カレー屋店主の辛い呟き Vol.3「My FavoriteのリストとNujabes」

大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”と申します。

寒い中ミナサマお体大丈夫でしょうか?できるだけ外に出たくないボクは、最近、ファミコンの互換機という最強ツールを手に入れ、勇者となって世界の平和を救い続けています。

ええ、いまさらドラクエですね。ちなみにウチの店のカレー屋営業時の店名はドラクエの回復呪文「ホイミ」からの「ホイミカレー」。興味のある方はググって…。

どさくさに紛れて宣伝につながりましたかネ。

と、だらだら書き出しておりますが、今回もお付き合いくださいね。

さて、飲み屋なんぞをやってますと、いろんな話をいろいろなお客サンとする機会が多かったりする訳ですが、ボクはある程度仲良くなると好きな音楽の話や、映画の話をしてみるんです。

「特に好きなアーティストとかおらんわー」とか、「映画見ないし」とか言う方もいるのですが、それはそれで逆に興味が湧くし、「俺は矢沢やな」「長渕やろ」という話を聞くと、そこまで自信を持っての一択ってーと、これはこれで興味深かったり。

好きな音楽や映画、もちろん作家なんかでもいいのだけど、そんな話をすると、普段見えないお客サンの内側に少し触れたような気分になるわけです。

でね、こんな話をしていると当然ながらあるのが「ほなマスターは?」の質問。

うーむ。例えば「好きなアーティスト」ならなんだろか?

残念ながら「E.yazawa」の一択ではないし、「いろいろいますけど」なんてぼんやりした

返答をすると「例えば?」「それからそれから?」「なんでそんなの聞くようになったの?」と畳み込まれて、自分の子供から青春時代、今へと続くこじれた音楽の遍歴と、それに伴うエピソードの欠片を披露する羽目になるわけです。

なぜか「オフコース」が好きになりフォークギターを弾いてみた小学生低学年時代、「KISS」の顔面ペイントのギミックにしてやられた小学校の後期。でかいバイクに乗ったトゲトゲの服を着たハゲのおっさんが、バイクから出ているマイクで歌ってた「ジューダス」のインパクト(そんなライブ映像だったような…)に驚愕しながらも、なぜかカッコはヤンキーだった中学時代。バンド。西成のエッグプラント。ハードコアとノイズ。もてたい一身で入ったディスコの店員時代からのクラブカルチャー…。

あーなんかはずかし。

好きな(だった?)アーティストの事を考えると思い出す当時の自分。

 

でもそうやって聴いてきたものが、ボクの体に染み今の自分を作っているのだとすると、これがボクの人生に影響を与えた「MY Favorite」のリストになるわけですな。

音楽好きなミナサマの「MY Favorite Music」のリストにはどんなものが入っているのですか?それに伴う思いやエピソードってなんですか?

とりあえず、ウチのバーに来るお客さんにいろいろなテーマを設定してベスト10を書いてもらう企画でもスタートしてみよかなと画策中でございます。

さてさて、もう少しお話は続きます。

そんな好きな(だった)アーティストの事を考え、記憶と思い出を手繰り始めると、自分に影響を与えてくれた、避けて通れないアーティストさんがいます。

それは1995年ぐらい?のこと。そのころのボクはハウスやテクノ。俗に言うダンスミュージックの12incや7incを日々買い漁り、東京に仕事で出張するたび、いやレコードを買うために出張を入れ、会社に損害を与え続けている(ごめんなさいw)駄目な社員でした。当時の渋谷・宇田川はManhattanやCisco、DMRなどの大型レコード店や中小規模店が沢山あって(100軒以上あったんじゃ…)、ボクも東京に行った時に必ず立ち寄る店だけでも30、40あった美しい時代。その中で出会ったレコ屋が「ギネスレコード」。そして、店主の名前はセバくん。そう「Nujabes」です。

お客と店主の関係でしたが、彼が作った店内の雰囲気と、新譜の12incを中心にレコードを買っていたボクには新鮮なJAZZやラテンやワールドミュージックまでセレクトされたレコードは異彩を放っていました。もちろんその時期ワールドミュージックの専門店やJAZZのレコ屋も沢山あって、顔をだして、視聴してもなんかよーわからんなと思っていたボクでしたが、「ギネス」の面々や、知り合いになった常連さん達が「カッコイイよ」と薦めてくれたレコードやアーティストに打ち抜かれっぱなしでした。

例えば、Pharoah Sanders。

例えば、TERRY CALLIER。

JAZZやSOULの巨人達の音源との出会いもこの店を通じてでした。

自分の知らないアーティストとの出会いは、偶然とタイミングでいつも訪れ、ボクにとってはその遊び方を習ったひとつの場所だったのかもしれません。

今思えば、売れる作品をセレクトするんじゃなくて、自分達がいいと思ったものを売るためにはどうしたらいいのかを考え抜いた結果、あの見せ方、あの店内の雰囲気になったのだなーと、そして、その思想に触れたボクにも影響をあたえて、後に自分がライブハウスやクラブをやる一因になったのだなと感じるわけです。

ちなみにNujabesを聴いたことのないミナサンの為に、少しだけボクの考えを乗せて紹介すると。彼の作風はinst中心のJazzy なhiphop。元ネタをまんまサンプリングしてる作品が多いのだけど、彼の最大の特徴はそのディグ、つまりサンプリングの元ネタを探す能力と、サンプリングされたメロディのセンスだと思うのです。今はインターネットで様々な情報が取れる時代ですが、2000年前後のそんなネット上に情報のない時代にレコ屋を回り50年代・60年代のラテン音源を見つけサンプリングする。いや、どんだけフリークやねんと、どんだけ好きやねんと思うんですよね。

 

例えば、彼の楽曲の「Counting Stars」

この曲はホセ・フェリシアーノっていう盲目のプエルトリコのスパニッシュギターの世界的な名手の楽曲のおいしいトコロをまんまサンプリングしています。ちなみにめっちゃいいライブ!

「まんまやんけ」と受け取る人も多いんでしょうけど、ボクが言いたいのはもうひとつあって。

NUJABESがいなかったらボクはホセ・フェリシアーノに間違いなくたどり着かなかった。「世界にはまだまだすばらしい音楽や、すばらしいことが沢山あるよ!」と伝えてくれてるように感じるんです。

 

彼の命日は2月26日。もうすぐ亡くなって8年。生きてたらどんな音楽を届けてくれたんですかね。惜しすぎるし、早すぎるよ。