実録 関西パンク反逆の軌跡 Vol.20 「オックス」

近田春夫「グループサウンズ」(文春新書1381)


今年2月17日に近田春夫「グループサウンズ」(文春新書1381)が発行された。
著者は1951年生まれ。高校時代にGSブームの熱飛沫を浴びた。彼が語るGS論からは時代の空気が生々しく伝わって来て一気に読了した。
ただし東京で生まれ育った近田のGS史観は首都圏中心で関西出身のオックスに関する記述は説明不足だった。
以下は「グループサウンズ」からの引用。
「近田 筒美京平さんが楽曲を提供したGSの2大バンドが、ジャガーズとオックス。デビューはオックスがちょっと遅いよね。
ージャガーズが昭和42年6月で、オックスが翌年の5月です。
近田 この1年の差が大きい。というのもオックスはGSというジャンルが確立してからデビューした。それで何が違うかといえば、ジャガーズくらいまでは、アニマルズなりローリング・ストーンズなり、洋楽にロールモデルを定めた上でこの世界に入ってきていた。つまり、どこかに自分たちはロックバンドなんだという意識があったんだよね。その後になって、彼らのようなバンドの形態はグループサウンズと名づけられ、十把一絡げにその狂騒に巻き込まれる形となった。
オックスは、デビューする前の自らの音楽活動がまったく見えない形で、最初からGSとして現れた。つまり、自分たちのアイデンティティがGSそのもので、GSとして生きていく覚悟があったとでも言うのかな。つまり、目指すべきロールモデルが洋楽ではなくて、タイガースなりテンプターズなりに変わっていたということですね。

近田 「そう、ドメスティックな日本人グループという目標があったんだよ。だから、その時点で、新たにGSを売り出すに当たっては、ミュージシャンシップよりもアイドル性を優先すべしという戦略的解答が導き出されていたわけ。」(p112〜113)
この指摘は正しい。
しかしながら何故「アイドル性を優先すべしという戦略的解答」が導き出されたのか?の根拠が示されていない。これでは説得力に欠けるのではないだろうか?

以下は補足説明。
オックス結成の経緯を辿ってみよう。
京都出身のザ・タイガースのドラマーだった瞳みのるが本書のインタビューで(ナンバ一番出演バンドには)「〜後のオックスの母体となるザ・キングスっていうのもいた。彼らは、大津が地元でしたね」(同書p160〜161)と語っている。

ザ・キングスは1964年に滋賀県大津市で幼馴染により結成。メンバーは上田耕三(lg)、平信史矩(sg)、西村晃(k)、福井利男(b)、岩田裕二(drm)。
同年9月に京都ベラミで初舞台。以後は大阪のレンガ、ナンバ一番に出演。関西では最古参のエレキバンドだったという。
ところがナンバ一番で後輩のザ・タイガースが66年11月に上京、67年2月にポリドールからシングル「僕のマリー」でレコード・デビューと先を越されてしまう。

ザ・キングスとしては面目丸潰れ、さぞや悔しかっただろう。
この時点で後にオックスを結成する福井と岩田はグループが成功するには沢田研二の様な「アイドル性」のあるスターが必要不可欠との「戦略的解答」を導き出していたのではないだろうか?

ザ・キングスは67年2月に上京。同年9月にザ・タイガースと同じポリドールからシングル「アイ・ラヴ・ユー」でレコード・デビュー。
因みにこの時点でザ・タイガースは2ndシングル「シーサイド・バウンド」、3rdシングル「モナリザの微笑」と連続大ヒット、8月22日には東京サンケイ・ホールで初のワンマン・リサイタル開催と既に人気絶頂だった。

ザ・キングスはデビューシングル発売前に福井と岩田が脱退、捲土重来を期すべく大阪に戻る。
一般論で考えても地方から上京しシングルをリリースした時点で一先ず成功だろう。これからという時期のグループ離脱には様々な軋轢があったと思われる。よほど再出発に自信があったのだろう。
二人はレンガの経営者だった清水芳夫(注1)の協力を得て他のメンバーを集めオックスと名乗り12月1日ナンバ一番でデビュー。
その後リーダーの福井が男前、抜群の歌唱力、激しいステージ・アクションと三拍子揃ったボーカリスト・野口ヒデトを口説き落とし、赤毛のおかっぱキーボード奏者・赤松愛が加入しメンバー固定。
二枚看板スターを擁したオックスは大阪のライブで失神パフォーマンスを繰り広げ評判を呼ぶ。


オックスは68年3月18日に上京、同年5月5日にビクターレコードからシングル「ガールフレンド」でデビュー。筒美京平のクラシカルな楽曲、橋本淳のメルヘンチックな歌詞、王子様な衣装がマッチして大ヒット。GS のウケる要素を総て満たしていたオックスの登場によりブームは最高潮に達する。

同年後半には「マスコミは“失神グループ”としてオックスをセンセーショナルにとりあげ、タイガース、テンプダーズに並ぶ超人気GSとして扱うようになった。彼らの中性的ルックスも魅力だった。マネージャーの清水は云う。『大阪地区に於ける宝塚の人気はあいかわらずで、そりゃあたいしたもんです。・・・そこでわたしは考えたんです。あれだけの若い女性の関心を、なにも宝塚だけにまかせておくテはないって。そして、その宝塚の人気の秘密を徹底的に研究して生まれたのがオックス、オックスなんですよ!』(「ヒットポップス」68年11月号)」(日本ロック紀GS編p105)

オックス成功の図式として
○リーダーが滋賀県出身でベーシスト
○まず大阪に進出しスター性のあるメンバーをヘッド・ハンティング
○場数を踏んで実力を蓄えた後に上京しメジャーデビュー

興味深い事に90年代にこれらがそっくりそのまま当てはまるアーティストが登場する。
ラルク アン シェルのtatsuyaである。
オックスもラルクもキーパーソンが地味なポジションに居るところが滋賀県民らしいと思う。
滋賀県には「顔が射(さ)す」という言い回しがある。人目に立つのを良しとしない県民性を端的に表す表現である。
私も滋賀県で生まれ育っているのでこの滋賀ならではのスタンスはオックス、ラルクのみならず、ほぶらきんの青木寶生、ビーイングの長戸大幸にも感じるのだ。

なお福井利夫は2022年5月に75才で、赤松愛は同年7月25日に71才で相次いで他界している。合掌。


注1.ザ・キングス「アイ・ラヴ・ユー」の作詞を担当。後にオックスのマネージャーになる。彼も滋賀県出身なら話は更に面白いのだが確認出来ず。