実録 関西パンク反逆の軌跡 その14

「Taiquiインタビュー最終回」

Taiquiこと富家大器(とみいえ・たいき)は1978年にビデバンドにドラマーとして参加。同バンドはウルトラ・ビデと改名。1980年初頭の活動休止まで在籍。

80年代半ばにベラフォン結成を経てアイン・ソフに加入。現在はサイケデリック・ジェット・セット、不死蝶などでも不定期に活動中。

「1984年頃にギタリストの成田忍さんから連絡を頂きました。新京極三条の詩の小路ビルのカフェでミーティングした時にデモテープを渡されました。聴いてみると彼独自の世界が表現されており、また非常に先端的な音楽に思えたので興味を持ちました。ところが東京に行くというのが条件だったのです。ちょうど学部を卒業する時期で院試に向けて準備を始めていてタイミング的に難しくてお断りしました。彼が私の音楽性というよりルックスを選定理由に挙げたのも当時は抵抗がありました。

程なくしてそのユニットはアーバン・ダンスとしてデビュー。細野晴臣さんがプロデューサーでした。ドラマーには知人の松本浩一君が就任していました。彼こそイケメンですしね」

▶そのユニットに加入して上京していたらどうなっていたと思いますか?

「判りません(笑)。思えばそこがプロのドラマーになるかどうかの分かれ道でした。東京でセッション・ミュージシャンになっている姿はあんまり想像がつかないですね。若くして野垂れ死んでいたかも?でも、この一件がきっかけで職業は別に持つ代わりに興味の持てる音楽、そして私の事を正当に評価してくれる人達だけに関わろうと決意しました」

▶前回のインタビューによれば同時期にベラフォンで活動しつつアイン・ソフとも接触していますね。

「アイン・ソフは世間では活動していない事になっていましたが非常に地道に続けていました」

▶アイン・ソフで印象的な出来事は?

「2007年にメキシコのBaja Prog、翌2008年にはアメリカのノース・カロライナ州のProg Dayに出演しました。海外のフェスでも熱狂的な反応を頂けましたしシークレット・オイスターのライブを観る事が出来ました。フォーカスの皆さんと一緒にメキシコ国境越えしたのも良い思い出です」

▶ウルトラ・ビデの再結成について聞かせてください。

「コウイチロウ君は1990年に31才で亡くなってしまいました。残った3人はそれぞれ何かしら音楽活動を続けていたのでナスカ・カーの中屋浩市君をゲストに迎えて再編ライブを2003年と2008年にそれぞれ行いました。結成25と30周年の計算です。しかしそれから長い年月が経ち、それぞれの方向性等がやはり余りにも異なることからその後の再編には至っていません。もう若く無いという事です。但し2028年まで生きていられれば50周年を祝ってもいいかなとは思っています(笑)」

再結成ウルトラ・ビデ

▶カンタベリー系のミュージシャンとの交流については?

「最初は2002年にリチャード・シンクレアさんがソロで来日された時のスタジオ・セッションでした。この時はインプロメインで彼の即興の歌とギターを賑やかす様な演奏しか出来ませんでした。それが2004年の再来日時にリチャードさんのアイン・ソフへのゲスト参加や後に氏といくつかのライブをご一緒するという企画に繋がりました。リチャードさんはとってもサービス精神のある方で、何と彼と私は『リチャード・シンクレア&ジ・イースト』を結成している事になっているんですよ(笑)」

▶リチャードさんがハットフィールド&ザ・ノース脱退後に結成したバンドがシンクレア&ザ・サウスでした。他のメンバーはデイブ・シンクレア(k)、ジョン・マーフィー(g)、ビル・ブルフォード(drm)。残念ながらツアーだけで音源は残されていません。

2014年5月1日酒游舘でも君とリチャードさんのデュオが実現しましたね。

「あの日は実はデイブ・シンクレアさんも客席に駆け付けて下さっていたんですよね。共演が叶わなかったのは残念でしたが感激の一瞬でした」

▶君以外で両シンクレアと共演したドラマーはロバート・ワイアット、リチャード・コフランとビル・ブルフォードしかいませんからね。

「光栄です。デイブさんとの交流も西村さんのご縁が大きいよね。この流れでいくつかのライブや2011年10月10日NHK-FM「今日は一日プログレ三昧、再び」のキャラバン「グレイとピンクの地」B面の大曲「9フィートのアンダーグラウンド」再現生演奏に繋がりました。感謝しています」

▶こちらこそありがとうございました。

あのスタジオ・ライブは私も見学に行きました。デイブ・シンクレア(k,vo)、上野洋子(vo)、山本精一(g)、ミト(b)、富家大器(drm)と豪華な面子でしたね。

「全国放送でオンエアされたお蔭でようやく私は『過去の人』から脱することが出来ました。少なくとも全国のプログレ・リスナーの記憶には留められたと思います。

番組とツイッターが連動する企画もありました。『誰?このドラマー』という書き込みの中に『リチャード・コフラン超え』と嬉しい評もありました」

▶山本精一さんとは?

