カレー屋店主の辛い呟き Vol.67「フジ戦記」

例えば、僕がまだ20代前半として「今度フジロックで店出すねん。バイト代も出るしスタッフでどーよ」なんて言われたら、即「マジっすか!行きます!」って返事をしたと思うんよ。何しか金なかったし、アホやったからね。でもさ、今なら言えるな「戦場に行くよーなもんやで」と。笑

皆様こんにちは! 大阪・上本町のカレー屋兼飲み屋店主の「ふぁーにあ」と申します。今月もこのコラムを読んでいただき感謝です。今回は、7月末のフジロックに出店した「WESTSIDE314」のお話。本当に貴重な経験ができましたよ。

長年営業していた、フジロックのオフィシャルバーの「bigcake」を引き継ぐ形で、このコラムの執筆陣数名が立ち上げたプロジェクトが「WESTSIDE314」。店もできていないのに、デビュー戦がいきなりのフジロック。開店資金の「資金源強奪」を目論んで、大量のお酒と、店の看板メニュー「プルドポーク」をライス仕立てにした「プルドポークライス」と「ヴィーガンカレー」を引っ提げての参戦。前のコラムでも書いたけど、僕は5月に脳梗塞を発症し、6月中旬に退院したばかりの病み上がり。今回はオブザーバーとゆーか、ゴマめでの参加。のはずでした笑 

火曜日に新潟に入り、2年前のフジロックの時に仲良くなったメンバー達と飲み会。無事退院した事を報告して、大好きになったバスセンターのカレーと、青島ラーメンを合間で食し、翌水曜に越後湯沢へ。

ぽん酒館で一杯ひっかけ、駅そばを堪能し、いざ会場へ。今考えると、お気楽な旅行気分満載な遠い記憶。会場に着き、搬入設営作業真っ只中のスタッフと合流。薄々気がついてたんよなぁ、明日よりの苦闘を。作業動線の悪さ、在庫で溢れたバックヤード、当日発生した数々の諸問題。ある程度分かっていたとはいえ、宿までの徒歩30分の道のりの遠さと、後にjailと呼ぶことになるクーラーなしの部屋。フジロックルーキーの僕達に試練が訪れます。まぁ自分たちが悪いんスけど。笑

そんな苦難から始まったフジロック。30℃越えのテント内で鉄板を使う室温は推定45℃。そんな中で休憩しながらも10時間働くスタッフ達。来店してくれたお客様達の笑顔に癒されながらも、起こり続ける細かなトラブル。途切れないお客様の列。炊くのが間に合わないライス。無くなるピクルス。気温に負ける泡だらけのビール。溶けていく氷。気づけば病み上がりでゴマめ参加の僕も、バンバン働いておりました。

オープン準備の朝7時から、店をクローズして閉店片付けが終わる朝6時まで働いた、前夜祭を含めての4日間。チームワークが生まれ、どんどんフジロックならではの経験値が上がるスタッフ達。あんな環境の中で10時間働き、その後、ライブを観る体力と、ミュージックフリーク振りに感動すら覚えましたよ。

そして、準備していたフードは売り切れ、ギネスビールもなく、ジンもなく、シードルもなく満身創痍でバーカンに入る、最終日オールナイト終盤の僕達に「スタッフ全員分のドリンクを。一緒に乾杯しましょう」と声をかけてくるお客さんの多いこと。4日間あの環境の中で、音楽を浴び続けたお客さん達との間に生まれる同志関係。「4日間お酒作ってくれてありがとう!」ってお客さんの言葉としては、完全にバグってるけど、改めてイベントって、みんなで作るもんやねんなぁと感じれる瞬間。実は本当に感動したんスよ。

店の隣のGANBANステージ最終のSEIHOくんのいつものクールなステージと違う、アースのセプテンバーをかけるDJっぷりに、パーティーをまだまだ続けたい気持ちを共有しながら、第一回目のあの嵐の天神山から、スタッフとして、関係者として、観客としてずっと参加をしてきたフジロックのコトを思い出していました。そして、同じように歳をとった僕が、この歳になって、何の因果か出店者という立場で臨んだ今年のフジロックは、本当に刺激的で、新鮮で、その魅力を改めて感じることができた4日間でした。状況が許すならこの経験と、ノウハウを来年に活かせればといいなと思います。

そして、少し遅れたけど、南堀江「WESTSIDE314」の店作りもスタートしてます。これからSNSなどでも情報発信をしていくので、ご注目を!

では今回はこのあたりで。

ホイミカレーとアイカナバル / 店主ふぁにあ
〒543-0031 大阪府大阪市天王寺区石ケ辻町3−13
ホイミカレー:毎週火木金12:00-売り切れ次第終了 アイカナバル:月—土18:00-23:00