VOICE OF EDITOR Vol.14 「日本のロック」
- 2024.12.29
- OSAKA
先日、NHKの番組「SONGS」でB’zの松本孝弘 氏が出演されていた際に彼のイメージとしてある「日本のロック」を3曲演奏されていた。西城秀樹「傷だらけのローラ」、アン・ルイス「六本木心中」、トランザム「あゝ青春」である。
西城秀樹さんは1955年生まれ、2018年5月に惜しくも亡くなられている。彼は小学校時代から兄とバンド、ジプシーズを組み「小学生のドラマー」として名を馳せていた。1962年には自身のバンド、ベガーズを結成する。1972年に歌謡曲界にデビューから亡くなるまでの間にその激しいパフォーマンスにより数々の伝説を残した。
アン・ルイスさんは1956年生まれ。神戸市出身だ。1971年に芸能界デビューしたが1980年に結婚し、出産育児のために一時休業するが1982年に復活後女性ロッカーとしての存在を発揮した。
トランザムは1974年にチト川内、石間秀樹、篠原信彦、後藤次利、トメ北川の5人が結成したロックバンド。テレビドラマ「俺たちシリーズ」等の劇伴音楽を担当したり、100曲以上のCMソングを手掛けた。元ハプニングス・フォーやフラワー・トラベリン・バンドのメンバーが集まったスーパーバンドだ。その後メンバー・チェンジを繰り返し1981年に活動を休止した。
その番組を見ながら「はて、自分が持つ『日本のロック』とは?」と考えていた。たった3曲に絞ることなんてできるわけないけど、その時脳裏に浮かんだ私がイメージする日本のロックはこの3曲だった。
岡林信康「私たちの望むものは」と荒井由美「翳りゆく部屋」、デイブ平尾「一人」だ。
ラジオを聴きながら、もう半分眠りかけていた頃に聞こえてきたのが岡林信康のライブ・アルバムからの「私たちの望むものは」だった。バックははっぴいえんどだとMCで言っていた。半分寝ていたので内容を紹介するMCはほとんど覚えてないが、なぜか雨が降りしきる野外でのライブが頭の中に浮かんでいた。後日調べてみると1970年と1971年にあった中津川フォークジャンボリーだろうと推測できた。
それまでに知っていたのは「山谷ブルース」「がいこつの唄」「手紙」「チューリップのアップリケ」といった底辺に生きる人々を歌った弾き語りだった。いずれも問題作でほとんどの曲が放送禁止のレッテルを貼られたていた。しかし、周囲が一方通行的に持つ反体制的なイメージに耐えきれず一時「蒸発」。
そんな中「はっぴいえんど」をバックに従えシーンに戻って来たのがこの時期だった。この曲の歌詞は、「私たち」と複数になってはいるが、政治や右翼や左翼や保守や革新といった思想に関係なく一市民が感じていることを切実に歌い上げている。彼の中にある一貫した一市民としてのアナキズムがロックを感じさせてくれていたのだ。岡林氏はのちにそういった思想家たちからの誘いが煩わしくなり、アーティスト活動から身を引くことになる。
多分、このYouTubeでのライブだったのだろう。雨ではなく青空が広がる晴天の日だった。
「翳りゆく部屋」はどのオリジナル・アルバムにも入っていない曲だ。ベスト・アルバムに収録されている曲はいずれもアルバム・ミックスとしての別ヴァージョンになる。「すべてのことはメッセージ小説ユーミン 」のエピソードにあるように、この原曲は荒井由美が14歳の時に作曲したとされる「マホガニーの部屋」だということは有名だ。作詞は加橋かつみだとのこと。当時彼女はクラブの楽屋にも入れるほどのグループ・サウンズの追っかけだったというから、そのグループはザ・タイガースだったのか、、、、。

プロコルハルムの強い影響を感じるこの曲は彼らの代表曲「青い影」のハモンド・オルガンではなく教会のパイプオルガンから始まり、力強いドラムフィル、ピアノ伴奏へと続き、ボーカルへと移る。東京の目白にある東京カテドラル教会で録音されたというオリジナル7インチ・シングルのミックスを大音量で聴くとその荒々しさと音圧に圧倒される。そりゃあ当時「ニューミュージック」の中でもシティー派の女性歌手として売り出し中の荒井由美のアルバムに入れると浮いてしまうよな、ってくらいにロックなのだ。「翳りゆく部屋」にこそ「Play Loud」とジャケットに入れるべきだった。この曲をYouTubeで検索しても今では少しおとなしいライブヴァージョンでしか聴くことができない。ちなみにB面はファーストアルバム「飛行機雲」に収録されていた「ヴェルベット・イースター」だ。
「一人」は作詞が井上堯之、作曲が岸部修三(一徳)という意外な組み合わせだ。井上堯之氏はグループ・サウンズ、スパイダース解散後、荒井由美が追っかけていたかもしれないザ・タイガースのジュリーこと沢田研二やテンプターズのショーケンこと萩原健一によるツインボーカルのバンドPYGのギターとして参加し「花・太陽・雨」や「自由に歩いて愛して」などを作曲した方で、作詞のイメージがないからだ。その後井上氏は萩原健一が刑事マカロニ役で出演した「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」でスパイダース時代からの盟友、大野克夫氏とともに劇伴音楽を担当した。

「一人」は「傷だらけの天使」の最終回のエンディングに起用された曲で、主人公オサム(萩原健一)が彼の亡くなった相棒アキラ(水谷豊)をドラム缶に入れリヤカーに積んで夢の島に葬り捨てるシーンで流れる。デイブ平尾の哀愁漂う切ないボーカルと井上隆幸バンドのずっしりとしたサウンドを通して都会の底辺で生きる若者の一人の命の軽さと重さ、やるせ無い思い、うちに秘めた怒りを表現するポップでバタ臭いロック・バラードだ。そこには政治的な主張こそないが「反体制」を日常生活の中に感じさせる力作だ。
いずれの曲も1975年、76年に発表された。
その後日本の音楽シーンは「ニューミュージック」がメジャーとなり今「シティーポップ」と呼ばれる曲が台頭しJ-POPとなって行く。日本のロックはそのJ-POPの中の一ジャンルとして吸収されていく。
2024年ももう少しで終わり、2025年の幕が開く。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。