第76回 インドとビートルズ: シタール、ドラッグ&メディテーション アジョイ・ボーズ (著) 朝日順子(翻訳)藤本国彦(解説)

インドとビートルズ: シタール、ドラッグ&メディテーション アジョイ・ボーズ (著) 朝日順子(翻訳)藤本国彦(解説)
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精神を病んだ母親を見て、僕が一番最初に思ったことは「これ俺、知っているぞ」でした。その症状はLSDでバッド・トリップした人と全く同じだったのです。

僕が思ったのは、悪い親戚が母親の財産を狙ってLSDでも盛ったのかなと思ったのですが、あの悪いオッチャンがどうやってLSDを手に入れたんだろって、思ったりしてたんですけど、母親は病院に入ると、2、3日でよくなりました。

気が狂った人間って、一生気が狂っているのかなと思っていたのですが、簡単に治るんですね。母はずうっと病院にいないといけないのかなと思ったんですけど、1週間もすると、よくなって「早く退院したいわ」というのです。

その後、母は何回も入退院を繰り返し、僕としてはこんなやったら、ちゃんと何年も入院して、根本的に治して欲しいわと思うのですが、今の病院は3ヶ月で病院を出ていかないとダメなのです。今まで精神を病んだ人を無理やり何年も入院させていたような事件があったから、こういうシステムになったと思うのですが、精神を病んだ人間がたった3ヶ月で治るのか、もっと根本的に治してよと僕はよく思ってました。

その時の心療内科の先生の答えは「人間はそんなに変わらないからね」だったと思います。もっと気の利いた答えを言いはったような気もするんですが、忘れてしまいました。

頭を病んだ人は、携帯電話を取り上げて、睡眠薬でちゃんと長い時間眠らせれば、普通になっていくのです。

こういうのを見て、めっちゃシャブ中とかと一緒やなと思ってました。

僕が一番思ったのは、座禅って、気が狂った人を治すために考えられた方法なのかなということです。昔から気が狂う人はたくさんいました。母親の症状を見ても狐憑きかなと思ったりしました。入退院を繰り返す母親の面倒を見ながら、今みたいに薬がない時代にどうしていたんだろうと思い、やっぱ座禅やろなと思ったのです。

自然に囲まれたお寺で、規則正しい生活をして、濃い食べ物を食べず、携帯も取り上げ、昔は携帯もTVもないすけどね。都会とか、村とか、家族から離すというのはいいことなんだと思います。

で、僕はお母ちゃんに「座禅って何するためにあるか知っている」と聞いたのです。

母親は「集中するためや」と答えました。

あかん、あかん、お母ちゃんなんも分かってない。

でも、これ読んでいる人の半数以上が座禅って集中力を養おうためとかと思ってんじゃないですか。

だから、母親も含め、高度成長を経験した人はあかんのです。

心療内科の先生の答え「人間はそんなに変わらないからね」ですね。

なんかやることによって利を得ようとする。そんなものないです。座禅とは無になることを経験するためにやるのです。もしくは無になった気になる。無なんてないですからね。無になったと思ってもそれは気のせいです。

頭の中をからっぽにするようにするんです。今の言葉でいうとノイズをなくすためにやるんです。

普通の人は眠ることによって、このノイズがなくなって、毎日朝すっきりと目が覚め、また楽しい1日を過ごすことが出来るのです。

母親なんかを見てると、それが歳をとることによって、だんだんとそういうことが出来なくなって、溜まって、爆発したのかなと僕は思ってました。

心療内科医の先生は「普通は歳とってから統合失調症なんからないんだけどな、お母さん本当に若い頃、統合失調症になったことない」と言います。母親が僕に統合失調症に昔なっていたことを隠しているだけかもしれませんが。

昔の人は座禅とか、漢方薬、鍼灸などで、その症状を軽くしていたのでしょう。

今大河ドラマで『光る君へ』をやってますが、そこで実在の花山天皇が23歳とかで出家するのですが、奇行が多かったとされる花山天皇が出家したのって、そういう自分の精神を直そうとされたからじゃないかと思うのです。歴史上ではこの出家事件は陰謀とされてますけど、実は答えはこんな簡単なことだったのじゃないかと思うのです。

母の看病をしながら、母は一般人やから楽やけど、これがお王様とかが突然頭がおかしくなったら、大変やで、と思ってました。

そういうものの対処として、瞑想とか座禅とかそういうものが開発されていったんだと思います。

そんなわけで、僕もついに超越瞑想というのをやりました。

僕も超越瞑想の師匠から秘密のマントラをもらいました。

あのビートルズがやった超越瞑想です。デヴィッド・リンチやレッチリのメンバーもやっている。でやってみて思ったのは座禅と一緒だなと。同じインドから来てるので当たり前なのですが。座禅は小学校の時にやっただけなので、また高野山とかに行ってやってみようかなと思ってます。老後の住む場所として、比叡山がいいかなと思っているんですけど。

