カレー屋店主の辛い呟き Vol.42 「Fishmans」

いきなりやけど。「今までの人生で一番良かったライブって何?」って聞かれたら皆さん何て答える? 時々、お客さんから聞かれるんやけど、コレ難しいなぁ。順位は付けづらいし。○○のLive観てこうなりました!みたいな鉄板エピソードでもあったら、調子のって話すんやけどな。そんな時。お客さんに伝えるか伝えないかは別にして、やっぱりこのバンドのライブは必ず頭に浮かぶねん。そんなバンドFishmansも今年が30周年イヤーで、映画も近々公開されるって話。なんだか、盛りあがりを見せるそんな状況に、微妙な気持ちもありながら…。ほら、言い方わるいけど○○に鞭打つ的なさ…。でも、この機会にFishmansを知らない若い人達や、今更気づいた人達に、佐藤伸治氏の残した音源や、その当時のライブの話を伝えるのも大事なコトやなとも思うねんな。
さてさて。皆様いかがお過ごしでしょか?大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の”ふぁにあ”です。「酒出しちゃダメッ!」宣言から、早1ヶ月。相変わらず今年1月の給付金は入金されず、もう5ヶ月の待ち。元々、国から保護されるよーな人間じゃないのは自覚してるし、政治にも、もう何の期待もなかったけどさ。こんだけ舐められるとはね…。ほんま笑かしおる。今、酒バンバン出してる店の中には、追いつめられた末にそうせざるを得ないヤツも多いし、店責める前に国や地方の政府を責めたってほしいなと。まぁここで書いても、オモロい話でもないからこの辺りで。ちなみに、ウチはコロナ前からずーーっとボンヤリ営業中やけどな。ワハハ。
■最近のFishmans
7月9日から全国公開されるこの作品( https://fishmans-movie.com/ )のリリースに合わせて、あちらこちらでFishmansの話題がポツポツと。なんでか知らんけど、ここ1,2ヶ月YOUTUBE先生も、よくオススメしてくるし。んで、その映像のコメント欄に、最近更に増えてきた外国語のコメント。5,6年前ぐらいからやろか、ポツリポツリあったスペイン語や英語のコメントが、ここ1,2年異様に増えてるねん。これ、5,6年前の山下達郎&竹内まりやから始まった全世界的なCITYPOPのムーヴメントの時と同じ。最近も、松原みきのサブスク系チャート全世界1位とかさ。ほんま、今の時代ならではの現象。レコードを丹念に掘って「ヤバいの見つけた!」ってニンマリしてた人間からすると、こんな全世界から短期間でそんな音源にたどり着く今の時代って、羨ましいの一言やけど。逆に今の若い子からは「宝探し感は減ってるから昔に生まれたかった」なんて話を聞くと、ないものねだりなんやろけど。

んで。話を戻すとね。Fishmansが全世界的に有名になりつつある現象に、一役買ったんやろなと思うのが上の写真のサイト「RATE YOUR MUSIC」( https://rateyourmusic.com/ )。これアメリカの70万人近くの利用者がある、音楽の批評サイト(食べログ的な…)なんやけど。今日時点でALL TIME BESTのアルバムチャートで彼らのラストのLIVEを収録した「98.12.28 男達の別れ」が17位にランクされてて、RadioheadとKendrickLamarに挟まれてるねんな。ナンソレ!って話やし、コレ結構ヤバない?ちなみに余談やけど、このチャートの1位はRadioheadの「OK COMPUTER」で、2位はPink Floyd、3位がKing Crimson。その後にBeatlesやDavidBowieなんかの誰でも知ってる名盤が来るんやけど、14位に突如MF DOOMとMadlibの「Madvillainy」が入ってるトコが素敵。これ日本ではHipHop好きのヤツしか知らんやろ。笑
