ロッキンワンダーランド その3「亜無亜危異」
アナーキーについて書こうと思います。
ロンドンから発生し、日本に上陸したパンクロック及びパンクファッションは日本の不良達に大いに受け入れられ、多くのパンクバンドが生まれ大人気を博しました。
髪の毛を立てて、破れたTシャツに鋲付きのリストバンド、安全靴、革ジャンなど、定番のパンクスタイルがライブ会場にあふれたのでした。
大きいハコでは危険なアクセサリー禁止というのもありました(苦笑)。みんなおとなしく入り口で首輪とかはずしていました。
そんな中で日本独自の進化をとげたバンドが「アナーキー」でした。
何故か、本当に何故か、知っている人がいたら教えてほしいのですが、アナーキーのオーディエンスは特攻服を着ている人が多かったのです。
「亜無亜危異」と漢字をあてるとことか「親衛隊」なる軍団が各地にいたり、言いにくいんですがヤンキーちっくなんです。
吉田豪さんのインタビューで最近知ったんですが吉本の「非常階段」のシルクさんも親衛隊に所属していたそうです(豆知識)。
大阪の友人に一人、アナーキーに心酔している粉川定浩君という男の子がいて、よくライブに一緒に行きました。
1981年の7月の天王寺野音に行ったときのことです。ガッチガチに「アナーキーファッション」に身を包んだ気合の入った人に名刺を手渡されました。
その名刺には「亜無亜危異親衛隊関西支部長 木村〇〇〇」と書いてあり、私は「すごい人とお近づきになった!」と興奮しました。
アナーキーの人たちは、これも考えたらヤンキーちっくなんですが、恐そうな見た目に反してファンの子たちをとても大切にして、仲間目線で、飲みに行った後ホテルの部屋に泊めてあげたりもするんです。粉川君がうれしそうにいつも話してくれました。
ある時ライブ後に、いつものように宿泊ホテルにゾロゾロとついて行って、みんなで飲みに行くってなったんで私は京都に帰るね〜と言ったら、粉川君が「アナーキーとすごしたいから3千円貸して!」というので貸して、粉川君とはなんとなくそれっきり疎遠になりアナーキーのライブへの足も遠のきました。
数年後に「魔女卵」という大阪を舞台にした青春ROCK映画を見に行ったら粉川君が「アンチ」のメンバーとして出ていて、3千円のことをふわっと思い出しました。
「魔女卵」が1984年の作品なので3年後のことです。
その約20年後、ライブハウスSOCIOあめりか村でスタッフとして働く粉川君の弟さんに奇跡的に出会い、時を超えて3千円は回収できたのでした。
親衛隊長の木村君とは天王寺野音の数年後、ライブハウスで再会しました。
なんと、ガッチガチの見た目はそのままに、アマリリスの熱心なファンになっていました(なんでやねん)。
毎回欠かさず大きな機材を持って来てはライブを撮影して、次のライブにダビングビデオを持って来てくれるのでした。
そのビデオはコマ割りしたり文字を入れたり編集されていて「I LOVE ALICE」とかの文字がバーンと張り付けてあったりしてやばかったです。
アマリリスの他には少年ナイフとメスカリンドライブのファンだったみたいです(ほんまになんでやねん!)
洋裁も得意で、パンクっぽい革の手作りベストをもらったこともありました。
アマリリス解散後、アリスセイラーソロ名義の映像作品を作っていた時、機材が故障して困っていて、その時住所が撮影場所に近かったこともあり、何年も前にもらった親衛隊長の名刺の電話番号に電話したんです。そしたら木村君が、故障したコンプレッソプラスティコ平野さんのカメラとなんと同じものを持って来てくれたんです。
本当、助かりました。
最終的になぜか木村君が一方的にキレて、それ以来会っていません。
木村君、また会いたいです。今は何に夢中なのか知りたいです。
実は若かりし日の木村君にすごく似ている人がいるので紹介します。
UTEROZZZAAA改めYUUJI202Xという孤高のアーティストがいるんですが、日本語漢字多めなファッション、妙に手先が器用なとこなども似てて、死んでないけど生まれ変わりみたいに思えます。
木村君の写真がないのでYUUJI202xの写真を貼っておきます。
ヤンキーという言葉に関しては、このコラムを読んでいる人には、ダサいイメージかもしれないんですが、パンク・ニューウェイヴ以前はヤンキーが最高にかっこいい不良のカテゴリーでした。私もちょっぴりヤンキーでした。ディスコや野外で、スタイリスティックスやアラベスクで踊っている程度でしたが。
今回アナーキー最高説を書くつもりでしたが、周辺の人々の話題になってしまいました。
アナーキー、ネットで検索したら、直近のヴィジュアルもかなりイケていたのでまたライブに足を運んでみたいです。