しかし、このビートルズがなぜインドに行ったのかを書いた『インドとビートルズ:シタール、ドラッグ&メディテーション』を読んですごいなと思いました。

ドラッグやって、こういう人工的なものじゃなく、自然な感じで悟りを開きたいと思ったのすごいですよ。しかもメンバーが全員ですよ。アイドル時代に。本当にすごいことだったなと思います。

そして、ジョン・レノンの最高の歌詞「アクロス・ザ・ユニバース」は超越瞑想を始めたマハリシ・ヨギにあった直後に書かれ、インドに瞑想修行にいく直前に初めて録音されたのです。

寝ようよとすると、奥さんのシンシアがあんた浮気してるでしょ、私と息子のことなどなんとも思ってないでしょなどと色々としゃべりだして、寝れなくなって、マハリシ・ヨギから教えられた瞑想のことを感じながら書かれた曲です。

「ジャ・グルー・ディーバ」という謎の呪文の意味が死ぬ間際になって分かりました。インドでは知識とか芸術は師匠から口頭で受け継ぐものなので、この言葉は偉大な師匠さま、ありがとうという意味なんです。ウィキとか見るとマハリシ・ヨギの師匠スワミ・ブラフマナダ・サラスワティへの感謝の言葉となってますけど、誰か一人を総称したものではないのです。

先日ミニマル・ミュージックの元祖テリー・ライリーのラーガ教室(インド古典声楽を教えてくださっているのです)に行ってきたのですが、そこでも彼の師匠パンディット・プラン・ナートの写真が飾られ、先人へのリスペクトが伺えました。

たぶん、日本の伝統芸能も一緒ですよね。師匠が書物などではなく、目の前にいて、口頭で伝えていく、それが何百年も同じ方法で継承されてきて伝わってきたということに意味があると思うのです。

ジョン・レノン、ジョージ・ハリソン以上にインド哲学を学んだザ・フーのピート・タウンゼントはピート・タウンゼントのインド哲学の師匠ミーハー・ババとテリー・ライリーにリスペクトを込めて「ババ・オ・ライリー」という曲を書きました。

ザ・フーのロック・オペラの傑作『トミー』の結末というのはミーハー・ババの教えというか、インド哲学の根本的な思想で出来ているんでしょう。「ウィアー・ノット・ゴナ・テイク・イット」、現在のライブだと「シー・ミー・フィール・ミー」となっています。

あなたの存在が、私には音楽に聞こえる

あなたから、暖かさを感じる。

僕はあなたを追って、山の頂上に登った

あなたの足元で、僕は感動している。

あなたの背後に無数の人々がいることを見る。

あなたの上に光を見る

あなたからヒントをもらい

僕はすべて分かった。

ウッドストックの頂点を締め括った曲です。LSDをやった20万人がびっくりしたでしょうね。今、俺が経験していることを歌にしてると。

僕らは結局伝達者でしかないというメッセージをたくさんの人が得たのに、これで革命だと勘違いしたんですね。

謙虚にならないと。ハンブル・パイですよ。

ジョンも宇宙を渡る方法(アクロス・ザ・ユニバース)を、マハリシ・ヨーギーに教えてもらえると思ったのでしょうね。マハリシがヘリコプターで遊覧する時、弟子たちに「席が一つ空いてますけど、誰か乗ります?」って、聞いた時、「ハーイ、ハーイ、僕乗ります」って恥ずかしげもなく、手を上げたのが、ジョン・レノンです。あとでポールに「なんであんな恥ずかしいことしたん」と聞かれて、「僕だけに宇宙の真理、教えてもらえるかな」と思ってと答えたそうです。

でも、そんなものないのです。ピート・タウンゼントが書いたように、僕らはただの伝達者でしかない、それが永遠と続いているだけですごいじゃないかということなのです。

気が狂わない方法とは、自分が何者でもないと思うことです。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は神様が全部決めているからと教えて、人が気を狂わないようにしました。インド哲学では自分はただの伝達者でしかないと教えるのでしょう。それを仏教は誰も救われない、自分の思い通りにはならないと訳したのです。永遠と繋がっていく歴史の一部でしかない、それが唯一の宇宙を渡る方法(アクロス・ザ・ユニバース)だと、感謝して死んでいくしかないのです。

しかし、ビートルズとかザ・フーとか、よくここまで考えたなと思います。初めはポップってバカにされていたのに。ドラッグやって、なんか違うって、感じて、20代の時にですよ。僕なんかイェーイって叫んでただけですよ。

『インドとビートルズ:シタール、ドラッグ&メディテーション』はそんなことを感じさせてくれる本です。人間、勉強しないといけませんな。

まずは比叡山延暦寺で、一泊の修行体験ですな。小学生以来久々にやってみますか。