第39回『AMETRA(アメトラ)日本がアメリカンスタイルを救った物語』デーヴィッド・マークス(著)奥田祐士(翻訳)

『AMETRA(アメトラ)日本がアメリカンスタイルを救った物語』デーヴィッド・マークス(著)奥田祐士(翻訳)
Amazonで商品を見る

前回のニック・コーン『誰がメンズファッションを作ったのか? 英国男性服飾史』で予告したとおり、今回はデーヴィッド・マークス『AMETRA(アメトラ) 日本がアメリカンスタイルを救った物語』を紹介させてもらいます。

『誰がメンズファッションを作ったのか?』は、イギリスの話なので、ワクワク、ドキドキ、そういうことだったのかと読ませてもらったのですが、今回は自分の国の話で変なこと気持ちになりました。

みゆき族が登場するまでは、戦後の闇市の匂いがして楽しかったのですが、話が藤原ヒロシさんやNIGO君の話になると、僕はなぜ彼らのようにしなかったのかと心が痛くなりました。

僕も元々はファッション系なんです。なんて書くのは大袈裟なんですけど、僕が初めてイギリスに行ったのもこの本に出てくるような海外の服の買い付けだったのです。

ファッション・ビル(大阪の阪急ファイブ、今のHEP FIVEですが)で、初めて駄菓子を売った“あしたの箱”という店がありまして、それを考えたのが熊谷伸夫さんと言うお方で、この方は日本で一番最初にブリキのおもちゃに価値があると気づいた人なんです。それって、北原照久じゃないのという声が聞こえてきそうですけど、北原さん以前に凄いブリキのおもちゃのコレクターがいたのです。

熊谷さんの本は一冊だけ発行されています。今はキンドルでも読めます。『ブリキのオモチャー昭和20年から昭和40年代にかけての日本のブリキ機械玩具』です。アマゾンのコメントでこう紹介されてます。

“ブリキの玩具関係で、これまで多くの出版物をそろえてきました。中には高価な分厚い本もあります。しかしそれらのほとんどが単なる古い玩具の図鑑やカタログであるに過ぎず、いつも失望しか残りませんでした。この本もそうした数多の出版物の一冊なのだろうとタカをくくり購入しました。しかし自分の予想は見事に払拭されました。当時の職人さんたちがいかに知恵を絞りつつ玩具の設計や商品化を行ったか、だとか、動きの機構の解説だとかまで大変分かりやすく書いてあり、まさに一級の資料となっています。満足できる大変素晴らしい書籍でした”

よく分かっておられる。このコメント読んで涙が出ました。熊谷さんってこういう人だったなと、いやなくなっておられない、大変お世話になった人に僕はもう何十年もお礼に行ってないのです。

その熊谷さんの所で働いていたキースさんという方が“あしたの箱”の一画でロック関係の服などを売り出すわけです。

それで僕はそのお店に出入りするようになって、キースさんのロンドンの買い付けにくっついて行ったのです。行きのカバンの中は、熊谷さんからロンドンで売れるもの、ロレックスなどのアンティックの時計が一杯でした。僕は時計などにまったく興味がなく、あんまりよく覚えてないんですが、その頃はそういったものが、ロンドンで高く売れるようになってたんだと思います。あと今思うと修理費がロンドンの方が安かったのかなという気もします。。帰りは熊谷さんとキースさんから頼まれたロボットやジョンソンズの靴や服を、箱は捨て、商品をサランラップで包んで、なになに君へと書いて、お土産を装って持って帰ってきてました。こういう手法はこの本には書かれていて、懐かしく思い出しました。

当時はロボットやジョンソンズの卸の場所に行くと、信じられないくらい安い値段で買えました。僕も調子に乗ってジョンソンズで白い革ジャン(1981年の日本には白い革ジャンなんてで売ってなかったんです)を買ったら、キースさんから、「お前、そんな買ったらあとどうやって生活するの、食事とかどうするの?」「キースさんに奢ってもらう」と大変失礼なことを言っていました。

ロンドン・ナイトのファッション・ショーで優勝して、その賞金がロンドン旅行で、ロンドンに行って、ワールズ・エンドで「君、カッコいいね、うちで働かない」と言われたヒロシさんとは大きな違いです。

サラブレットとダメ馬は、始めから決まってますね。

この本に登場する人たちはみんなサラブレットなんです。

ユニクロの柳生さんも、広島の僕みたいなダメ男が偶然うまく行ったのかなと思ってたのですが、この本を読めば、当初から、アメトラを作ったVANの精神を引き継ぎ、GAPみたいなことをやろうと考えていたという歴史が紐解かれるのです。

そんなユニクロのTシャツ・ブランド、UTのクリエイティブ・ディレクターを務めているのはNIGOさんです。NIGO君なんて書けないです。大貫憲章さんのロンドン・ナイトで紹介してもらった人たちは、今はみんな雲の上の人です。

こんな人たちを、自由にのびのび遊ばせた憲章さんの功績も一言書かれていたらいいのになと思いました。

そうなんです、この本はVANから現在のユニクロまで繋がる日本の一大ファッション史を紐解いて行く本なのです。

それを日本人じゃなく、アメリカの方にやられているのも悔しいなと思いました。

僕もいつかこんな本を書いて、熊谷さんやキースさんに「お二人がいたからこんな本が書けました」とちゃんとご挨拶出来る男になりたいです。

あのジョンソンズの白い革ジャンどうしたかと言いますと、ロンドン滞在2週間の間にお金が足りなくなって、ライブを観るためにキースさんに売りました。僕があの白い革ジャンを着たのはたった2週間だけでした。ヒロシさん、NIGOさんはそんなことしないです。