第87回ジミー・ペイジの真実 クリス セイルヴィッチ (著), 奥田祐士 (翻訳)

ジミー・ペイジの真実 クリス セイルヴィッチ (著), 奥田祐士 (翻訳)
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レッド・ツェッペリンのドキュメンタリー映画『ビカミング・レッド・ツェッペリン』が近々公開されるそうです。

今の人たちにはレッド・ツェッペリンがどれだけビッグなバンドだったのか理解しがたいかと思います。

なぜ彼らだけがその地位に行けたか、究極の答えはロック・ビジネスを根底から変えたからです。

それまでのロック・バンドというのはどちらかというと仲間意識が強く、ラブ・アンド・ピース、みんなで一緒にやろうぜ、みたいな感じでした。

ツェッペリンもそうでした。事務所はジェフ・ベッグのマネジャー、ミッキー・モストと同じ部屋でした。抜け駆けなんか出来ないわけです。ジェフ・ベックがアメリカ・ツアーでどれだけのギャラをもらっているかとか全部分かるわけです。隣でジェフ・ベックのマネジャーが喋っているのが、普通に聴こえるわけですから。というかジェフ・ベックがバンドのヴォーカルを探している時、レッド・ツェッペリン結成前のジミー・ペイジもヴォーカルを探していて、両者とも誰に声をかけているか分かっているのです。抜け駆けなんか出来ないのです。オープン、フェアです。

これが、僕がイギリスに行った時の一番の衝撃でした。閉鎖的じゃないのです。同じビルの中に同じようなインディ・レーベルが入っていたり、リハーサル・ルームはみんな一緒にシェアしていたり「あーイギリスのロックは村のビジネスなんやな」と思いました。

アメリカもそうなのかもしれないですけどね。ローレル・キャニオンにみんな集まっていたり、ブリル・ビルディングの中にみんな詰め込まれてヒット曲を作っていました。

日本だと足のひっぱりあいとかしそうですけど、あんまりそういう感じがしないのです。そういうのかっこ悪い、ロックじゃないみたいな心意気を感じていました。

そんな中でレッド・ツェッペリンだけが飛び抜けていきました。なぜそんなことが出来たかというと、身も蓋もないんですけど、信じられないくらい売れたわけです。で、すべてのプロモーターに調達を出すわけです。お前らの仕事なんか新聞広告を出すだけだろ、お前らの取り分は1割でいいというビジネスを始めたのです。これが今のロック・ビジネスの基礎となります。システム作っている奴より、アーティストの方が偉いということを明確化したのです。

それまでビジネスをやってきた奴にはこれは面白くないことです。今まで誤魔化しながら4割とかとっていたのに、突然「1割りでいいだろ」と突きつけられたのです。しかもイギリス人が、ロック・ビジネスを作った俺らアメリカ人にアメリカに来て何を言ってるのという感じです。この不穏な動きが彼らの映画『永遠の歌(狂熱のライブ』に記録されています。バンドの盛り上がりをおさめる映画なのに、なぜかホテルの貸金庫に預けたギャラが消えてしまうという事件が差し込まれるのです。なんでこんなの入れたのですかね。土キュメタリーですから、全部曝けだしたかったからだと思うのですが。この盗難、FBIまで捜査に乗り出すのですが、結局犯人は分からないままです。「どうせマフイアの犯行だろ」と言ったらそれですむ話ですけど、ここにあったのはアメリカのロック・ビジネスのツェッペリンに対しての不満です。

こういうことからツェッペリンは失速していきます。まさにレッド・ツェッペリン(鉛の飛行船)は沈んでいくのです。

そして、不幸は重なっていきます。ヴォーカルのロバート・プラントンの息子さんがウイルス性の疾患で亡くなり、本人もその後、大きな自動車事故に遭い、彼の親友だったドラマーのジョン・ボーナムも亡くなりました。そして、世界最大のロック・バンド、レッド・ツェッペリンを作ったジミー・ペイジはその後、色んなロック・バンドを作ったのですが、どれも成功しなかった。天才プロデューサーと言われたジミー・ペイジがなぜもう一度花をさかせられなかったのか、これもドラッグに溺れていたの一言で片付けられることですが

僕らが子供の頃、よく言われていたのは、それは彼らが悪魔と取り引きしていたからだということでした。

ロックとオカルト、それを一番体現していたバンドというか、その人がジミー・ペイジなのです。ロンドンにオシャレなオカルトのお店をやっていたり(僕もよく行きました)、オカルトといえばこの人アイレスター・クロウリーが住んでいた家を買ったり(アイレスター・クロウリーはカイロに新婚旅行に行った時、奥さんは声が聴こえるようになって、その声を頼りに預言書『法の書』を書きました。もちろんペイジもカイロに行ってます。僕も行こうかなと思っています。ツェッペリンの三枚目には『法の書』の一番のメッセージである“汝の欲することをなせ”という言葉がレコードに彫られています。かっこいいこと(ピラミッドとか見てたらそういう声が聴こえるんですかね)しています。

今はニコニコする(当時もそうですけど)だけの気のいいおじいちゃんとなっているジミー・ペイジですが、当時はそういう人だったのです。

それに焦点を当てたのが、この本です。ジミー・ペイジのギターの秘密とか、プロデュースの秘密に焦点を合わせた本かなと思って買ったら、ジミー・ペイジとオカルトの関係に切り込んだ本なので、びっくりしました。

出だしなんか、デヴィッド・ボウイとジミー・ペイジのオカルト対決事件から始まっています。

でも、そんな嘘くさい話ではないですよ。だから、オカルトにこそ真実があるとか、陰謀論がと、思っている人には物足りないかもしれません。実に客観的にジミー・ペイジがオカルトというものをどう考えていたのかということを数々の事実から検証している本です。

はっきりいってそんなにオカルトの話は出てこないです。そんなに関係ないですからね。

でも、僕が子供の頃にすごく興味を持っていたことをそうだったのかと納得させてもらいました。

僕ももうおじいちゃんになって、オカルトなんてないんだと思ってます。なんでかというと、こんだけ生きていると、呪い殺されるということがないんだというのが分かります。ペイジも一番恨みを買った僕はアイレスター・クロウリーの継承者だと自称する映像作家のケネンス・アンガーに呪い殺されてないですからね。ツェッペリン以降のペイジの不調はケネンス・アンガーのせいと言いたい人は言えるんですけど、じゃあケネンス・アンガーはなぜ大成しなかったのだ、それは修行が足りなかったからだとも言えますからね。

不幸続きの人にとったら「そんなことはない」と叫ばれそうですけど、でも、そんなもんですよ。今のジミー・ペイジの笑顔を見ていたら分かるでしょう。ロバート・プラントはいまだにツェッペリンには不吉なものがあると、あまり関わるのをよしとしてないみたいですけどね。

面白い本です。よかったら読んでみてください。

『ビカミング・レッド・ツェッペリン』にはレッド・ツェッペリンというか、ジミー・ペイジとオカルトの関係はカットされているんでしょうね。それでいいんですけどね。彼らの音楽といっさい関係ないですし。

ジミー・ペイジが受け取っといたメッセージって、“Do what thou wilt shall be the whole of the Low” “汝の欲することをなせ、それが全てだ。”そして、彼はその通り突き進んだのです。