あくまで1サイトのコトで、これをもってどーのこーのって話やないんやけど。この規模のチャートでこの位置って、ちょっと異常事態。で、このチャートの仕組みを調べてみると、あくまで人気投票じゃ無くて、レビュー数と、5段階の評価の高さとかがmixされたチャートみたい。1位の「OK COMPUTER」が評価数が66,536で評価平均が4.23。「男達の別れ」が評価数9,312で、評価平均が4.37。評価数はまだ少ないけど、評価の平均が高いってことなんかな。つまりこのサイトの中では、ある程度Fishmansの存在を知ってるって話やし、熱狂的なファンがいるってコト。気になったのでNYにいる音楽好きな友達と、近況報告込みでスカイプで話してみると、オルタナティブな音楽が好きな人のなかでは、もうすでに有名なんやって。彼曰く「もしこのバンドが今存在して、コロナ禍や無かったらCoachellaなんかには呼ばれたやろし、それなりに大規模なツアーが出来たんちゃうかな」と。あってるかどーかは知らんけど、夢のある話。サブスクの時代こんなコトが起きるんやね。
- Fishmans個人的オススメ
この文を読んでる人はFishmansのコトを知らん人は、あんまおらんと思うけど。どんなバンドやったか思い出しながら書いてみて、その中でオススメの音源を紹介できたらなーと。皆さんご存知の通りFishmansは1991年にメジャーデビューしたバンド。やから今年がデビュー30周年イヤーとなる訳やけど、1999年3月15日にフロントマンの佐藤伸治氏が亡くなって、すべての活動を停止。その後、茂木欣一氏中心にライブ活動を続けてるけど、もう新曲が作られることもないんよな。でも、前述したよーに今なおフォロアーを増やし続けてる希有な存在なんよ。

最上級に大好きなこのバンドの存在を知ったのは、この「Neo Yankee’s Holiday」から。その当時仕事を始めたばかりの僕は、京都の本屋さんを営業するって仕事やったけど、ろくに営業もせず京都の街を、毎日フラフラ遊んでて 笑 そんな中で知り合った、当時のCDストア「ヴァージンメガストア」の邦楽担当の子から、異様な熱量で薦められて買ったのがこのアルバム。営業の車でCDが聞けなかったから、持っていたCDウォークマン(懐かし!)で、鴨川添いに車を停めてずっと聴いてたの思い出したわ。1曲目のRunning Manのキーボードを聴いた瞬間からモッテかれたな。きっと聴いてたシチェーションも良かったんやろーな。さとちゃん(ここからはファン丸出しの呼び方にしますね)の声は、今でゆーとこの「クセ!」って感じやったけど。その日会社帰らんと、ヴァージンに戻って「やばいなー」とその担当の子と話して、飲みにいった気がする。ただ今となってはその担当の子の名前すら、思い出されへん。老い…。笑
このアルバムって、後にFishmansのサウンドを支えるコトになるZAK氏の初レコーディングエンジニア参加作品なんやけど、このアルバムからFishmansに触れたこともあって、当時、洋楽や、地下の音楽をよく聴いてた僕もすんなり聴けたような気がする。後に1st,2ndを聴いてみても、この作品から明らかに変化してたし、レゲエや、ロックステディをベースに、ヒップホップやトリップホップの打ち込みやサンプリング、エフェクトやアレンジが多用されてて、バンド中後期の制作の方向性が決まったよーな重要なアルバム。なんかイギリスのレゲエ界隈のバンドみたいで、なんてか、個人的には、バンドじゃなくて、ダンスミュージックやねんな。んで、「いかれたBABY」や「Just Thing」なんかの重要曲もあるし。やっぱ名盤。
で、このアルバムのツアーを心斎橋のクアトロ(やったか…?)を見に行ったのがFishmansのLive初体験。残念ながらなーんも覚えてないけど、そんな印象に残る感じや無かったんかな。上のLive音源聴いてもえー感じやのに。たぶん、この先のFishmasのLiveがヤバすぎて記憶が上書きされてるのかもしらんけど。

