第96回 『オアシスの階級闘争 』《Definitely Maybe》で読み解く、音楽とポピュリズム Oasis’ Definitely Maybe アレックス・ニヴン (著), 中村明美 (翻訳), 北村紗衣 (解説)
- 2026.01.21
- KYOTO
みなさん、オアシスのライブはどうでしたか?僕はロンドンで観たから行かなかったのですが、よかったでしょう。
三人のギターが洪水のように降り注いで最高だったですよね。ノイズ・バンドみたいなことをビッグ・スタジアムで出来るのだと感動しました。それが出来たのは、リアムが連れてきたドラマー、ジョーイ・ワロンカーのリズム・マシーンのようなシンプルなドラムがカオス状態をキープしていたからです。
ジョーイ・ワロンカーはベックなどで叩いているアメリカ人のドラマーで、オアシスにアメリカ人なんか入れて大丈夫かと思ったのですが、彼は完全にスタジアムでやる時に必要なドラムとは何なのか完全に理解していました。とにかくシンプルに叩く、細かいことなんかいい、キックとスネアーがタイトにグルーヴをキープすれば、全て上手くいくと。
音響の人も上手いのでしょう。そりゃ世界で1番上手い人がPAやっているのでしょうけど、とにかくキックとスネアーだけが暴力的に観客に襲いかかるような、小学生のようなミックスをしていました。彼もまたスタジアムはこれでいいのだとやっているのでしょう。レイブ会場にいるかのようなミックスでした。お祭りです。7万人を飽きさせないミックスってこんな風にやるのだと勉強になりました。
でも1番の決め手は、捨て曲なしのオアシスの名曲です。普通スタジアムで観ていると、途中で素に帰ったりすることあるのですが、退屈した時がなかったです。ポール・ウェラーが「どんなバンドもスタジアムでは観ない」と言っていて、僕も同じ意見ですが、奥様が観たいということで付き合いで行ったのですが、良いもの観せてもらったなと思いました。マイブラとどっちが音響凄いのか、対決して欲しいなと思いました。
オアシスの凄さって、インディ・ミュージックが世界一のバンドになったことです。
ローリング・ストーンズも一緒ですけどね。アメリカで忘れ去られようとしていた、もしくは黒人や一部の物好きな白人に愛されていただけの R&Bをやることで世界一のロックンロール・バンドになったのですから、イギリスのバンドってほんと変わってます。
そんなオアシスがなぜ成功し、終わってしまったかということを書いたのがこの本です。元々は一つのアルバムを詳しく解説するシリーズである33 1/3のシリーズで2014年に出版されていたのを今回オアシスが来日するということで翻訳されました。著者はオアシスと同じマンチェスター出身のアレックス・ニーブン、元々はエブリシング・エブリシングというバンドの初期メンバーで、現在は左派思想の更新を実践する気鋭の論客としてしられ、大学講師をやりながら、文芸評論家、詩人もやっていたりする1984年生まれの41歳です。彼の授業を受けに行こうかなと思いました。『ガーディアン』『ニューヨーク・タイムズ』『ピッチフォーク』などそうそうたる所で書いていて、2025年3月より『Tribune』の編集長に就任、思わず弟子になろうかと考えています。左派思想の代表的評論家といえばマーク・フィッシャーですが、彼の原稿より分かりやすいです。僕が評論家として食っていくためには日本のマーク・フィッシャーと呼ばれるようにならないといけないと思うので、彼の授業を受けるのは1番手取り早いかなと思います。
僕の将来の話をしてもしょうがないですね。この本で彼が何が言いたいかといいますと、オアシスというのは一枚目だけだと。一枚目というのは
“労働者階級のカウンター・カルチャーが、一瞬の陽光のもとに姿を現し、その直後に後期資本主義の灼熱の太陽のもと枯れ果てる、その直前の瞬間に生まれたからだ”
分かります?僕は分かります。オアシスとは本当に初めて労働者階級で成功したバンドだったということです。
えっ、ビートルズは、ストーンズは、セックス・ピストルズは、という声が聴こえてきそうです。色々な意見がありますが、彼ら中流階級なのです。ペル・ウブのデヴィッド・トーマスの「バンドやっている奴に労働者階級の奴なんかいない、みんな中流階級出身だ」という名言がありますが、そういうことです。ここを議論しだすと一生終わらないので、そういうことだと納得してください。オアシスがなぜ二枚目以降落ちてしまったのかというと、彼らは金を手にしたからだというのが、著者の言い分です。
僕もそう思います。
そして、彼はこうも書いています。
“人生の意味は、自己や逃避の中にではなく、他者と心を通わせる中にこそ、本当の喜びや理想(=楽園)があるという信念だ”
これが労働者階級であり、これを初めて体現したバンドがオアシスなのだと。
これでオアシスの歌がなぜシンガロングなのか、分かりますよね。
自分の内面や怒りや悲しみを歌うのではなく、他者と心を通わせるために歌うそれがオアシスなのだと。そして、ここまでこれを徹底したバンドがあったか、ビートルズ、セックス・ピストルズにもそれはあった、しかし一枚のアルバムにこんなにもこの思いが込められたことがあったかということなのです。
そして、彼らはお金を手にした時、このマジックがなくなったと。
社会主義の著者はどうすべきかと思っているかといいますと、書いてないですけど、儲かったお金を全ての人に分け与えればよかったと思っているのでしょう。そうすればもっと面白いことが起こったかもしれないと思っているのです。それが革命だと。
セックス・ピストルズでも、ニルヴァーナでも全てのバンドがそうするべきですけど、それは難しいことです。ビートルズも儲かった金で、島でも買って楽園でも作るかと妄想していたのですが、彼らがやったことは会社を始めることでした。それはそれでとっても凄いことだったのですが、失敗しました。プリンスもジェームス・ブラウンもそうですよね。
難しい、僕らは本当の市民革命(フランスはブルジョア革命で、日本の明治維新は革命ではなく、下剋上だったのでしょう)を夢見ている世代であり、僕はパンク、アシッドハウスにそれを期待していました。そして、そろそろ本当の市民革命が見れるような気もしています。アップル、グーグル、テスラもそうはならなかった。でもどういう形で僕らは真の自由を勝ち取るのか分からないですけど、近いうちにそうなるような気がします。そして、そうならなかったら僕らはローマ帝国の崩壊、中世のような暗黒の時代を生きるようになるのでしょう。
オアシスの一枚目のあのわずかな時間はそれをみんなが共有したということだったと著者は書いているのです。
とっても面白い本です。
この本が正しいという証明として、
“1996年のブリット・アワードでノエルは「俺はすげえ金持ちでオメエらはそうじゃね」と吐き捨てた。もしそれがただのジョークだったら笑って済まされただろうが、皮肉なことにそれは、オアシスの反体制的な怒りが、どれだけ早く見せ物的快楽主義と拝金崇拝に取って代わったのかを物語っていた。”
夢は終わったのだ。つまらなそうに歩くノエルを見ていて、本当に全て終わってしまったのだなと思う。
ノエルはお金を手にするより、死ぬまで夢を見続けたらよかったのに。
『オアシスの階級闘争 』《Definitely Maybe》で読み解く、音楽とポピュリズム Oasis’ Definitely Maybe アレックス・ニヴン (著), 中村明美 (翻訳), 北村紗衣 (解説)