カレー屋店主の辛い呟き Vol.54「記憶」

人の記憶て、いい加減なモンです。最近お客さんと、昔バンドをしていた、なんて話をするタイミングがあって、当時の記憶を色々と思い起こしてみました。ヤンキーカルチャーが、吹き荒れてた当時の大阪の片田舎。多分、大阪の市内では、もうそんな奴はおらんかったんやろーけど。20kmほど離れた我が街では、まだ長ランに、リーゼント。学ランは長ければ長いほど、ズボンは太ければ太いほど、ヤバいとされるビーバップ前夜。ネットなどが無い時代でも、薄々ヤンキーってダサいやろと思い始めた中学生の僕らは、X-RAYとゆージャパメタバンドで、若干17歳でデビューした、ギタリスト「湯浅晋」の話を聞くことになるんスね。晋くんにギターを教えてもらったと言うその先輩。身近に、スターギタリストが登場する、そんな少年マンガ的展開に興奮して、僕達は、ヤンキーファッションに身を包みながらも、バンドをスタートする訳です。まぁ、その先輩の話も、今となってはホンマかどーかってハナシなんスけど。

そして、そんな時期に先輩の家で見たのが、当時のジューダスプリーストのライブ映像。記憶では巨大なスピーカー群が、ゴゴゴとモーゼの十戒のよーに割れて。そこからハーレーに乗ったハゲのおっさん(ロブ・ハルフォード氏ね。笑)が、トゲトゲの衣装を着て、バイクに乗ったまま歌ってて。なんてーか、イナズマに打たれたよーな衝撃っつーんスか、そんな強烈な記憶やったんやけどなー。

Judas Priest – Hell Bent For Leather Live US Festival

ん?最近その映像を発見して、見返してみると。ん?ん?なんかパカって開いてバイク出てきたぞ。おまけにこん時は、まだ髪の毛あるし。記憶って改竄されるんスね。その当時のあまりの衝撃と、コピーを重ね、大阪の片田舎まで到着したVHSの画質の悪さ。そして、結果的に、この頃の経験が、その後の人生に与えた影響の大きさ。いろんなコトが相まって記憶を盛ったんやろーな。あーオモロ。んで、ちと切な。

皆様こんにちは。大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の「ふぁーにあ」と申します。今月もこのコラムを読んでいただき、ありがとうございます。皆様いかがお過ごしでしょか? 今回、頭からダラダラと昔話をしてしまったので、このまま続けてみよーかと思います。今となっては、すっかり聴かなくなった当時のメタルやハードロック。でも、この頃に音楽から受けた衝撃が、今のカレー屋生活に繋がる道の原点やったのも間違いない話。「記憶」をたどりたどりする中で、その当時の音源を紹介できればと。

■友達のTくん

この当時の記憶を辿ると、必ず思い出すエピソードが一つあって。この頃には、すっかりメタルキッズへと変貌した僕達。しかし、今も昔も学校ってゆー閉鎖空間の中で発生する同調圧力。校内に番長が存在するよーな「クローズ」のよーな中学校やったもんで。なかなか「バンドやろーか思ってるねん」なんて言えなかったのよ。ほんまに喧嘩を続けてたら、全国制覇でけると思ってたヤツもおったし。あの頃の僕等、アホすぎて、なんか心がイタイ。そして、少しずつリーゼントを下ろし、剃り込みを隠し、外見も変わり始めてきたよーなそんな時期。大阪の南港で行われた「スーパーロック84ライブインジャパン」ってイベントを見に行くコトになったのです。今でこそ、当たり前になった野外フェス。でも、この当時にメタル、ハードロックのバンドが5バンド来日して、全国のでかい会場の何箇所かで、野外ライブするって、よー考えたらエグい話。来日したのは、マイケルシェンカーグループ、ホワイトスネイク、スコーピオンズ、アンヴィル、ボンジョビ。そう、あのボンジョビの初来日公演やったんやなー。

https://www.youtube.com/watch?v=U2cUu9jbjmU&t=15
「スーパーロック84ライブインジャパン」ダイジェスト 懐かし!

今となっては、あんま詳細な中身は覚えてないけど。今、改めて何十年かぶりに見てみると、いいライブ。んで、この規模のライブが実現したコト自体が、凄いコトやってんなと改めて思いますゼ。そして、その帰り道マイケルシェンカーヤバかったなとか、みんなが言い合う中、一番大人しかった友達のTくんは言い放つのです「僕はボンジョビってのが一番良かったで」と。ヤンキー上がりの僕らや、先輩達は、やっぱり漢とゆーことにこだわるあまり、イカつく、強そーなモノを好きと言ったほーがカッコよく、一番キラキラしてたボンジョビを良かったとは、口がさけても言えなかったのに。そんな空気の中で自分の好きなモノは好きと言い放つ友人Tの姿に強烈に感動して、こういう人間にならなと思った若き日のエピソード。結局その日は、「ボンジョビ」さんがステージで振ってた日章旗(やったか?)に書いてた文字が「ポソジョビ」やったやろ?と笑いにしながら、なんか複雑な気持ちで家路に着いたんスね。あー、若き日の思い出って痛みを伴うものです。

余談やけど。その後のTくんは長ラン・ドカンがカッコいいとされてた僕らの中学に、短ラン・スリムの学ランである日突然登校し、周囲を驚愕させたり。バンドを始めると言い出し、なぜか後に小室哲哉なんかが持つことになる、ショルキーを最初の楽器として購入し、ドラムと2人組のバンドでパンクバンドを名乗ったりと、そのセンスは突飛ながらも、周囲に革命をもたらす男になります。大人になって再会を果たした彼は、ヘンテコな建物を建てる、結構著名な建築家になってました。ある天才の兆しを見た、中学時代。そして、僕は未だそういう人間になれてないワケなんスけどね。ワハハ。