そして、94年に「Go Go Round This World!」、「Melody」と2枚のマキシシングルをリリース。このマキシシングル2枚の表題曲は、前作で掴んだいろんな手法や武器を、バンドのサウンドにより落とし込んで、POPなフィールドに解き放ったよーな、ある意味初期Fishmansのバンドとしての一つの到達地点かなーと思うねん。勝手な想像をすると、多分バンド内で非常に濃密な時間。てか、もっと簡単に言えば切磋琢磨な状態ってゆーんかな。それは、「Go Go Round This World!」の中に入ってる、前作アルバムの中に収録されてた「Smilin’ Days, Summer Holiday」の別テイクが如実に進化してるコトからも、「Melody」の中の、たぶんHAKASEの結婚式(違った?)で歌われた「いかれたBABY」の別テイク「Wedding Baby」の雰囲気からも分かるよーな気がする。そしてさとちゃんの友人で盟友のギターの小嶋謙介氏が、この時期に脱退をするコトに…。
そしてこの年の秋にはアルバム「Orange」、そして翌年3月にはZAKのエフェクトが追加された、ある種実験的な初のライブ・アルバム「Oh!Mountain」をリリースして、それぞれアルバムがリリースされた後には、ツアーもやってと。今考えると、信じれない猛スピードでつき進んだ1年。同じ94年。すでに僕は音楽のフィールドの仕事の部署になって、ライブのチケットのプロモーションを担当してたこの時期。年間300本ほどのLiveを観て、行ける打ち上げには全て行って、なんやかんやと話をしてと、プライベートが全くない季節が始まってるんやけど。この当時のメジャーな音楽のシーンって、やっぱ異常なスピードで進んでたんやと思うねん。どーしてたのか記憶が抜け落ちてて、断片的にしか覚えてないもんな。
んで、この業界のスピードに合わせて、さとちゃんはどんどん進化していって、そのスピードはどやろ?とメンバーは、小嶋氏から始まり刃こぼれのよーに脱退が続いていく。この後、さとちゃんがスタジオ設立にこだわったのも結局そーゆーコトやし、単にメンバーは天才について行けなくなったってコトじゃなくて、この当時の音楽業界のいろんな要求と、スピード感が要因としてあったと思う。比べられんけど、僕も、この数年後。もう少しゆっくりいろんなもんに向き合いたいなぁと退社するわけやし。まぁ辞めてから余計に大変になったってのは、この当時の僕は知らんことやけどな…笑

そして、スタジオ環境が整えるとゆー前代未聞の条件(本当のトコは分からんけど、そー聞いたで…)の元、レコード会社を移籍して自身のスタジオ「ワイキキビーチ」を構え、エポックメイキングなシングル「ナイトクルージング」をリリース。ギターにヒックスビルの木暮氏、キーボードHONZIを迎えて、ここから世田谷3部作のリリースへと続いて行くねんけど。一度訪れさせてもらったこのスタジオは、メンバーがDIYで作ってて、街のいい感じの空気感も相まって、小さいながら理想の環境やなと。んで、いつでも宅録できる環境になって、メンバーそれぞれがふらっとRECしたり、音を鳴らしたりできるってのは、今なら当たり前で若い子はピンとこないと思うけど、当時としては1バンドがこの環境を持つって本当に画期的なコトやってんな。
ProToolをあの当時いち早く導入して、大きな音が出せないのでMIDIドラムを使って、ラインでそれぞれのメンバーがREC〜オーバーダビングしながら取捨していく。今じゃ当たり前の手法やけど、あの当時「いっせいのせ」で音出してRECしないをするバンドってまだ珍しくて。そんな環境のなかで日夜TDを繰り返してたZAK氏の役割も大きかったと思うし、何かのインタビューでさとちゃんが言ってた「この頃から見るものの景色すべてが変わってきた」(本人はそれ以上詳しく語ってないけど)とゆー世界観を、このハウススタジオでメンバーが共有していったのも、めちゃめちゃ大きかったと思うねん。
