特殊音楽の世界 49 「最終回」
- 2022.04.05
- COLUMN FROM VISITOR
休載もありましたが月1回更新で4年余り連載させていただいたこの連載も、今回で最終回としたいと思います。
コロナで音楽家の日常も変わってしまい、自らの活動の本質を問い直さざるを得なくなったことに加え、ロシアのウクライナ侵攻でこれからの世界が大きく変わっていくこの時代、これからの音楽は一体どうなっていくんでしょうか。
今回は今更かもしれないですが音楽の未来が見えるようなことを二つほど書いて最後にしたいと思います。
CDで音楽を楽しむ人は激減し、データ、もしくはフィジカルならば少数ロットで製作されたアナログ盤でというリリース形態が常識になりつつあります。
CD-Rのライヴ会場販売という手段も音楽家にとって以前よりも更に重要になってきているようです。
CD-R販売は収入が確保できるということが何より主要な目的ではあるでしょうけど、聴き手にとって、フィジカル・リリースが他のライヴグッズ同様ライヴのスーベニール化していることの証でもあるように思います。
Bandcamp等を利用した音楽家自身が直接音源販売するルートもどんどん充実しています。
それに伴いレーベルの意味も大きく変わりました。
店舗でのフィジカル売り上げの急激な減少ということもあり、それまでのレーベルの大きな存在意義でもある安定した販売ルートの確保というということはもはやほとんど意味のないことになっています。
音楽家→レーベル→聴き手というような流れから、途中のワンクッションがなくなって音楽家にとってもっと直接音を届けることができるようになったのですから。
20数年間レーベルをやっていた私もレーベルの持つ役目ということを考え直さなくてはいけなくなりました。
ここで紹介しているような特殊な音楽にとって、今のような途中でワンクッション置かない、音楽家と聴き手の直での音源販売ということはかなり昔から重要であったのですが、ネット以前の時代なのでどうしても一部の好事家にしか知られない狭い世界のことでした。
ネット社会になって狭い世界が広くなったのかというと、しかしそういうことはなく別の狭さにはまっていると思います。
ここで「タコツボ化したコミュニティ」ということを書いた私の昔の文章を引用します。
これはタコツボ化に陥ってない(と思う)非常階段について書いた9年前の文章ですが今でもそう考えは変わりません。
レーベルの存在意義がもしまだあるとすれば音楽をどう拡げていくか、その視点をどう持つかにあるのではないかと思います。
※音楽とコミュニティ
そんななか一番これからの音楽の伝え方の未来が見えるのが、以前ここでも紹介したテニスコーツ主宰のストリーミング、ストア&フリーDLサイトMinna Kikeruではないでしょうか。
個人だけではなくインディー・レーベルも数多く参加しています。音源配信&販売だけではなくネットラジオや記事のエントリーもありコンテンツも充実しています。
音楽を伝える手段を自ら確保し、多くの音楽家や(音楽制作に直接的に関わっている)レーベルと協力し人に届けるルートを自ら作っていくということはこれから先も増えていくような気がします。
もうひとつ。
ロシアのウクライナ侵攻を受けてGEZANの自主レーベル「十三月」が主催する反戦集会「NO WAR 0305」が3月5日に新宿駅南口で開催されました。
これについてはもうご存知の方も多いと思うので詳細は省きますが、その様子はyoutubeで観ることができます。
これはVol.1だけのリンクですが他のものも、できればメッセージも含め全編観てください。
そしてこの集会のことを細田成嗣さんがレポートしています。
https://note.com/hosodanarushi/n/n746508cb7e30
私は以前こんな文章を書いたことがあります。
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「しかし、音楽を戦争反対の手段につかう醜さには荷担せんとこうとは思ってます。音楽がなにかのゲストや手段に使われたりするのは、ものを自由に言えなくなることと表裏一体ではないのかな。そういう意味で歌詞優先のメッセージ・ソングも良くない。歌詞がいいからといって説得力があるわけではありません。要は唄う人の力の問題。ヴィクトル・ハラの唄は歌詞も分からなくても、ハラの生涯のことを知らなくても十分に説得力がある。だから、みんなで唄おう、抵抗の唄を、というのは、どうも軍歌に聞こえる。各自が好きな歌を自分で、というのがよいです。(デモやパレードで、ということではないですよ。そういうものに音楽が使われることは、結局、音楽の未来をつぶすことになる、と思います。)どこまでも普通にやり続けることも大事ですよね。よくある基金集めのコンサートは、そんなことせんと、普通に金あつめたらええやん、と思います。音楽がなにかの手段になることだけは絶対避けたい。音楽が人間の感性に直接訴えるものだけに、どんな種類の音楽でもいつでも何処でも自由に聴けるというのは、たいへん大切です。ある目的に使われると言うことは、聴き方を一定方向に制限してしまう、ということで大変危険なことではないかと思いますがどうでしょう?」
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これはイラン戦争勃発時に書いた文章ですが、これは西部講堂という特殊な場所に長くいたことの影響で生まれた考えでした。
昔の集会は一つの目的に収束するためのもので、たとえ音楽がその場にあったとしてもある目的に向かうための賑やかしでしかありませんでした。
そんな全共闘世代の音楽に対する軽い考え方がたまらなく嫌だったのです。ひとつの目的のためにとにかく数を集めるということにも抵抗がありました。
そこで細田さんのレポートでもピックアップされているとても印象的な言葉を二つ。
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「マヒトは「本当は歌ってなんの役にも立たなくていいし、なにかの目的のために本来あるものではない。もっと日常にあるもので、なにかの道具に使えるようなものではないなと、いつも思っていて。でも今日やってみて、それぞれが歌うことの景色みたいなものが、戦争とイコールじゃないけど、やっぱり命だったり生きているということのいろんな描写や側面に触れるような歌がたくさんあった。それ自体はこの『No War』というテーマと合わなくない」
「メッセージがバラバラならバラバラなほど、暴力という一辺倒なものに対抗する手段になる」
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とても素晴らしいと思いました。
それとともに過去の自分の文章がただ「嫌」なところで止まっていたことを恥じました。
そして音楽家自身がこう思い実際に行動に移していることに音楽そのものの大きく開けた未来も見えたように思います。
4年ちょっとの連載でした。最終回はこういう文章になってしまいましたが、長い間お読みいただきありがとうございました。
そして内容に一切口を出さず好きに書かせていただいたsmash west南部さんにも感謝いたします。
またどこかで何かを書くことがあるかもしれませんがその時はまたよろしくお願いします。
石橋正二郎:レーベル、企画を行うF.M.N. Sound Factory主宰。個人として78年頃より企画を始める。82~88年まで京大西部講堂に居住。93年にレーベルを立ち上げる。KBS京都の「大友良英jamjamラジオ」に特殊音楽紹介家として準レギュラーで出演中。