■LAメタル

僕達のバンドは、その演奏力の無さからメタルバンドになるコトを早々に諦め。高校に進学する前には、すっかりパンクバンドへと変貌していくんスけど。僕は、ピストルズやクラッシュの音源を聴きながらも、引き続きメタルの文脈から、その当時流行ってた「LAメタル」を聴いてたンス。この「LAメタル」とゆーのは、日本でしか言わない表現で、海外では「ヘアメタル」とか言うそーで。何しか、長髪をヘアスプレーで膨らませ、ケバい衣装とメイクのド派手なルックス。そして、ポップで分かりやすいサウンドと、ド派手なステージパフォーマンス。今の若者が見ると、「ほんまかぁ!」って笑って思うやろし、マンガの世界。実際に「ヘアメタル」って言葉には、キッズ向けのイロモノって意味も含まれてるんやけど、ガンズアンドローゼスや、レッチリが登場する数年前のLAは、そんなバンド達が席巻してたんス。

んで、僕らの周りでも2,3年、年齢がズレるだけで、この話題が話せなくなるほどの一瞬のムーヴメント。でも、日本のヴィジュアル系ってココを出発点に、独自進化したよーな気もするな。知らない人も多いと思うんで、代表的なバンドを紹介しとこーか。

Mötley Crüe – Live Wire (Official Music Video)

LAの局地的なムーヴメントを、世界的にしたのは「MOTLEY CRUE」。この曲が入ってるデビューアルバム「TOO FAST FOR LOVE」 (1981)は、そもそもインディーズで出されたモノ。これが世界的ヒットを飛ばしたんス。彼等のビジュアルイメージと、コードに開放弦の刻みを加えたリフとか、曲名を叫ぶだけのシンプルでキャッチーなサビの楽曲が、この後に続くバンドの指針になったよな。んで、結局彼らも80年代後期には、そのメイクを捨て、ある種普通のロックバンドになっていくんやけど、カッコが普通になるにつれ、反比例するよーにステージセットはドンドン派手になっていき、ドラムセットが360°回るよーになるんよ。

drトミーリーの回転ドラムソロの時間。

からのコレ

んで最終形態

アホやわー。オモロすぎて3つも貼り付けて見ました。もう、最後。遊園地のアトラクションみたいになってるモンな。バンドが好みやなくても、このシーンは生で見ると絶対にオモロい。僕も何度か生で見ましたよ。てか、初期楽曲。カッコのあまりのダサさは時代の所為にしたら、普通にカッコいいよーな気も。

RATT – Round And Round (1984)

この「RATT」が一番「LAメタル」の象徴的なバンド。もはや、メタルでもないんやけど、この曲はこの時代のアンセム曲。このバンドの外見上の特徴でもあるTシャツを自分でカットする、カットTが当時流行ってたゆーても信じられんやろか。んで、この見た目と、POPな曲からはあんま気がつかんけど、実はこの当時売れたバンドって、演奏は上手くてテクニカル。その辺り、技術至上主義を貫くメタル上がりな感じがしてなぁ。

WASP – I Wanna Be Somebody(1984)

「Animal (Fxxk Like A Beast)」とゆーアホ満開ので曲でデビューした「W.A.S.P」。衣装に、丸ノコを半分に切ったモンをくっ付けた絵面もアホな感じがしてな。でも、意外にキャッチーやけど、正統なメタルマナーに沿った楽曲が多くて、今思うとアホを装った、戦略に長けたバンドやってんなーと。

他にも色々とバンドはあるんやけど、これ以上紹介しても仕方ないのでこの辺りで。この時代、このムーヴメントを引っ張ったアーティスト達のアルバムは、軒並み全米のチャートのtop10に入るよーなセールスを記録して、この辺りのアーティストがメインストリームになってた時代。んで、LAのこの辺りのバンドって、アマチュア時代からの友達で、違うバンドをそれぞれいくつも組んでた仲間達。若手時代ユニットコントなんかで、同じ劇場に出てた若手芸人が一気にフックアップされた、第7世代の芸人達のブレイクに似てる。そして、よりPOPな「ボンジョビ」の踏み台となり、ニルヴァーナを始めとするグランジ系のバンドのデビューにより、シーンは一気に止めを刺されるコトとなる。

そして、僕達もアホ満開のイロモノパンクバンドへと完全に変貌をとげ、高校卒業間近に大阪市内のライブハウスの敷居の高さにダメージを受け、活動を休止するコトとなる。僕は、大学にうっかり合格した為、モテるコトを人生の最大目標として、ディスコの店員となり、ひょんなコトからクラブミュージックに傾倒して行くんスけど、これはまた別の機会に。でも、この当時の仲間達と音楽の現場で再会したり、中学時代全国制覇を目論んでたヤンキーグループの同級生と、NYのCLUBでゴリゴリのクラバーとして再会を果たしたりするんやから人生はオモロい。今みたいにSNSで繋がってなくても、会うべき時には、逢えるコトになる。楽しいと思える方向へ動いてれば、奇跡的なコトが起こったりするもんですぜ。

今回は、そんな昔話をしながら、当時夢中になったバンドを紹介して見ました。今では、全く聴かなくなったこの当時のバンドや、音楽達。でも、このマンガみたいなこのバンド達や、マンガみたいなアホやった僕達。その延長線上に今の自分があるんやなーと思いますな。たまには「記憶」を呼び起こしてみるのも、悪くないっスね。それでは、また来月。

ホイミカレーとアイカナバル / 店主ふぁにあ
〒543-0031 大阪府大阪市天王寺区石ケ辻町3−13
ホイミカレー:毎週火木金12:00-売り切れ次第終了 アイカナバル:月—土18:00-23:00