルバム「Magic Monkey」以前のゴダイゴが担当しているところだ。編曲のほとんどはミッキー吉野大先生とホーン担当の岸本博さんの手による。そりゃあこのアルバム、プレミア・プライスになるわけだ。当時のことに詳しい方のブログによると、ミッキー吉野氏が2014年3月から7月までデイリースポーツ紙に連載されていた「BAND狂時代」の中でも触れられていたが、ちあきなおみさんの夫でマネージャーの郷鍈治さんに「ちあきをゴダイゴのバックで歌わせてくれ」と言わしめさせるほどのクォリティーの高さだった。ミッキー吉野氏はゴダイゴをやっていてそれが今までで一番嬉しい言葉だったと書いている。その連載は83回あって、メチャクチャ読みたいんだけど誰か残していないかなぁと思い、デイリースポーツの読者サービスや図書館で確認したけど2014年の資料は残っていない。その頃のマネージャーK氏に電話したところ、ミッキー吉野大先生に訊いてみてくれるとのこと。すぐに折り返しの電話があって、新聞の切り抜きは確かに持っておられるがどこにしまい込んだかわからないということだった。大先生に家探ししていただくわけにもいかないなと思っていたら、この連載の内容に追記した単行本が出ているのでそっちを読んでみたらとのアドバイスをいただいた。タイトルは「ミッキー吉野の人生(たび)の友だち」(著:ミッキー吉野/シンコーミュージックエンタテインメント)。アマゾンでググったらあったのでそのままポチッ。一晩で読了した。しかし、残念ながらちあきなおみさんや郷鍈治さんとのエピソードはこの単行本には載っていなかった。ミッキー吉野大先生の家にある切り抜きが見つかってデータでいただけたりしたら最高なんだけどと思いながらデイリースポーツの東京本社に電話してみたところその記事がデータで残っているとのこと。そして送っていただけることになった。ただただ感謝だ。

2014年6月11日掲載 提供:デイリースポーツ 全部読みたい!
「ミッキー吉野の人生(たび)の友だち」著:ミッキー吉野(シンコーミュージック・エンタテインメント)

僕は「夜へ急ぐ人」のアルバム・ヴァージョンをちあきなおみさんの復活とかとんでもないことを考えていた頃に購入した「ちあきなおみベストトラックス」というCD5枚組で聴いた。アルバム「あまぐも」の収録全曲ではないが、「あまぐも」「夕焼け」「普通じゃない」「男と女の狂騒曲」「マッチ売の少女」も聴くことができた。ミッキー吉野大先生と岸本博さんによるきめ細かいアレンジとゴダイゴの演奏テクニックは圧巻だ。そしてちあきなおみさんの歌唱力によりさらなる魂の息吹が心に突き刺さる。大音量で聴くことをお薦めする。しかし、前述の「ちあきなおみに会いたい。」の中で作者の友川カズキさんは「人に合わせず、自分が歌うように書けばいいんだって。それで一気に作ったのが『夜をへ急ぐ人』ですよ。だから曲には満足しています。ただアルバムの方は演奏がゴダイゴでアレンジもゴダイゴのホーンセクションの人だったんだけど、歌と正反対の仕上がりになっちゃった。あの歌は突き抜けるくらいストレートにしなきゃいけないのに何とも佳作っぽい落ち着いた雰囲気になったのが不満だった」と言う感想を述べておられる。いずれにせよこの曲に関わった方たちの思い入れには凄いものがあったということを物語る。当時のコロムビア・レコードのなかでも賛否両論の問題作だ。ちあきなおみさんはその後コロムビア・レコードから先鋭的でロックなビクター・インビテーション・レーベルへと移籍することになる。

ちあきなおみ「ベストセレクション」

ちょうどこの原稿を書いているとき、友川カズキさんのドキュメンタリー映画「どこへ出しても恥ずかしい人」が京都の出町座でやっていたので見に行くことにした。京都の東山に僕の実家が残っているんだけど、その庭に茂っている雑草むしりとメールチェックを昼間にすませ、びっしょりかいた汗を風呂で流した後バイクで東山ドライブウェーから蹴上に抜けて左京区の出町に向かった。お盆には僕の娘が読んでいた「四畳半神話大系」に出てくる下鴨神社や百万遍の東にある進々堂のカフェを聖地巡りとして両親と叔母の墓参りの帰りに寄ったのでこの辺に来るのは2週間ぶりだ。