音を詰め込んじゃ、削ぎ落とし。ライブのリハは詳細なトコロまで磨いて磨いて。ここから劇的に音のひとつひと粒まで、変わっていったのが、この時期のFishmansで、そんな空気が凝縮されたアルバムが名作「空中キャンプ」と、モニターの見過ぎでZAK氏が目から血を流したというエピソードも残っているほどの集中力で作られた1曲35分の「LONG SEASON」なんやろね。
んで、この頃から後のLiveは本当に濃密で、圧倒的で。当時毎日1,2本ライブを観て、そんな生活を何年も続けてた(今考えるとありがたい話やね…)人間が、ファン目線を外したとしても、どのアーティストのライブより群抜いてエグかった。あくまで、仕事としてその場に居させてもらってたけど、FishmansのLiveだけはお客さんとして参加したかったのが贅沢な本音。ホント毎回Live後、何日間もその世界から抜け出せないよーな圧倒的な支配力。あの空間に居れたのは本当に幸せなコトだったんやな。

97年になると「宇宙 日本 世田谷」のレコーディング開始した彼らなんやけど。これ今からすると、てか当時でも本当に異常で。「空中キャンプ」「LONG SEASON」という、バンドの力を出し尽くした名作アルバムを出しながら、ツアーやイベントをして、その上で新しいアルバムを作るってな。世間で言われてるよーに2年間でアルバム3枚って契約の縛りがあった為なのか、さとちゃんのクリエイティヴが止まらなかったせいなのか、ホントのトコは分からんし、今となってはどーしようもないことやけどさ。
おまけにこの頃のさとちゃんが持ってくるデモは「ソロ色が強すぎて、バンドに落とし込むのに苦労した」と後に欣ちゃんが語ってるんやけど。疾走し続けるさとちゃんに、他のメンバーはそれを解釈して着いて行くのが精一杯。これバンドでは良くあることやけど。ここまで猛烈に忙しくて、空っぽな状況で、ソロで出せるほどのクオリティのデモを突きつけられたメンバーの状況ってな。絶句するしかなかったかも。
で、結果完成した「宇宙 日本 世田谷」はもはや美しすぎて。繊細すぎるほど繊細で、極限まで突き詰められたアルバムに仕上がってると思うねんけど。ラスト曲の「DAYDREAM」を聴くといつも泣けてくる。さとちゃんのなんか到達してもーた感じとか、孤高な感じが痛々くもあり、崇高さすら感じられるわ。
この後、アルバム制作終了をもってZAKがチームを抜けて、スタジオが契約終了にともない閉鎖して、譲くんが抜けて。さとちゃんと欣ちゃんの2人体制になるんやけど、さとちゃんはやる気満々で、来年は「Go Go Round This World!」を出した年のようにシングルを出してく一年にしていこう!と語って、デモもアコギの弾き語りのスタイルに戻ってたみたい。シンプルなバンドのスタイルを模索してたんかな。
そして1999年3月15日に、突然にさとちゃんは永眠する。
今回、映画公開のタイミングってことで、Fishmansについて長々と書いてもーたけど、このバンドは僕にとってはやっぱり特別なバンドで、思い入れが強すぎてキモい文章になってたらごめんなさい 笑
今、世界中でこのバンドの曲が聴かれるよーになって、また、この機会に一人でもこのバンドを好きに人が増えりゃいーなと。でも、だれかも書いてたけど。一年ぶりにやってくる苗場の舞台で、さとちゃんがギターをかき鳴らして、あの圧倒的なパフォーマンスでみんなを踊らせるトコ観たかったなーと。いつもFUJIに行くと思うねんな。
ほな、今回はこの辺りで。
ホイミカレーとアイカナバル / 店主ふぁにあ
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ホイミカレー:毎週火木金12:00-売り切れ次第終了 アイカナバル:月—土18:00-23:00