実録 関西パンク反逆の軌跡 その16
- 2022.06.05
- COLUMN FROM VISITOR
坂本葉子インタビュー その2「ほぶらきんとの関わり」
ほぶらきんは時代劇 meets SFな歌詞、童謡や特撮ヒーローTV番組の主題歌の様に親しみやすいメロディで頭ノリの楽曲(しかも一分程度で終る)、応援団を思わせるバンカラな歌唱、疾走感と破壊力漲る演奏、抱腹絶倒のライブ・パフォーマンスにより世界に知られる唯一無二のバンド。
メンバーは森下太朗(vo)、黄之瀬英史(g)、木村隆浩(k)、山本進(b)、青木宝生(drm)。全員が滋賀県立膳所高校の同級生で麻雀仲間。高校卒業後の1979年にバンド結成。
ほぶらきんは音楽性だけで無くレコード制作の方法もユニークだった。
大津の西武百貨店は1976年開店。アネックスにディスク・ポートという滋賀県唯一の輸入レコード店があった。この店はMY RECORDというプライベートなレコードを制作するサービスを行なっていた。代金さえ払えば結婚式の記録だろうがオジサンのカラオケだろうが何でもレコードにしてもらえた。
彼等はここで1979年秋に1stEP「こっぷらきん」、1980年春に2ndEP「キング・ホブラ」を50枚ずつ制作した。レコードはメンバーが手売りした。
1980年秋、ロックマガジン33号の付録として4曲入りソノシートをリリース。
1981年8月、3rd EP「インドの虎狩り」をアンバランス・レコードからリリース。
1982年1月、4th EP「ホームラン」をアンバランス・レコードからリリース。ライブ盤。
1983年4月、ソノシート2枚組「ゴースンの一生」をオルセン・レコードからリリース。
坂本葉子はほぶらきんファン・クラブ会長にしてオルセン・レコードの主宰者。
彼女にほぶらきんとの関わりを語ってもらった。
▶ほぶらきんのソノシートはロックマガジン33号(1980年9月1日発行)の付録でした。
MURA NO KAJIYA、SAKANA-URI、GOUSUN、PELICAN GIRLの4曲収録。
「阿木さんがほぶらきんをソノシートにしたって事は面白さをある程度は判ってはったからやと。それを思えばロックマガジンは偉大やったんでしょうかね?」
▶阿木さんの懐深さですね。
「『魚うり』はソノシートと『キング・ホブラ』では違うヴァージョンに聴こえました。残念ながら現在レコード・プレーヤーが故障しているため確認出来ません。ミックスのせいでヴァージョン違いに聴こえるほど音が変化したのかもしれませんが残りの3曲はそんな事は無いんですよ。元々カセットテープがマスターだったので違う日に録音した音源が存在した可能性あり?」
▶ ギャラはあったんですか?
「ロックマガジンを何冊か現物支給で貰っただけみたいです」
▶ほぶらきん側にお金になるという発想が無かったのでしょうね。
「当時はメディアに紹介してもらえるだけでありがたいというか、自分達の名前とかバンド名が活字になったとわーっと喜んでいたんで。ミニコミは手書きの時代やから。音源を提供したからなんぼか頂戴とは考えもしなかったと思うんですよ。ソノシートにしてもらえるだけで充分やと」
▶この年11月同志社大学でのデビュー・ライブには物見高いマニアが詰めかけた訳ですから少なくとも関西圏では絶大な宣伝効果がありました。
「広い様で狭い人脈の中で上手く物事が回って行ったんですね。もちろん人を動かすだけの面白さが無いと出来ないんやけど」
▶確かに楽曲に強烈なインパクトがありますからね。
ほぶらきんが自分達でリリースした音源は1st「こっぷらきん」、2nd「キング・ホブラ」だけです。ライブも自分達では一本もブッキングしていないでしょう?