百万遍を東に行った北側にある進々堂。1980年ころの色々と思い出があるの場所だ。

近くの駐車場にバイクを停めて、出町商店街を西に向かうと出町座はすぐにある。ちあきなおみさんが紅白で「夜へ急ぐ人」を歌った1977年当時に実家から通っていた大学が近くにあったのでこの辺りはよく来ていた。友人のFacebookで知ったのだが、この10月で閉店されるという王将チェーンの中でも皿洗いすれば無料で食べさせてくれるレジェンドな大将がいらっしゃる王将出町店が直ぐそばにある。せっかくなので店の前まで行き、ミーハーにも写真を撮っていたらレジェンドが出て来られた。まだまだ元気そうだったが、阪神タイガースの藤川球児の引退理由と同じように中華鍋を振る体力に限界を感じられたのかもしれない。実際中華鍋は重く、一日中振っていると左腕の肘にかかる負担は計り知れない。10月までにパーローとコーテル、ソーハンを食いに来よう。

出町座

王将出町店。学生時代よく来た。

ドキュメンタリー映画の方は、友川さんの日常が淡々と映し出され進行する。競輪場の風景、ゴールデン街の酒場、ツアー車の中での会話、ライブ。頭脳警察の石塚俊明さんと一緒にライブされていたんだ。退屈ではないが前の日よく眠れなかったのと草むしりの疲れから時々居眠りをするほど心地よい内容だった。マネージャーの大関さんがスタッフになられた経緯を語っておられたが、いつも一緒にいるようになって知らずしらずのうちに窓口になっていたと話されているのを見て僕の人生も同じようなものだと思った。大学生時代にミニコミ誌を編集・発行していたことがあり、エアコンのない自分の部屋で汗をかきかき版下作成をしていた。このホームペーも自分で更新しているのだが、やっていることはその頃と何も変わっていない自分と重なる。誰にとっても出会いの積み重ねの行き着く先に人生がある。などと考えていたら1時間ほどの映画は終わっていた。妙に清々しい気分で映画館をあとにできたのはこの映画のおかげかな。

さてそろそろこのブログをアップしようかと思っていた矢先、朝日新聞に「ちあきなおみ 沈黙の理由」(著:古賀慎一郎/新潮社)発売という広告が掲載されていたのを発見し購入。これちあきなおみさんと何か縁があるんじゃないかと都合よく思うほどタイムリー。著者の古賀慎一郎さんはちあきなおみさんの最後のマネージャーさんだ。郷鍈治さんがセガワ事務所を立ち上げられて以降のちあきなおみさんとのエピソードや会話が具体的な描写で綴られている。郷鍈治さんとちあきなおみさんの初デートはブルース・リーの映画だったらしい。確か1974年の正月映画が僕もリアルタイムで見たブルース・リーの「燃えよドラゴン」だった。多分時系列的にこの映画のはずだ。郷さんは映画を見終わったあと「アチョーッ!」と大声で叫ばれていたのでちあきさんは恥ずかしかったらしいが、僕も京都の映画館で友人と続けて2回見たあと郷さんと同じように「アチョーッ!」という叫び声とともに木屋町三条から四条までの街路樹すべてに飛び蹴りを入れていた。ちあきなおみさんが広尾にお住まいだったことやその近くに郷鍈治さんが経営しておられたCOREDOという喫茶店があったことにも親近感を覚えた。弊社の東京事務所が現在の場所に移る前は地下鉄広尾駅からだと三菱UFJ銀行, スーパーマーケットのナショナルを右に見て有栖川公園を左に見ながら南部坂を登りきり、新坂を少し下ったところだったのでその辺りの風景をイメージしやすかったからだ。ちあきなおみさんがゆっくり散歩されたという有栖川公園では毎年花見をしていた。夜遅くまでどんちゃん騒ぎの末に禁止されていた焚き火までしたことが懐かしい。しかし、この本を読むとちあきなおみさんの復活なんて話はなまやさしいものではないことが十分に伝わってくる。ひょっとしたら著者である古賀慎一郎さんだけが復活の鍵を握っておられるのかもしれない。友川カズキさんのマネージャーである大関さんもそうだが、マネージャーってきっと大変な仕事にちがいない。

「ちあきなおみ 沈黙の理由」(著:古賀慎一郎/新潮社)/「ちあきなおみに会いたい」(著・石田伸也/徳間文庫)

ちあきなおみさんがゴダイゴをバックに歌う。なんていう夢のようなことがフジロックで再現できたらそれはもう一大事件だ。先程亡くなられたメンバー浅野孝已氏とちあきさんの夫でマネージャーの郷鍈治さんへの追悼も込めて何かできればと思う。2020年コロナ禍での8月はこのように終わり9月を迎え涼しくなってきた。今日、9月11日は郷鍈治さんの命日だ。黙祷、、、。