<気分はどうだい? >Vol.31「そこに僕はいた。その時代、その場所その時何処にいたのか。」

今回、12月19日、20日と大阪で開催する<室矢憲治>のトークイベントのナビゲーターをすることになり、色々なことを彼の体験した音楽それに付随する文学や人や場所や時代を自分自身の体験と重ね合わせ思い返していました。その時僕は何処にいたのか。

いつも書いていることなのですが、いわゆる欧米のROCKに初めて触れた時代から50年以上経ち、結局それがきっかけで何十年も音楽の仕事に携わってるわけです。ミュージシャンになってそれでずっと食ってきて気がつけばデビュー数十年とかになっている友人や関わってきたバンドなどが最近特に多くなってきました、趣味やアマチュアーの音楽活動ではなく、職業として音楽を選んだ連中達。FBなどを見ても欧米の一斉を風靡したアーティストたち、いわゆるクラシックロックとして今も多くの欧米のラジオ局がその頃の曲をかけまくっているアーティスト達も老齢化し、消えていく時代になっています。音楽ビジネスも大きく変わったのですが、日本の場合、結局は欧米のロックを模倣し、向こうのヒット曲を取り込み、アレンジし、ヒットさせ売れた時代から殆んど進歩せず現在に至ってるような気がします。

室矢憲治、ワンダーランドな旅の記憶・・(ごく一部ですが)

しかし、それもその時代の流れだったと思うのです。先日亡くなった筒美京平氏のドキュメンタリー等を見てよく分かりました。僕が仕事としてやっていたイベンターと言われる職業は当初はそれら日本の歌謡曲とは違う(と思っていた)アーティストやバンドのコンサート主催やプロモーションをやっていました。最初はメディア等には見向きもされず、ある一定の限られた層だけに支持を受けていたものが、それが市民権を受けメインストリームになると当初の目的からはどんどん違う方向に行ってしまいました。もちろん誰だってビジネスが大きく発展し個人の印税や会社の売上が多くなるのは素晴らしいことだったのです。誰だって貧しいままインディー、アンダーグラウンドでやろうとは思っていなかったと思います。(あえてそれを最後まで貫こうとする連中もいるのですが)

で、最近はその欧米ロックの大きな衝撃、オーバーに言えば人生の転機となった、自分の意識が変わった時期=その時代の事をこの歳になってよく考えるようになりました。コラムに書いてきたビートルズはガキの頃のミーハー的な取っ掛かりでした(勿論、現在は大量の情報が出てきた為に彼らの捉え方は随分変わりましたが)やはり大きな衝撃は67年~70年初期の出来事が大きな比重を占めています。僕の世代「団塊の世代」が成人を迎える前後です。色々なことが内外で起き、世の中の情勢にも大きな影響を受けます。しかし、NETのない時代、欧米の情報(同世代の連中が始めた新しい動きや音楽)はまだまだ入ってこず、現地からの生の声は限られていたのです。

室矢憲治が携わった翻訳本・・(色々な雑誌等にも数多く投稿されていますが)

僕は生まれも育ちも大阪で、今だに大阪に住んでいるのですが、それぞれの人の体験というのはいつも思うのですがそれぞれ1個人の体験であり記憶なのです。中学の頃、ビートルズを最初に大阪の郊外でトランジスターラジオから聴いたというのも、「9500万人のポピュラーリクエスト」という番組が大阪でネットされていなかったり、ラジオ関西の洋楽中心であった「電話リクエスト」やフォークの番組を聴いていなかったらボブ・ディランやPPM、あの村上春樹の小説に登場するビーチボーイズなども早くから知ることはなかったと思うのです。元々関西には独特の文化がありました。東京の影響を全く受けない、受け入れない大阪、60年代後半も大阪そのものがサブカルチャーだったといえます。

当時、殆どの欧米のロックバンド/シンガーの初来日公演にしても東京と大阪は確実に開催されていました。電車に乗って数10分のところにあるホールでほとんど観れたわけです。そして思うのは音楽(生のコンサート)の捉え方は個人差があるのは当たり前なのですが、更に言えば、同じコンサートに行っていたとしてもその人が観ていた場所、ホールの何処で観ていたのかということで全然感じ方が違うわけです。例えば大阪のフェスティバル・ホールで観た初来日のレッド・ツェペリンにしても勿論「凄かったね」になるのですが、五感で感じる臨場感と言うのはホールの最前列なのか最前列の一番端なのか、PA席のあったBOX席なのか、3階の最後列だったのかでそれぞれの個人の印象が違うはずなのです。ビートルズの武道館や箱根のピンク・フロイドにしてもそうだと思います。

