第46回 公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う 猪瀬直樹(著)

公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う 猪瀬直樹(著)
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今回は音楽本じゃないですけど、東京オリンピック招聘に一番動いておられた猪瀬直樹さんの『公』という本です。音楽じゃないけど、音楽に政治を持ち込むななどに関係する本だと思うので、紹介したいと思います。

猪瀬さんがどういう活動をしたか、日本とは何なのか、これからの日本をどうしたいかということが書かれた本です。

猪瀬さんがなぜ東京オリンピックをしたかったというと理由は二つ、どこの国よりも長生きする日本人の健康寿命を日本人がスポーツに関心を持つことによって伸ばしたかったと、何十億人もの人が見るオリンピックで、インバウンドをもっと伸ばしたかったということです。

日本人の寿命って男81.41歳、女87.45歳なんですが、みなさんこの年齢まで健康に生活しているかというとそういうわけではなく、なんか問題を抱えて生きておられるのです。でみんなが元気に生きている寿命というのも出されておりまして、それが健康寿命というやつで男が70.42歳、女73.62なんです。男は70歳、女は73歳までライブに行けたりするんですが、男は70歳、女は73歳を過ぎると日常生活に制限のある生活をするということです。

猪瀬さんはこの健康寿命を伸ばそうと東京オリンピックを考えたわけです。

そう考えると開会式に健康おじいちゃん、おばあちゃんのダンス・チームとか出してたら長寿国日本のアピールになったかもしれませんね。

「公」(リーダー)の考えとしては健康寿命を伸ばして医療費削減をしたいわけです。

猪瀬さん自身64歳からランニングを初められて、どんどんと走る距離を伸ばして、フル・マラソンを完走出来たたりしていて、有言実行な凄い方です。

さすが元信州大学全共闘議長、全共闘後はそのまとめる力を活用して建築現場の親方業をやられていました。その頃音楽評論家の鳥井ガクさんがその下でバイトしていて、「俺は猪瀬を許さん、あいつはピンハネしよる」と言っててたんですけど、「ガクさん、親方業ってピンハネするのが仕事ですから」「猪瀬直樹が親方業なんかするか」と思っていたので深く突っ込まなかったのですが、ガクさんの言ってたことが嘘じゃなかったんだとこの本読んでびっくりしました。

ガクさんにしたら同じ学生運動をした仲間から金取るなよということだったんでしょうけど、親方業ってそういう仕事です。ピンハネの率がとんでもなかったら問題ですけど。猪瀬さんそういうのズルしそうに見えそうですけどね。でもそんなの印象で決めたらいけないですよね。でも、猪瀬さんについてみんなが思っているのはこれなんじゃないでしょうか。

パソナの問題にしてもあいつらはとんでもないピンハネをして派遣の福利厚生の権利をどんどん奪って派遣の人たちに苦労させてる、日本を悪い方向に持っていっているという印象からきてるのじゃないでしょうか。

オリンピックの問題もそうでしょう、あいつら勝手に好き勝手やってる。

猪瀬さんの場合は別に賄賂でなかった徳洲会からの借金5000億が賄賂だろうと人民裁判のような都議会の総務委員会で追及されて都知事を退任させられました。この裏には猪瀬さんを憎んでいた「都議会のドン」内田茂都議(みなさん覚えてますか)の思惑もあったのでしょう。

でも一番の問題はあいつらと僕らの問題が根底にはあるんだと思います。1%と99%、エリートと僕ら、上級国民と下級国民の僕らの問題があるんだと思う。あいつらは結局自分らの好きなようにやっているだけだという僕らの思いです。

猪瀬さんの言う「公」とはこういう公じゃないんですけど、なんか僕にはこういう風に感じるのです。「公」=リーダー、「私」=僕ら、支配される者。

この本は「おおやけ」と読みます。パブリックということです。猪瀬さんはずっと日本の文学を研究されていて素晴らしい著書がたくさんあります。『ペルソナ-三島由紀夫伝』『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』『ピカレスク-太宰治伝』など。

この本は猪瀬さんの仕事を振り返るという本なんですが、この辺の仕事に関しての話も出てきまして、猪瀬さんの日本文学論が簡単にまとめられていて、便利です。

どういうことを語られているかを簡単に書きますと、日本の文学というのは戦争に負けて、公がなくなった。音楽で言うと、ロックに政治を持ち込むなというやつです。その代表が村上春樹だ、「私」しか語らない。その感じはよく分かります。その反対がカズオ・イシグロなどの海外作家だ、彼らには「公」があるということなのです。

カズオ・イシグロの名著『日の名残り』などはその代表例だと。『日の名残り』がどういう本かといいますと、ダーリントン卿というイギリスの社会のために頑張っている貴族が一生懸命イギリスのために仕事をしながら、その仕事を支えるために献身的に働いた執事の独白の小説です。その背景にイギリスの歴史があると。

そうなのかと思って僕は『日の名残り』を読んだのですけど、全然そういう本じゃないと思うのです。この本というのは今の僕らの大問題であるプレカリアートに関することを語っているんだと思いました。上級国民ではなく、下級国民のことを語っているんだと思いました。

プレカリアートとは労働者階級の下の世代、ウーバー・イーツなどのギグ・ワーク(その日限りの仕事)の配達をしながら生きていく人たちのことです。労働者階級より下とされる階級が今イギリスで形成され出しているのです。

『日の名残り』は、カズオ・イシグロが「イギリス人執事の話です。彼は誤った価値観によって人生を誤ったと悟りますが、すでに遅しです。執事として、人生最良の年月をナチ・シンパの主人に捧げてきました。自分の人生なのに、自分で道徳的・政治責任を負わずにきたことによって、人生をいわば無駄にしたことを深く悔やみます。それだけではありません。完璧な召使いであろうとするあまり、大切に思う一人の女性がいながら、それを愛し、それに愛されることを自らに禁じます」と語るような話なのですが、僕にはこの小説が書かれた1989年時にはまだ問題となっていなかったプレカリアートの話、その登場を予言したような話だと今読んで思いました。

多分今もし主人公のような24時間体制の執事を雇おうとすれば何千万ものお金を必要とするでしょう。完璧な執事になるためには結婚することも諦めなければないらない執事の仕事をしようという人間が今いるでしょうか?今の雇用条件で執事という仕事をこなすためには三人体制でシフトを組んで行かないと無理でしょう。そんな雇用状況で執事を雇える人と言えば王族くらいしかいないでしょう。

そういうのが当たり前だった時代があったのです。貴族の元で女中や下僕をやらないと道端で死んでしまうかもしれない時代が。でこの本を読んでいるとこの執事と僕たちに違いがあるのかという気がしてくるのです。僕らのほとんどが死ぬまで働かないと生きていけない世代になっています。時給1000円で働いて老後の蓄えも出来ず、健康寿命を過ぎていて、体や精神に何かの障害を持っているのに死ぬぎりぎりまで働かないと生きていけないという恐怖感を持って生きている。結局僕らって王政時代の苦しい時代に戻っていないかということなのです。