ロッキンワンダーランド その2「INU 、のいづんずり、福田研。ここから全てがはじまった」
通っていた高校は進学校でいろいろ厳しかったのですが、嵯峨美術短期大学(当時はまだ短大だった)へ入学してからというもの、苦手な数学の宿題や受験のプレッシャーがなくなり、のびのびと遊ぶようになりました。
最近になって鈴木創士さんと話していたら、当時は嵯峨美によく遊びに来ていたとのこと、残念ながら出会ってはいなかったようです。
鈴木先生もまた30年後に自信が教える立場に立つとは思ってもいなかったことでしょう。
嵯峨美では安齋レオさんが同期で生徒会長をされていたり、佐藤理くんやリフォームのダッピが一年下にいたりして楽しい二年間でした。
佐藤理くんは当時から際立っていました、私目線ですが・・。私が卒業するときは「就職どうするんですか」と聞いてきたので「自分で事務所をやる」と言ったら「僕そこに就職する」と言うので「無理」と即答しましたが、「来て!」と言ってたらどうなってたかな〜とか思います。今なら来てもらっても全然いいんですが・・・。「アマリリス総合研究所」と名前は変わっていますけど。
ある日大学で雑誌を読んでいると(ロッキンオンジャパンとか?)友人が町田町蔵の写真を見て「カッコいい!」と興奮し、ライブに行きたいというので磔磔へ行きました。その前に梅田バーボンハウスで見ていて二回目でしたが私はINUの大ファンでした。
磔磔では前座にハニー&コスチュームというバンドが出たのですが、女の子のボーカルで、その子がマカロニほうれん荘に出てきそうな愛くるしいパンクファッションで、可愛いな!と思ったのですが、いざ演奏が始まるとなんか甘ったるい系のポップロックで「あっかい靴はいたぁ〜(くーつはいた←男性コーラスが追いかける)」とか歌い、INUの前座としては完全にイケてないんで、戸惑いました。
数年後にけっこう仲良しになってからわかったことなんですが、ボーカルのハニーこと西川敦子さんは、INUのベース西川成子さんの妹だったのです。
そのライブの最中、私は初めて万歳倶楽部へ行ったときに出会った、マイウェイの人を目撃したのです。その人はただの客だったのですが出演者の誰よりもかっこよかったんです。これまた私目線です。
この時から「何もしていなくてもかっこいい人が真にかっこいい人」という持論を持つようになりました。
その頃から時々「マイウェイの人」を京都の街で見かけるようになりましたが素性を知ったのはあるライブでのことでした。
多分、INUとかを目当てに行ったのですが、のいづんずりというバンドが出演していて初見の私は大きな衝撃を受けました。
なんとボーカルが「マイウェイの人」だったのです!(何もしていない人じゃなかった)
のいづんずりの演奏は、曲も歌唱も全く型にはまっていなくて独特、とにかく気味が悪く、ライブの終盤にマイウェイの人が呪文のような文言を書いた紙を燃やして客席へ落とすしもうドッキドキです。
デビッドボウイに会ったこともある佐藤薫さんが「ボウイよりかっこいい」と言ってるのを聞いたことがあるのですが、とにかく負のオーラがハンパないのです。
長身の彼がステージで暴れ、客は混乱、そして最後音がなくなり静まりかえったステージ上で、リーダーでありベース担当の福田研が落ち着いた明るめの口調で「どうもありがとう」(定型セリフ)と言い演奏は終わりです。
すべてが解明された私はこの日からのいづんずりを追いかけました。
マイウェイの人は、イガミという名で西陣の織物職人の息子だと、バンちゃんに聞きました。なんとのいづんずり結成初期にはバンちゃんも在籍していたとのことでした。手近でメンバーを集めたんですね・・。
その後ある夜更けに万歳倶楽部でのいづんずりのリーダー福田君と話す機会があり、私は福田君に対してここぞとばかりに自分ののいづんずり愛を語りました。
それから急激に親しくなり、親友になったのでした。
福田君は顔が西田敏行に似ていたため周りから「西田さん」と呼ばれていました。ダッピと付き合っていて、マルコムマクラーレンファンクラブを主催(INUの西川さんも入会していると自慢していた)するなど、とても面白い人で学校帰りによく寄る場所に、万歳倶楽部の他に五条楽園近くの福田君のアパートが加わりました。
京都にゼルダが来た時に河原町付近にあったライブハウス「フレンチマーケット」に二人で行きました。
その時「私もバンドやりたいな」と言ったら「じゃあ一緒にやろう。僕ドラムやってみたかったから。他のメンバーは僕が集めるから。」と返事が返ってきて、アマリリスが結成されました。