気分はどうだい? Vol.30 「模倣から始まった日本のロックの落日」
- 2020.10.06
- COLUMN FROM VISITOR
ここ何日かの間にもガキの頃に熱中したミュージシャンの訃報が内外問わず続いていますが、でも時代、年齢を考えるともうそういうところに来ているのだと自分の年令を考えてもそれを実感しています。で、今回はそんな日本のロックと言われるものは結局何だったのかということを40数年音楽の仕事に携わってきた今、そのあたりのことを、書こうと思っています。
このコラムにもよく書くのですが、団塊の世代前後でプロとなったアーティスト(今でも引っ張っているのはこの世代の連中)の始まりはやはりビートルズであり、その時代の欧米のバンドの影響は凄く大きなものがありました。60年代、エレキブームが起こり全国各地でヴェンチャーズなどのコピーバンドが現れ、ブームとなりTVなどでもコピーの旨さを競う「勝ち抜きエレキ合戦」みたいなものも有りました、そして優勝したグループがプロとして活躍するようになります。かたやフォークブームがあり全国の学生がアメリカのモダーンフォークのバンドのコピーをし、それらの中から、やはりプロとして世の中に出ていくこととなります。そして同時にグループサウンズの台頭。やはり欧米の当時のシーンに影響を受けたバンドがストーンズやキンクスやゼムといったバンドのコピーをゴーゴークラブなどでやるようになり支持を得るようになります。当初はTVなどにもおいてもコピーそのものをやっているのですが、ある時期から日本語によるオリジナルでの曲に移行するようになります。(そのコピーとオリジナルは凄くギャップのあるものでした)で当初はGSは若い女子が主体のミーハーファンがメインだったため、あまり音楽的なこと云々は関係なかったのです。(向こうのビートルズやストーンズなどもそうだったように)

当時は、やっているバンドの方も競うように欧米のバンドのコピーを取り入れライブでもやるようになるのです。ターガースはストーンズのこの曲とビージーズ、そしてゴールデンカップスはゼム、ヤードバーズのこの曲、モップスはアニマルズみたいな、それぞれが決めコピー曲を持っていたのです。当時の日本にはそんな欧米の連中が来日することもなく、YouTubeなども勿論ない時代、それらの楽曲を生で聞けるというこれらグループの疑似体験しかなかったわけです。彼等はもちろん、まんま、そっくりにそれらの楽曲を演奏するわけですから・・(勿論、演奏や歌がうまくなくてはだめなわけです)
日本のレコードメーカーもこの頃(1969年前後)から和製フォークやGSの日本語オリジナルを発売するようになり、洋楽をあまり知らない当時のリスナーやファンの支持を受けるようになります。日本のジョーン・バエズ、日本のボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェルのよう、キャロル・キングのよう、どこどこのジャニス・・などと言われる連中が出てくるようになります。あの「はっぴーえんど」も当初出てきた時はミュージシャン仲間達は音や録音、歌い方までまんまモビー・グレイプやバッファーロー・スプリングフィールドだというのは分かっていたわけで(勿論制作していた小倉エージさんなんかは確信犯で制作していたと思います。最初は売れなかったけれど)でもこのバンドが凄かったのはその歌詞(松本隆氏の)がそれまでの(日本の歌謡曲全般)歌詞とはまるで違ったということが大きかったし、事実作詞家としてロックのジャンルではないところの日本独自の音楽界で成功したことが物語っていると思います。
いつの時代も影響は欧米の音楽(ROCK)であり、日本人にフィットするものであれば、その時期にそれらが蔓延するわけです。マージービーツやモッズ系に影響を受けたグループ、ピストルズやクラッシュ、ダムドまんまのグループ、ガンズのまんま、エアロのイメージ、ボウイ、モータウン系、シカゴ・ブルース、オーティス・レディング、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、プリンス、サザーン・ロック、ウエスト・コースト等。バンド編成、使用楽器、歌い方からマイクの持ち方、勿論ファッションも・・ジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングスティーンを筆頭にSSWの多くのフォロワーが出た時代もありました。さらにオリジナル曲に関しても盗作すれすれの、向こうの楽曲をモチーフ(まんまのイントロや構成なども)にしたものも多く、それらが通用し日本のチャートを賑わしました。それを気づき、分かってそこから離脱し自らの音楽を追求するアーティストは少なかったし、商業的には当時のイケイケのシーンの中ではうまくいきませんでした。
僕がイベンターやマネージメントの仕事をしていた頃も、すべてニューミュージック、JーROCKと言われる連中のコンサートに明け暮れたのですが、プロとなった多くのグループがレコードも売れ、全国においてホール・コンサートが出来るまでになり、それが日本のシーンの中でビッグビジネスとして成立した時代(1990年代まで)だったのです。多くの雑誌や評論家と言われる連中も後押しをしました。そして、長きに渡って、それら模倣から出発した日本のロックと言われるグループがJ-ROCKとして日本の市場を賑わすわけです。

しかし、日本国内で大きなシェアーを持っていたこれらのロックも現在(2020年)では残像を残すのみで、日本独自のシーンの中だけで完結するようになった日本のロックは現在では欧米のシーンとは連動しなくなっています。今の全米のビルボード・チャートや英のチャートを気にする人などいないと思うし、番組にすらなりません。ますます日本のシーンとはかけ離れているように思うのです。唯一昔と比べて素晴らしいのは色々な欧米のバンドがどんどん日本でライブをするようになっているし、世界のシーンと同次元なフジロックみたいなフェスティバルが開催されているということ、素晴らしいことです。当時(1960年代)は欧米のグループを<生>で日本で見ることは出来なかったわけですから。
しかし・・・残念ながら、現在も続くパンデミックの中あらゆる産業が打撃を受け、音楽産業も同様であり、いつ以前のライブやコンサートの状況に戻るのか分かりませんが、もう昔のような展開は通用しないのかも分かりません。世界的には未だに白人のロック、黒人の音楽がメインストリームであるのは変わらないわけで、その中で日本人のロックが今後どうなっていくのか・・いくつかのグループのアメリカ進出を成功させた韓国の業界のような・・そういうパワーがまだ日本の音楽業界に残っているのか凄く気になるところです。