VOICE OF EDITOR #5
- 2020.10.07
- OSAKA
- INOYAMA LAND
「肩すかし的辞任の方法教えます。」安倍晋三お見事!そして自民党総裁はシナリオ通り官房長官だった菅義偉さんが選ばれ、第99第内閣総理大臣に就任した。「ロスアベ」喪失感漂うこの素晴らしい流れに言葉を失いました。おっとここで彼らの術中にハマってはならない。気を取り直して菅義偉首相のヴィジョンを分析し冷静に見守らなければならい。霞が関の官僚たちは緊張感溢れる毎日を過ごされていることでしょう。だって、うかっと余計なことを口に出せば次の日にはどこかへ飛ばされるんだから。
菅義偉さんは1948年生まれの71歳というから所謂団塊の世代だ。東京には中学卒業後金の卵として上京した友人も多くいたので高校を卒業してすぐに上京したらしい。有村架純が主演したNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」(2017年)の時代設定と同じ、ビートルズが来日した翌年1967年のことだ。板橋区の段ボール工場に住み込みでの肉体労働だったが厳しい現実と対峙し、もう一度人生をやり直すために2年遅れで法政大学に入ったという。その頃フジテレビで放映されていた社会批判性が強く途中で打ち切りを余儀なくされた「若者たち」というタイトルの菅さんが働いていたような町工場を背景にしているドラマがあったのを覚えている。菅さんは卒業後一旦民間企業に就職するが「そこでなんとなく、世の中を動かしているのは政治じゃないかなと思い始めるんです。ただ、政治家になろうとは思わなかったけど、政治の世界に身を置いてみたいという気持ちがあった。」と言う。「詳しく思い出したくもない。」という大きな理由があったらしい。(影の権力者 内閣官房長官菅義偉/松田賢弥著・講談社+α文庫)菅さんは底辺の現場を経験しながら何のコネもなく大学のOB会事務所に紹介してもらい政界に飛び込む。学生運動や労働者による底辺からの体制批判ではなく頂上からの変革を志したのかもしれない。
そんな菅さんが政界でその礎を築いていた1980年代を駆け抜けてきたアーティストが今海外で注目されている。そこにも歴史の確かな歩みがあった。
INOYAMA LANDがそうである。彼らが辿った道のりは決して平坦ではなかったが常に一貫した志があった。詳しくはオフィシャルHP https://inoyamaland.amebaownd.com/
その活動は1977年の秋にまで遡る。えぇっ!ロジャー・ウォータース?そうなんです。筆者が憧れるあのピンク・フロイドのロジャー・ウォータースさまが後援するロンドンの前衛劇団ルミエール&サンの中心メンバーだった楠原映二さんが東京で巻上公一さんと一緒に作った芝居「コレクティングネット」で井上誠さんと山下康さんが音楽を担当することになったのがINOYAMA LANDの始まりだ。二人は舞台に積み上げられたオブジェに2台のメロトロンとシンセサイザーをセットして演奏した。キング・クリムゾンで有名なメロトロンを使ってたんだよ。しかし芝居のポスターに山下さんはこの音楽ユニットをヒカシューとクレジット。そう、ヒカシューの始まりでもあったのだ。その当時の音源を収録したのがこの「COLLECTING NET」である。ローランド・システム100、ローランドRS202 Strings/Vintage Synth Explorerやメロトロンを使用したシンプルだがドイツのエレクトロニック・ユニット、クラスターの初期作品を思わせるアナログで分厚いサウンドが展開される。
INOYAMA LAND名義での活動は1982年に行った渋谷La.mamaでのライブが最初だ。1981年8月に渋谷にあった伝説の店ナイロン100%でのライブでユニット名として使用していた「DANZINDON-POJIDON」というタイトルのアルバムを1983 年に制作。なんとプロデュースは元はっぴいえんど、当時イエロー・マジック・オーケストラの細野晴臣さん。1984年、これまた日本初のクラブと言われ、原宿と言えば「ピテカン」の愛称で親しまれた伝説のピテカントロプス・エレクトスでリリース記念ライブを行った。まぁ日本初のクラブは京都でEP-4の佐藤薫がプロデュースしたクラブ・モダーンなんだけど、諸説あります。
1970年代後半にデビッド・ボウイがイーノと制作したベルリン三部作と呼ばれるアルバム「Low」「Heroes」「Lodger」のリリースもあり、ドイツのエレクトロニクス・ミュージックにも注目が集まり、イーノは自身のレーベルオブスキュア・レコードやアンビエント・レコードを立ち上げ環境音楽と呼ばれるサウンドを定着させていた。当然日本にもそんな波がアンダーグラウンドではあるがいくつかのメディアを通じて密かに届いていた。
