ロッキン・ワンダーランド その4『佐藤薫さんとの出会い』
- 2021.09.03
- COLUMN FROM VISITOR
1981年の中頃のことです。
当時よく遊んでいたのいづんずりのリーダー福田君が、ある日「今日は佐藤薫さんの家へ遊びに行こうと思う。前から行きたいと思いながらも一人では行きづらいので一緒に行ってほしい」というのでつきあうことにしました。
佐藤薫さんを知らない私のために福田君は、通りがかった書店に入ると棚にあった雑誌を手に取り、ペラペラとめくって佐藤薫さんの載っているページを見せて「佐藤薫さんの基礎知識」と言って何かいろいろ話してくれましたがあまり頭に入ってきませんでした。ただ、なんか熱く話していたので、「佐藤薫さんという人はきっととても素敵な福田君のあこがれの女性なんだろう」と想像しました。
佐藤薫さんの家は北白川の一軒家で、福田君は緊張して玄関の呼び鈴を押しました。中へ入ると複数の猫がニャーニャーと出迎えて、奥から「猫ちゃんが出るから早く戸、閉めて」という男性の声がしました。その声の主が佐藤薫さんだったんですが、未だ気がつきませんでした。
部屋には五人くらいの男女がくつろいでいました。たまり場っぽかったです。なぜかレコード屋さんに置いてあるレコード棚があり、皆が聴きたいものを自由に借りていくみたいでした。
イベントの打ち合わせ中らしく部屋の真ん中で一人の男の人が電話をかけていました。もちろん当時は黒電話です。電話の相手は坂本龍一で、今度京都でアーバンシンクロニティというイベントをやるから出てね、と言ってて、電話を切ったあと福田君にも出てね、と言っていました。
福田君が「これから一緒にバンドをやろうとしてる」と私を紹介してくれてその時やっとその人が佐藤薫さんだとわかりました。
「この人が佐藤薫さん・・・男前で、坂本龍一とタメ口で話すとか超カッコイイ!好き!!」
と、なぜ思わなかったのか・・・当時の自分にツッコミ入れたいんですが、なぜか・・私はその時佐藤薫さんのかたわらで打ち合わせをしていた南部裕一さんを見て「めっちゃかっこいい人がいる!好き!!」と思っていたんです。なぜか・・・。
佐藤薫さんはEP-4というバンドのリーダーで、新京極詩の小路ビルの中にできたdeeBee’sというカフェバーで毎週日曜日に開催されていたB−Livesという実験的かつシャレオツなライブイベントのオーガナイザーでもありました。
ある時、dee-Bee’sに出演予定のEP-4が出られなくなって代わりの出演者を探していたらしく、あつかましくも福田君が「自分の新ユニットで出ます」と立候補して、許可が下りたというので、あわててバンド名を考え残りのメンバーを集めて、アマリリス初のライブ出演に挑むことになりました。
そのライブの前に、一度でもスタジオに入ったかどうかはよく憶えていません。当日の出演メンバーは、福田研(ドラム)、私(ボーカル)、天王寺ハルヲ(ギター)、安田謙一(キーボード)の四人でした。ハルヲ君はスマッシュヒッツのベーシストだったので知っていましたが、安田君は知らない人だったので「バンド経験は」とたずねると「神戸の方で少し」と、曖昧なかんじの返答が返ってきました。それ以上は聞けない雰囲気でした。演奏は、私の持ってきたいくつかの詩を中心に、各自がフィーリングで音を出すといった、未知数バリバリのスリリングなものでした。
出演前に店のBGMでフューのソロとデビッド・シルビアンのブリキの太鼓が流れていて、それにかなり影響された音作りになったように記憶しています。 曲になりたくてなれない、そんな演奏に、私のロリータ・ヴォイスがからみ、ネガティブな詩の内容とあいまって気持ちの悪いライブだったんじゃないかと思います。こんなのでよかったのだろうか・・・と自問自答しましたが他のメンバーが楽しそうだったのでまあいいかと軽く考えました。
その数日後、佐藤薫さんらと食事を共にしたさいに「dee-Bee’sでのライブ、すごくよかったよ。これからは僕がアマリリスのマネージメントをするから。全国的に京都にアマリリスありというくらいには有名にするから!」と真剣に言ってきたので思わず茶を吹き、「この人のシュミって一体・・・??」と疑問を持ちながらもやる気がメキメキ出てきたのでした。