「そうですね。全部周りが出て下さいと」
▶ライブハウス出演は森下さんのソロ以外は全部アンバランス・レコード企画のイベントですね。
「アンバランス・レコードの『あっ面白い、じゃあレコード出そか、イベントに出てもらおか』といったフットワークの軽さはありましたね」
▶1981年8月新宿ロフトでのFLIGHT 7DAYSは前年のDRIVE TO 80’S以来の大規模な日本のパンク/NWイベントでした。ほぶらきんが出演した28日はアンバランス・レコードの持ち日でした。非常階段の過激なパフォーマンス目当てで集まった沢山の観客がほぶらきんを目撃しました。
「一回でも東京で演ったのは大きいですよ。あれが無かったら身内のバンドで終わってるかな?関西では知られていても」
▶演奏は撮影されて唯一のライブDVDになりましたからね。
ほぶらきんはアルケミー・レコードが1991年に過去の音源をCD復刻して再発見されました。
「ゴールド・ロック・シリーズ、あれは大きかったですね。皆んなが聴ける様になって」
▶知る人ぞ知る存在だったのが一般に認知されました。
「1st、2ndなんて世の中に50枚ずつしか出回ってないから今ではネット・オークションで高値が付いて、出品者を見たら知ってる奴やったりして(笑)。
そんなんに高い金払うより再発盤で聴く方がいいし。私はオリジナルにこだわる人間じゃ無いんで、何万も出すんやったら再発盤で買うて余ったお金で色んな音楽を聴いて欲しいと思います」
▶ファンクラブの会長になった経緯は?
「当時友達が写植会社に勤めていたんです。彼女が暇な時間に写植の文字盤に蛸とかひよこの絵があったので面白いからそれを枠線にして会員証を作ったでと。会員証が出来たのならメンバーを公募しようかと。
『インドの虎狩り』の裏ジャケにファンクラブと書いてあったんですよ。私の昔の住所がね。
▶こんな人が会員になってくれたと驚いた事は?
「漫画家の森下裕美さんですかね」
▶「フレッシュ・ジャンプ」誌1982年12月号に森下ひろみ名義で「ロックロックであわおこし」が掲載されています。ご協力・HOVLAKIN、青木宝生さんと森下太朗さんがモデルのキャラクターが登場しています。彼女は後に「少年アシベ」でブレイクしはりますね。ウィキペディアによれば森下太朗さんは従兄になっていますが?
「森下裕美さんと森下太朗さんに血縁関係は無いです。
当時は他に有名人は無かったですね。会員名簿を作っていたのですが発掘出来ていません。今見るとびっくりという人が居るかも?」
▶会員数は?
「50人は越えましたね」
▶「インドの虎狩り」が100枚プレスで会員50人越えは高率ですね。
「会報が届くとかもっと色々何かあると思うてたんかなぁ。
ジャケットには60円切手を送ると会員証がもらえますと書いてあるだけだったんです。活動するとは書いていなかった訳で」
▶次の「ホームラン」のリリース案内もしていない?
「してません、してません。
手紙をくれた人に会員証をコピーして厚紙に貼って封筒に入れて送るだけ。特に活動は何にもしてないです。
ロッキング・オンのROの会は会を作るけど後は貴方次第ですと書いてあったじゃないですか?ああいうのに影響を受けていたかもしれない。後は自分で考えて下さいと。
住所を送ってもらって得た情報を活かすというのは私は考えていなかったです。他所ではやっていたかもしれないけれど。何回も手紙をくれた人には『今度出ます』とお知らせしたかも。大体が切手を送ってくれて会員証を送り返してそれっきりなんで」
▶印象に残っているお便りは?
「そんなに無いです。僕も学校で同じ様な事を演っていますとかこれから演りますとか居たかな、その程度です。
中学生くらいの子が適当に楽器を鳴らして数学の先生の何とかの真似とかやってテープに録ったりするじゃないですか?ほぶらきんとかDie Owanはそういうレベルから始まっていると思うんです。それを発表するかせえへんかの違いで。
実際に私の高校の時の男友達も自分の中学の名前の音頭を作っていて聴かせてくれたりとか誰でも普通に演っていた事なんです。
手紙を書いてきてくれた人もそんなんを自分でリリースしてくれたらいいなぁと思うてたんですけど。そういう音源がいっぱい出てきたら面白いと。
私は根がずぼらなんであんまり交流はしなかったんで。返事が遅れた事もあったし今でも申し訳無い気持です」
つづく