「1970年代や80年代には全く接点がなかったんです。意外かもしれないけど確か2003年のウルトラ・ビデ再結成でやっと面識が出来たのかな。

初めて一緒に音出ししたのは2005年2月14日ブリッジでのヨシコ・セファー(sax)&ファトン・カーン(k)とのセッションだと思います。あの時はまずアコースティック・セットで彼等と内橋和久(g)、船戸博史(wb)、花電車の楯川陽二郎(drm)のラインナップでジャジーなセット、次が山本さん(g)、津山篤君(b)と私でエレクトリック・セット。

通じ合えた部分もあれば案外そうでない部分もありました。何だか予想外にコミカルな方向に走ったりしてしまって…(苦笑)。私としては若い頃からずっと聴いてきたマグマやザオのオリジナル・メンバーとの共演だったので色々思う所はあったけど音を出していくっていうのはホント一期一会なんだなと強く思いました。

ファトンさんに『お前、是非パリに来いよ!』と誘われました。社交辞令だったかもしれないけどね。2011年に亡くなられてとても残念でした。

それから山本さんとはプログレ三昧などのご縁もあってサイケデリック・ジェット・セットを結成しました。ベースは須原敬三君です。

サイケデリック・ジェット・セット@ベアーズ

あ、そういえば一度だけ心斎橋BIG CATで思い出波止場名義でのライブも。私は思い出波止場の予備知識が全く無くて山本さんに「大丈夫かな…」と尋ねたら「うん、大丈夫!」と答えてくれて。山本さん、その頃ちょっとセンシティブでワイルドな感じだったかも、ステージでもね」

▶山本君、津山君とのトリオで?

「いえ、須原君も。津山君が居るから思い出とは限らないんですよ。彼がサイケデリック・ジェット・セットにゲスト入りした事もあったんですけど何故かその日は思い出波止場だったみたい(笑)。山本さん、面白いよね!」

▶クレイジー・ケン・バンドのギタリストの小野瀬雅生さんと不死蝶を結成した経緯は?

不死蝶
不死蝶 with デイブ・シンクレア

「プログレ三昧のプロデューサーからの声掛けです。NHK大阪ホールでNHK-BSのバンドコンテスト番組の最終審査がある、小野瀬さんが審査員で模範演奏もする、関西でベーシストを見繕ってリズムセクションを組んでもらえないかというハードルの高いオファーでした。私は『任せて下さい』と即答しました。何故か根拠も無しに上手くいく確証があったのです。

かなり著名な方を含む何人かのベーシストに断られた末、オムニサイトの平井さんを通じて土本浩司君を紹介されました。彼はファンク系でプログレは観た事も聴いた事も無いというミュージシャンでした。全く畑違いでしたが意気投合してリハーサルに臨みました。私は彼のプレイをフレンチ・プログレのベーシストみたいだと思いました。ヨーロッパにはファンクからプログレに流れるミュージシャンが結構いますからね!私はプログレはあんまり狭いコミュニティだけで閉じない方が良いと思ってるんです。

話は逸れましたが番組終了後も『楽しかった、また是非!』が社交辞令では無く盛り上がりました。3人でバンドユニットを結成し2015年に不死蝶としてデビューしました。

▶今後の音楽活動の展望は?

「私の関わってる方は皆な超絶多忙なのでスケジュール調整が困難を極めます。しかしそんな事を言っているとあっという間に寿命を迎えてしまうので私はそろそろソロアルバム(オヤジギャグか)を出したいという希望を温めています。こうやって言葉にして実現へのハードルを縮めようという魂胆です(笑)。インストだけではなく歌ものにもチャレンジしたいな!問題は時間と資金だね…」

▶リリースを楽しみにしています。
ありがとうございました。

終わり