僕が手にしたINOYAMA LANDのデビュー・アルバム「DANZINDON-POJIDON」は2018年にリイシューされたニューマスター・エディション盤のCDである。ヒカシューのクリスマス・イベントでそのCD をリリースしたレーベル「ExT Recordings」の主宰者である永田一直さんをDJとしてゲスト出演していただいた際に前述の「COLLECTING NET」と一緒に貰った。めちゃくちゃ質の高いサウンドに驚く。そして今聴いてもなお新鮮だ。この頃にはいずれも名器と言われたYAMAHA DX7やローランド/Jupiter 8とメロトロンへと使用楽器は変わっていた。
その後の14年間は活動を休止する。1997年に沈黙を破りセカンド・アルバム「INOYAMALAND」を発表。このアルバムは後述するINOYAMA LANDとともに現在再評価されている環境音楽アーティスト、吉野弘さんらを擁する環境音楽制作会社サウンド・プロセス・デザインのレーベル、Crescentからリリースされた。胸のつかえがすっと取れるように癒やされる優しいサウンドが全編を通して流れる。今こんな世の中だからこそ聴くべき音楽だ。家に帰って手を洗いうがいをして着替える。そしてキッチンに立って晩御飯の用意をする。これらの音楽はそんな気持ちの切り替えを助けてくれる。
1998年にはライブも再開しサード・アルバム「Music For Myxomycetes(変形菌のための音楽)」をリリース。僕が手にしたCDは2018年5月にリリースされた2枚組デラックス・エディションだ。Disc1には1997年から1998年にかけて上野の国立科学博物館で開催された「変形菌の世界」企画展の館内環境音楽と1997年に新宿高層ビル内で行われたインテリアショップで開催されたイベントの環境音楽、完成しなかった幻の3rdアルバム『Revisited』に収録する予定で録りためていた曲を収録したものである。そしてDisc2には伝説となっている活動再開後初めてとなる新宿リキッドルームでのライブが収録されている。
新宿リキッドルームには個人的に語り尽くせないほどの多くの思い出がある。この頃僕はドイツのFAUSTやマニエル・ゲッチンによるASHRA TEMPEL、CLUSTER、GONGなどのライブをやっていた。今思うとなぜその頃INOYAMA LANDと出会わなかったのか。不思議だが本当だ。
何もかもがスローモーションで動いているかのような静かで深淵なサウンドは、バブル崩壊後山一證券の破綻に始まった金融危機に直面した平成の殺伐とした世の中を浮き彫りにしていたかもしれない。
そして今年に入り手にしたのが「Commission 1977-2000」という2019年にアメリカのEmpire of Signからリリースされたアンソロジー・アルバムでアナログのLP2枚組通常の黒盤だ。Empire of Signからは日本人アーティスト、菅谷正広さん、吉村弘さんなどのアルバムの他、「Kankyo Ongaku」というタイトルの1980年から1990年までの日本人によるアンビエント・ミュージックのコンピレーション・アルバムをリリースしている。INOYAMA LANDはもちろん前述のお二人に加えYMOに名前も見える。アナログ盤には坂本龍一さんも収録されており2019年度のグラミー賞にノミネートされたことでも有名だ。YMOで幕が開けた日本における1980年代のミュージック・シーンは70年代のそれを凌駕し独自の方法論を確立していたのではないだろうか。アンダーグラウンドからメジャーに至るまで同じ核(コア)となる共通のテーマを持っていたような気がする。
そのように海外で盛り上がる中、2020年9月にINOYAMA LANDの最新アルバム「SWIVA」がリリースされた。すべて新作によるアルバムはなんと22年ぶりのことだ。今なおアルバム制作ができるだけのアイデア、テクニック、熱意を持ち合わせていることは尊敬に値する。そうそう、カヴァーデザインを手掛けたのは佐藤理さん。彼とは彼がまだ大学生の頃からの知り合いで、今では世界的なマルチメディア・アーティストだ。
井上さんはこの活動のほか「ゴジラ」への造詣も深く、映画音楽を担当された故伊福部昭氏を愛してやまない。自らアナログシンセサイザーによるアレンジを手掛けたトリビュート作品「ゴジラ伝説」シリーズを多数発表している。またヒカシューのメンバーやホーンセクション、チャラン・ポ・ランタンが参加した「ゴジラ伝説」ライブでフジロック・フェスティバルにも出演、ニューヨークでのライブも好評を博すなど多方面で活躍している。
INOYAMA LANDと同時代的に1980年代の下積み時代を経て今ようやく菅さんは目指していた頂上にたどり着いた。そして「政治が世の中を動かしている」を実践するかのように、まずは霞が関でのデジタル化推進の第一歩として印鑑廃止、トップダウンで日本学術会議の政権に批判的な会員の排除から始まった。
INOYAMA LANDはまたしてもこんな波乱含みの令和の世の中をも浮き彫りにしてくれている。