ロッキンワンダーランド その1「1979年の最後に万歳倶楽部に行った話」
- 2020.12.09
- KYOTO
こんにちは・アリスセイラーです。
今日からこちらでコラムを書かせていただくことになりました。
今まで体験してきた面白いできごとを、みなさんにもおすそわけして楽しんでもらえたらと思います。
ところで最近、「アリスセイラーでーす」と言っても「は?」と返されることも多くなってきたため少し自己紹介します。
アリスセイラーは芸名で、京都出身の50代女性、80年代にアマリリスというバンドを結成しリーダーでボーカルを担当していました。まあまあ人気はあったと思います。
当スマッシュウエストの南部所長が運営されていた「スタックオリエンテーション」というイベント団体にはライブなどで大変なお世話になったものです。
アマリリス解散後も20年以上ダラダラと活動していますが、3年位前に「今一番イケてる行為それは間借り営業で飲食業をやること」とひらめき、幸いよいお店との出会いもあり、京阪中書島駅近くで月イチ第一日曜日に「やんちゃなアマリリス」という喫茶店を開いています。
ツイッターはこちら↓
https://twitter.com/kissayanama?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
一応喫茶店というていで真面目に営業していますが、喫茶店という名のライブパフォーマンスであることに間違いはなく、現在大変楽しみながら営業させていただいております。
そんな中でお客さん同士が仲良くなって友情の輪が広がっていくのを目にするのは楽しみの一つでもあります。
わざわざ日曜日に奈良や大阪、関東からも来てくださるお客さんは、この空間を楽しみにして通って来てくれているんだなぁと、ニンマリするのです。
かつて、私にもそんなお店がありました。
そこへ行くのが楽しみで、閉店までの数年間、何度行ったか数え切れない、このお店がなかったら今の私は存在しないと言っても言い過ぎではないそのお店は、四条木屋町を下がったあたりのビルの4階にありました。
ものすごく小さいしアングラなのになぜか雑誌ananにカラーで丸1ページの記事で紹介されていたので「万歳倶楽部」という名前は知っていて、行ってみたいなと思っていたところ、仲が良かった高校の同級生が、一足先に常連になっており、「今日は店長のバンちゃんの誕生日だから遊びに来ない?」と言うので花束を持って行きました。
エレベーターはなく、4階まで階段を上がりドアを開けると、詰めて10人座れるかどうか位の小さなお店で驚きました。こんな狭いお店に入るのは初めてでした。
友達はまだ来ていなくて、店長らしき派手なルックスで巨体の男性がいたので「バンちゃんだ」と思い「お誕生日おめでとうございます!」と花束を渡したのですが、店内にいる人は全て常連で「誰?」という顔をしているし、当のバンちゃんも「誰?」と言っています。
友達が来るまで知らない人と肩をくっつけ、狭い席で超居づらい気持ちでやりすごしました。
友達も来て、少し雰囲気にも慣れてきた頃です。バンちゃんがSEXPISTOLSのMYWAYを爆音でかけました。その時突然待ってましたとばかりに客の一人が歌い踊りだし、カウンターに上ったり酒をまきちらしたりして騒ぎました。
私はドン引きでしたが皆は楽しんでいるようすです。
でも、MYWAYと、その人のパフォーマンスが終わった後、私は感動していました。
「なんて素敵なお店なんでしょう、そしてなんてかっこいい人・・・」
時は1979年12月。
私、17歳、バンヒロシさん20歳の誕生日のできごとでした。
その頃京都にはロック喫茶文化というものがあり、治外法権=ハードロック・どらっぐすとぅあ=前衛・JAMHOUSE=ロック・シャナナ=ロカビリーというようにかなりハッキリとジャンルに分かれて存在しており、万歳倶楽部はパンク・ニューウェーブ系で、おしゃれな子が多かったです。ほぼ完全に住み分けされていたので、ほかの店にはまず行きませんでした。あっJAMHOUSEにはたまに行きました、ロック全般なので。
万歳倶楽部のPUNKのお客さんが「今日は今から治外行ってくるで」とイキまいているのを見たことがありますが、さながら不良高校生が他校に殴り込みに行くみたいで熱かったです。
次回はアマリリスをはじめるきっかけなどを書こうと思います。