生の空気感、体験はその個人の記憶だけなのです。その昔<ラウドネス>のスタッフとして米オハイオ州のトレドという街のアリーナでのコンサートの時の事。モトリー・クルーのオープニングだったのですが、何万人もいる会場の中で日本人はラウドネスのメンバーと我々スタッフだけの風景。でかいツアー・バスの後部の応接セット、ステージ脇から観た観客、楽屋の匂い、出演前のメンバーの顔、そしてその日のライブ。それらは僕だけの記憶なのです。

1969年8月15日から18日の3日間、いつもこの時期、僕は何処にいたのだろうと記憶を辿ります。あのウッドストック・フェスティバル、場所はニューヨークの郊外。そしてニューポートのフォーク・フェスでプラグインした直後のニューヨーク・フォレストヒルズ・テニス・スタジアムでのボブ・ディラン、NYのヴィレッジ・シーン、ビートニク詩人達、サンフランシスコのシーン、シティーライツ・ブックストア、グレイトフル・デッド等。カウンター・カルチャー、ヒッピー、ドラッグ・カルチャーのど真ん中に・・そして、76年のあのラスト・ワルツの現場にいたとしたら・・

「そこに僕はいた。」と室矢憲治。

そして今、50年以上も前に一人の日本人の若者として体験した彼にしかわからないその場の空気感、臨場感、生身のアーティスト達との付き合い。何を感じたのか、どうだったのか、・・そしてその時代とは何だったのか聞いてみたいのです。同世代として、その皮膚感覚の体験を少しでも分かりたいと思うのです。情報の少なかった当時読んだ植草甚一、片岡義男、金坂健二、藤原新也、室矢憲治~等々・・・この時受けた影響は現在も自分の思考の核となり残っています。

…………………

『ムロケン・ワンダーランド』

ビートルズ、ディラン、ウッドストックをアメリカで生体験したロック・キッドが60-70年代のカウンターカルチャーの風に吹かれて、どんな青春を送ったのか・・ムロケン・ワンダーランドの旅

出演:室矢憲治 ナビゲーター:松居功

Vol. 1『60年代、カウンターカルチャーを体感して』

12/19(土)@南堀江 bigcake「フジロッカーズ・バー関西」

Open 17:00 Charge \2,000(要オーダー)※予約料金 当日\2,500

http://bigcake.jp./

Info・予約 06-6578-8010 

協力:スマッシュウェスト

Vol. 2

『アーティストとの出会いとその時代』

12/20(日)@北堀江 FUTURO Cafe

Open 18:00/Start 19:00 Charge\2,000(要オーダー) ※予約料金 当日\2,500

https://futurolive.exblog.jp/

Info・予約 06-6532-5830

協力:スマッシュウェスト

■室矢憲治

1953年、東京生まれ、ニューヨーク育ち。植草甚一、片岡義男らと『ワンダーランド』を創刊。編集長のポストをドロップアウトして世界を放浪。『宝島』『朝日ジャーナル』『SWITCH』にロックライターとしてアメリカ若者文化について寄稿する一方、詩人、メディア・パーソナリティとして活躍。滞米生活中ビートルズからウッドストックをリアル体験。パイオニア・ロックライターとして著訳書多数。

■翻訳

「アウトロー・ブルース」 ポール・ウィリアムズ著 1972年 (晶文社 )

「ジャクソン・ブラウン・ストーリー」 リッチ・ワイズマン著 1983年(CBS・ソニー出版 )

「ラスベガスをやっつけろ! : アメリカン・ドリームを探すワイルドな旅の記録」 ハンター・S・トンプソン著 1989年

「トム・ウェイツ : 酔いどれ天使の唄」 パトリック・ハンフリーズ著 1992年(大栄出版 )

「ニール・ヤング詩集」1993年(シンコー・ミュージック )

「Smile ジェリー・ガルシア 絵・言葉」室矢憲治/監修・訳 1993年(PARCO版)

「ジャック・ケルアック放浪天使の歌」 スティーヴ・ターナー 著 1998年(河出書房新社)

「ビートルズ1964-65:マジカル・ヒストリー・ツアー」 ラリー・ケイン著 2006年 (小学館文庫)

「ウッドストックへの道:40年の時空を超えて主宰者が明かすリアル・ストーリー」 マイケル・ラング、ホリー・ジョージ-ウォーレン 著 2012年(小学館)

自著

「`67~`69 ロックとカウンターカルチャー 激動の3年間:サマー・オブ・ラブからウッドストックまで」 2017年(河出書房新社)